ホンの旅 2006

水平線

No.80 『わび・さび・幽玄 「日本的なるもの」への道程』 

 この本はページ数が538ページもあり、ずしりと重い、というのが第一印象です。
 でも、この前に久しぶりに『茶の本』を読み、日本的なるものにいささか興味が芽生えたのをきっかけに読み始めました。それでも、あまりよくわからない能とか建築のことを飛ばしました。もっとも興味のあるところは、「第6章 茶道の精神とは何か?」で、この部分は理解できるまで読みました。それから建築のことを読むと、茶室のことなどは意外とおもしろく、ついでに茶庭の部分も読んでしまいました。結局は、ページを前後しながらも、そのほとんどを読んだことになります。
 それで意外だったのは、これら日本的だと思っていたわび・さび・幽玄などという言葉は昔から使われていたというより、明治以降にとくに多くなったようです。

@元禄期の茶書には「わび」、「さび」について語っているものは多いが、江戸時代を通じてみれば、それは少数でしかない。
A1890〜1910年頃には「質素・質朴」、「礼儀」などが重視されていた。1920年以降は「和敬清寂」が根本理念(本旨)として強調され始め、1930年頃にはその「寂」の部分を「わび」や「さび」で説明する書物が多くなってくる。第二次大戦前は「さび」の方が有力であったが、戟後は、「わび」が最重要視されるようになった。
B「わび」や「さび」は1930年代以前、主に茶室・茶道具などを形容する言葉として用いられることが多かった。それが帰納的方法により茶道に集約されたのである。最初にこの態度を明瞭に打ち出したのが高橋龍雄(梅園)の『茶道』 であった。などなど。

 ということだそうです。これらを考えれば、昔からずーっと日本的だと思っていたのが、意外と新しいことなのかもしれません。新しい年を迎えるにあたり、今一度、昔から続いている日本的なるものとは何なのかを、しっかりと考えてみたいと思います。

書名著者発行所発行日
わび・さび・幽玄 「日本的なるもの」への道程鈴木貞美・岩井茂樹編水声社2006年9月30日
☆ ホンの旅 Column ☆

 想像の世界は、広く自由であるから、観者が、勝手に連想し想像するのが、面白いのである。所謂、噛みしめれば噛みしめる程味があると、云うことになるわけである。現実に近くては、其の眼前の現実に捉ほれてしまって、自由に想像を逞ふすることが、出来なくなる。従ってまた、写意の庭園は、道具建を余り多く使っていない方が、面白い。優れた写意の庭は、決してごてごてと庭石や庭樹を、列べ立てていない。其の極端なるものに、俗称「虎の子渡」と伝えらるる、京都龍安寺方丈の庭園がある。
 (造園学者 丹羽鼎三)

(鈴木貞美・岩井茂樹編『わび・さび・幽玄 「日本的なるもの」への道程』より)





No.79 『十二支の動物たち』 

 この本は、もともとは東京農大の教育後援会機関誌『農大学報』に1984年から2006年まで書かれた干支の記事をまとめたものだそうです。でも、著者は畜産学の教授ですから、関係の深い動物も多く、読み応えもありました。
 ただ、もう師走も押し迫った時期なので、やはり来年の干支である亥を先に読み、後は目を通しただけです。それでも印象に残った言葉があり、下のコラムに抜き出しました。毎年、今ごろになると、開いてみたい本になりそうです。

書名著者発行所発行日
十二支の動物たち石島芳郎東京農大出版会2006年8月1日
☆ ホンの旅 Column ☆

 イノシシをヤマクジラといったのは、クジラに肉質が似ていることもあったかも知れないが、ウサギをウ(鵜)とサギ(鷺)といったように四つ足をカモフラージュする江戸庶民の知恵とみたい。イノシシの肉を「ぼたん」というのも同じような理由からではなかろうか。江戸時代、獣肉の別称はイノシシだけでなく、ウマの肉を「さくら」、シカの肉を「もみじ」と呼んだ。
 「ぼたん」は、「牡丹に唐獅子」という言葉をもじったシャレ言葉で、シシという呼び名に引っかけたものと解釈している人もいるが、本当のところは今もわかっていない。

(石島芳郎著『十二支の動物たち』より)





No.78 『仏のイメージを読む』 

 この本は、『仏のイメージを読む』とありますが、副題の「マンダラと浄土の仏たち」というのが実態に即しているように思います。取り上げられている仏さまは、観音さま、お不動さま、阿弥陀さま、そして大日如来の4尊で、これらの仏さまが、どのようにして私たちの前に現れ、どのようにして救済するかを記しています。そのことで、人々がそれらの仏さまに何を願い、何を求めたかがわかると考えたのだそうです。
 もちろん、それらは時代や国や地域などにより変化するもので、一様ではありませんが、その変化の道筋を調べることも大事なことです。とくに観音さまは、一昨年ネパールで求めてきたお姿があり、インドやネパール、チベット、そして日本にいたる変化を読みながら、改めて拝みました。たしかに変化している部分もありますが、変わらないところもあり、その差異に興味を持ちました。その変わらないところに、普遍性があるのではないかと思い、図版を参考にしながら、何度も読ませていただきました。著者の専門はインド密教だそうですが、日本の仏教もインドのそれと比較することによって浮き出る部分もあると感じました。

書名著者発行所発行日
仏のイメージを読む マンダラと浄土の仏たち森雅秀大法輪閣2006年8月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 仏教を学ぶということは、とてもスリリングな体験だと思う。われわれは仏教を通じて、千年も二千年も前の人々の心のひだにふれ、その魂の叫びを聞くことができる。あるいは、宇宙のすべてや、それさえも超越するようなものに対してめぐらせた、彼らの思索の軌跡をたどることもできる。

(森雅秀著『仏のイメージを読む』より)





No.77 『寝床で読む「論語」』 

 岡倉天心の『茶の本』に続いて、今回は『論語』を読んでみました。それも、一般的な解釈ではなく、寝床で読むような軽い感じの読み物というのに誘われたのです。たしかに、意訳すればそのようにも読めるというのがおもしろくて、とうとう一気に読んでしまいました。もちろん、寝床ではなく、こたつで寝ころばりながらでした。
 副題に「これが凡人の生きる道」とありますが、凡人こそが世の中の大半ですし、だからこそ『論語』も読み継がれてきたように思います。聖人君子のことだけを書いていたら、それこそ一握りの人たちに読まれるだけで、歴史のなかに埋没してしまったかもしれません。
 たとえば、ガンバるとは「我を張る」ということだそうです。それには、なにかしら「目的を成就するためにやる」という響きがあり、なんとなくうっとうしいと書いています。たしかにそういう面はあるかもしれないし、我を張ってまで自分を押しだすこともないと自分も思います。下のコラムに抜き出しましたが、数字に現れないものにおもしろさがありそうです。
 有名な語句もしっかりと取りあげて解説してありますから、機会があれば、ぜひお読みください。

書名著者発行所発行日
寝床で読む『論語』(ちくま新書)山田史生筑摩書房2006年10月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 ふたりがケーキをつくっている。で、どっちがたくさん仕事をこなしたかを競争させようとすれば、「何個つくったか」「売り上げはいくらか」というふうに、どれだけ成果があがったかを数値であらわさねばならない。どっちが「より斬新なケーキをつくったか」とか「より楽しそうにつくっていたか」といったことは数字にはあらわれない。
 われわれは子どものころから、なにかにつけて競争させられてきた。そのせいか、なにごとにも優劣があるという先入観をもったまま、なんとなくオトナになってしまっていないだろうか。

(山田史生著『寝床で読む「論語」』より)





No.76 『岡倉天心 茶の本』 

 だいぶ昔、岡倉天心の『茶の本』を読んだことがありましたが、理解するところまでには至りませんでした。そして、30年以上茶道をして、改めてこの本を読んでみました。しかも、この『茶の本』はもともと英語で書かれたものですから、いわば翻訳されたものを読むわけです。そこに表現の難しさもあるわけですが、この本には村岡博氏の訳と原文が収められていて、いつでも対照して読むことができるようになっています。
 たとえば、「喜びにも悲しみにも、花はわれらの不断の友である」という語句にたいして、英語では、「In joy or sadness, flowers are our constant friends.」となっています。とくにおもしろいのは和歌で、利休の辞世句「人生七十 力囲希咄 吾が這の宝剣 祖仏共に殺す」の原文は、「Welcome to there, O sword of eternity! Through Buddha and through Daruma alike thou hast cleft thy way.」としています。どちらがわかりやすいかはさておき、比較することの良さを感じました。
 この本を読んで、ますますお茶が好きになりました。でも、この本が書かれた当時の茶道と、現在の茶道の違いもあり、そのまま単純にいいとばかり言い切れないところもあります。たとえば、「世人は耳によって絵画を批評する」というところは、ますますその傾向が強まっているように思いますし、「彼ら(茶人)は、人間は生来簡素を愛するものであると強調して、人情の美しさを示してくれた」というところなどは、そのようにあってほしいと願うばかりです。
 そもそもこの本は、「何が〈和〉でないか」という副題がついており、著者である黒崎政男の文章が前半に掲載されています。それを岡倉天心の『茶の本』を読んだ後に改めて読んでみると、考えさせられるところが多々ありました。ぜひ、世界に誇るこの名著を機会があればお読みください。

書名著者発行所発行日
岡倉天心 茶の本黒崎政男哲学書房2006年6月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 喜びにも悲しみにも、花はわれらの不断の友である。花とともに飲み、共に食らい、共に歌い、共に踊り、共に戯れる。花を飾って結婚の式をあげ、花をもって命名の式を行なう。花がなくては死んでも行けぬ。百合の花をもって礼拝し、蓮の花をもって冥想に入り、ばらや菊花をつけ、戦列を作って突撃した。さらに花言葉で話そうとまで企てた。花なくてどうして生きて行かれよう。花を奪われた世界を考えてみても恐ろしい。病める人の枕べに非常な慰安をもたらし、疲れた人々の闇の世界に喜悦の光をもたらすものではないか。その澄みきった淡い色は、ちょうど美しい子供をしみじみながめていると失われた希望が思い起こされるように、失われようとしている宇宙に対する信念を回復してくれる。われらが土に葬られる時、われらの墓辺を、悲しみに沈んで低徊するものは花である。

(岡倉覚三著・村岡博訳『茶の本』より)





No.75 『嘘とだましの心理学』 

 この本は、社団法人日本心理学会が2004年度に東京、仙台、京都、福岡で開催した公開講演会「嘘とだましの心理学」の講演者が中心に執筆し、さらにその領域の第一人者にも加わってもらい出来上がったものだそうです。
 私としては、アダムとイブの時代から人は嘘をつき、だまされ続けてきたのはなぜかという問いから読み始めました。この本を読む前に、『平気でうそをつく人たちー虚偽と邪悪の心理学』(草思社,1996年)や『擬態ーだましあいの進化論』(築地書店,1999年)などを読んでいましたが、これほど多方面から切り込んだものは初めてです。
 私たちは、「嘘つきは泥棒の始まり」と教えられ、その反対に「嘘も方便」とも聞かされて育ちました。たしかにその両面があると感じたのは、子どもから大人になろうとするときだったように思います。とくに第3章の「医療現場における嘘」というのは、なるほどと思うことしきりでした。
 ただ、最近多いオレオレ詐欺や悪徳商法などは絶対に許すことはできませんし、人を陥れようとするだましなどは論外です。とくに、平気で嘘をつきながら、嘘をついているとは思わないような人とはつきあいたくありません。
 嘘とだましを心理学的手法を使って解明しようとしたこの本に、だましはありません。ぜひ、機会があればお読みください。

書名著者発行所発行日
嘘とだましの心理学箱田裕司・仁平義明編有斐閣2006年7月30日
☆ ホンの旅 Column ☆

 乳幼児期、とくに自我が芽生える2歳代から、親に認められ、上人され、何よりも愛されて育った子どもは、けっして戦略的な「嘘」をつかないし人をだましたりしない。ウソが嘘に転化するのは身近な大人の誤解と悪意に満ちた、子どもへのことばかけと態度なのである。 (内田伸子)

(箱田裕司・仁平義明編『嘘とだましの心理学』より)





No.74 『鳥類図鑑』 

 今までも図鑑類は写真だけよりイラストのほうがわかりやすいと思っていましたが、この本でその感を強くしました。
 写真は、ある一方的な面をしっかり描写するのですが、わずかにそれたところとか微妙な部分とかは表現しきれません。でも、イラストだと、その微妙な部分をはっきりと描くことで、その違いが際だってきます。似たようなものでも、その対比する部分を大きく描くことによって、違いがわかりやすくなります。
 この本を見て、キセキレイやハクセキレイ、セグロセキレイは知っていたのですが、ツメナガセキレイを初めて知りました。また、マガモの仲間の詳しい区別も覚えました。このような図鑑は、いつも手元に置いて知らない野鳥がいたら調べてみるという使い方をするのが普通ですが、イラストがきれいなので、ときどきページを無造作に開いて楽しむ、というのもありだと思います。

書名著者発行所発行日
鳥類図鑑本山賢司 絵・文/上田恵介 本文監修東京書籍2006年7月14日



No.73 『なぜ僕は理科を好きになったのだろう?』 

 発行されたばかりの本でしたが、大人になってからはあまり聞き慣れない理科という言葉にひかれて、読み始めました。読んでみて、タイトルに『なぜ・・・・・』とつけた理由がわかりました。
 著者の肩書きは、空想科学研究所の主任研究員だそうですが、『空想科学読本』を書き、それがベストセラーになり、シリーズ化されたためのようです。たしかにこのシリーズは、累計で300万部にも達しているそうです。
 でも、この『なぜ僕は理科を好きになったのだろう?』は、一人の少年が理科を好きになり、紆余曲折を経ながらも好きであることを続けているその思いを綴っています。そして、その理科に対する思いが、実は人生観にもなっているような感じで、科学の本というより生き方の本のようでもあります。
 たとえば、「偉い人が言っているから正しい」とか「みんなが賛成しているのなら、正しいと思わなくちゃいけない」などという態度からは、科学する心は生まれない、と著者は言います。下の『ホンの旅 Column』でとりあげた箇所もそうですが、これは生き方というか信念です。
 理科という言葉を広辞苑で引いてみたら、「学校教育で、自然界の事物および現象を学ぶ教科。」とありました。ついでだから科学を引いてみたら「体系的であり、経験的に実証可能な知識。」とあり、なんとなく子どもと大人みたいな区別を感じました。
 本の最後に、「子どもを理科好きにするためのおススメ本」というのが10冊出ていましたので、いつか読んでみたいと思います。

書名著者発行所発行日
なぜ僕は理科を好きになったのだろう?柳田理科雄集英社インターナショナル2006年10月31日
☆ ホンの旅 Column ☆

 民主主義は多数決によって決定されるものではなく、少数意見を尊重する精神によって初めてもたらされる。
 科学の進歩は、すべて少数意見がもたらしてきたと言っても過言ではない。なにもガリレオばかりではない。教会から異端の熔印を押されたコペルニクスやブルーノ、時代は下ってニュートンやアインシュタイン、湯川秀樹たちは、みんな最初は少数派あるいは孤立した存在だった。
 これら偉大な科学者たちは、最初から「正しいとされていること」を白紙に戻して、自分の推論を確かめていった。そして、決して自説を曲げなかったからこそ、「正しいとされていたことは、間違っていた」 ということが明らかになったのだ。

(柳田理科雄著『なぜ僕は理科を好きになったのだろう?』より)





No.72 『フィルム』 

 久しぶりに短編小説を読んでみましたが、とてもおもしろく、一編一編の時間を空けて読みました。
 この本を読む前に『少し変わった子あります』という森博嗣さんの本を読みはじめましたが、あまりにも空想的で実態がつかみにくく、途中で飽きてしまいました。でも、この本は最後まで読みました。しかも、一気に読みたかったのですが、短編なので、いわばその間を無理にでも空けたのです。いわば、食事の間に水を飲み、次のメニューを楽しむようなものでした。
 やはり、「フィルム」がおもしろく、その意外な展開に唖然としました。もともと、写真が好きなので、『フィルム』という題名にひかれたこともありますが、古いネガフィルムを現像するという設定に意外性を感じました。普通ならば、現像された一枚の写真に物語があるのですが、現像もされていないフィルムから物語がはじまるのです。
 これは、やはり小説ですから、筋立てをしてしまえばつまらなくなりますので、興味のある方はぜひお読みください。10の短編なので、昼休みの時間でも読めます。10日で一冊読めてしまいます。

書名著者発行所発行日
フィルム小山薫堂講談社2006年6月23日
☆ ホンの旅 Column ☆

 人は何も持たずに生まれてくる。
 そして、必ず何かを残して死んでゆく。

(小山薫堂著『フィルム』より)





No.71 『一字一会 いま、何か一つだけ、字を書くとしたら?』 

 ある日の「ニュース23」のゲストで出ていた緒形拳さんが、突然、「ところで筑紫さん、いま何か字を書けって言われたら、何書く?」って聞いたので、さっそく色紙を持ってきて、筑紫さんは「無」を、緒形さんは「自在」と書いたそうです。
 そこから、この企画がはじまり、とうとう100人の方々に字と原稿を書いていただき、それを2004年1月から2005年12月まで『週間金曜日』に連載されたそうです。それと一部書き下ろしたもので構成してできあがったのが、この本です。
 個性豊かな人たちの一字ですから、字の選定も書き方もおもしろく、そのコメントも楽しく読ませていただきました。
 ちなみに、緒形拳は「開」でコメントは「開拓、開放、未開、我開。なにごとにも心を開く。自戒である。」であり、三國連太郎は「縁」で、「人生はまことに不思議な縁のつながりに驚きです」とありました。
 評論家の佐高信は「野」を書き、「野卑、野蛮はいただけないが、野人は私は好きである。在野もいい。野は官に対抗する。官がのさばる、あるいは肥大した社会は野を窒息させる。野に咲く花こそが美しい。ある俳人が「薊挿して薊のありし野をおもふ」と詠んでいる。」とコメントしています。

書名著者発行所発行日
一字一会 いま、何か一つだけ、字を書くとしたら?『週間金曜日』編集部株式会社 金曜日2006年7月7日



No.70 『慈悲をめぐる心象スケッチ』 

 この本は、著者もあとがきで書いているように、『思えばこの 「心象スケッチ」 は、賢治を中心には据えつつも、あくまでも私の心象を形成するさまざまな関係性の素描であった。』といいます。でも、どちらかというと、宮澤賢治が話題の中心であり、自分の心象をスケッチしたにしては私は少し物足りなさを感じました。それでも、あの有名な「雨ニモマケズ」に対する思いは並々ならぬものがあり、それが書かれている黒皮の手帳の写真まで紹介しています。この詩は11月3日の日付で、横書きの青鉛筆で書かれているそうですが、賢治は翌年の9月21日に亡くなっていますので、いわば遺書であるかのような気がします。
 この詩を読むたびに思うのですが、東西南北での出会いはお釈迦さまの四門出遊にも似ていて、いかに法華経に傾倒していたかが実感できます。とくに、今の世は、自分中心の考え方が蔓延し、自分さえ良ければ他はどうなってもかまわないというような風潮があります。だからこそ、もう一度、この「雨ニモマケズ」をじっくりとかみしめながら読んでいただきたいものです。
 慈悲とは、下の「ホンの旅 Column」にもあるように、自分自身と他人を同期させるような感情であり、とくに仏教ではとても大切にされてきた言葉です。他人に対する優しさが失われつつある今だからこそ、このような本が求められているのかもしれません。

書名著者発行所発行日
慈悲をめぐる心象スケッチ玄侑宗久講談社2006年8月28日
☆ ホンの旅 Column ☆

 慈悲とは本来は 「慈」と「悲」が組み合わさった言葉だ。「慈」の語源はサンスクリットのマイトリー、「悲」のほうはカルナーである。マイトリーは本来 「友」を意味する「mitra」から派生した抽象名詞で、特定の人ではなくすべての人への友情のこと。カルナーはいわゆる憐憫の情のことだが、嘆きを原義とするから、他者の嘆きに同化することで得られる深い理解と考えていいだろう。仏教以前から使われたが、大乗仏教においてこの二つは菩薩の重要な要件とみなされ、とくに観世音菩薩の特徴として「抜苦与楽」と訳されたりする。

(玄侑宗久著『慈悲をめぐる心象スケッチ』より)





No.69 『日本の特別天然記念物』 

 この本は、副題にあるようにトキ、カワウソ、マリモなど、日本で天然記念物に指定されている950種のうちの75件を選んで解説したものです。巻末には天然記念物や特別天然記念物の簡単な説明もありますから、その概要だけは知ることができます。
 これは、先に読んだ『日本の世界遺産を旅する』がおもしろかったので、ついでに読んでみたのですが、好きな自然や植物のことも多く、むしろこちらのほうが楽しく読むことができました。でも、旅行会社の本ですから、どちらかというと旅のお伴みたいな本で、あくまでも入門書でしかありません。本格的に特別天然記念物を調べてみようとする方には、おすすめできません。別な本をお探しください。

書名著者発行所発行日
日本の特別天然記念物(JTBキャンブックス)増井光子・蒔田明史監修JTBパブリッシング2006年6月



No.68 『花のくすり箱』 

 この本の副題が「体に効く植物事典」とあるように、身近な植物160種の薬効などを紹介したものですが、あまり薬草としては扱われていない植物などもあり、たのしく拾い読みをしました。
 著者は山形県のお生まれで、新聞記者などをした後、現在は医療ジャーナリストなどとして活躍しています。しかも、俳句や川柳などにも詳しく、この本にも随所で取りあげられています。春の「薬摘む」にたいして、秋は「薬掘る」というそうですが、このような言葉もこの本で初めて知りました。
 著者の「錦秋の野山に抱かれて、しばし世知辛さを忘れるのはいかが?」という問いかけに、つい、「そうですね!」とうなづいてしまいました。

書名著者発行所発行日
花のくすり箱鈴木昶講談社2006年5月19日
☆ ホンの旅 Column ☆

 わたしは、自然の恵みを経験的に受け継いできた知恵にこそ、暮らしの基盤があるべきだと思う。花や植物のもつ不思議な「力」は、自然界で醸成されたもの。だから、自然の一部である人間の心身も、花によって癒やされるのではないだろうか。殺風景な時代だけに、たくさんの花々との出会いから、新たな生活の喜びが始まることを信じたい。

(鈴木昶著『花のくすり箱』より)





No.67 『花の季節ノート』 

 写真がきれいなので、手に取りました。写真も良かったのですが、文章も長い気象予報の経験からにじみ出るような季節の花言葉がつづられ、こころにしみいるようでした。著者の文章は、ちょっとしたコラムなどでときどき読ませていただきますが、気の利いた言葉や俳句がちりばめられ、しかも短いので気兼ねなく、どこからでも読めます。おそらく、著者はたいへんな苦労をしながら綴っていると思うと、とても申し訳ないのですが、細切れの時間でも、有効に読めるというのは、とてもいいものです。
 それと写真がとてもさわやかです。真似して撮りたいと思うものもありますが、それがなかなか真似できないのです。それがプロとアマチュアの違いだろうと思います。この本は、写真に文章を添えたのか、あるいは文章に後から写真を撮ったのか、それを知りたいと思いました。
 ぜひ、こころが疲れたときにお読みください。

書名著者発行所発行日
花の季節ノート倉嶋厚 文、平野隆久 写真幻冬舎2006年7月25日
☆ ホンの旅 Column ☆

 年齢を重ねるにつれて、物事の存在理由に肯定的になるらしく、「あってはいけないこと」よりは、「あれは、あれでいいのだ」と思うことの方が多くなったような気がします。
 花についても同様です。冬の日を浴びてひっそりと咲くビワの花、早春の風に光るコブシ、弥生のサクラ、新緑の中のフジ、短夜の雨に匂うクチナシ、炎天に咲き続けるサルスベリ、野分の風に揺れるコスモスなど、それぞれの風情があって、みんな好きです。

(倉嶋厚著『花の季節ノート』より)





No.66 『なぜかいい町 一泊旅行』 

 旅の本を読み始めると、なぜか旅の本が続くような気がします。そして、不思議なことに、旅に出たいと思いながらも、出かける余裕がないときに読みたくなるようです。
 さて、この本は、著者がいいと思った町を16とりあげ、そこに旅をしたときのことを書いています。行ったことのある町もありますが、まだ行ったことのない町もあり、それなりに興味がそそられます。行ったことのある町は、自分の思い出とともに読み進めますし、行ったことがなければ、著者といっしょに旅しているつもりになります。
 この本は「あとがき」にも書かれているように、気ままなひとり旅のすすめであるとともに、平成ニッポンの地方をめぐる一つの私的な報告でもある。個性ゆたかな、つまりは自立した生き方をめざしている町々を選んだ、ということです。しかし、それでも、財政優遇措置と引きかえに市町村が合併し、由緒ある地名が惜しげもなく捨てられてしまいました。ここで取り上げられた16の町でも、登米町(宮城県)と渥美町(愛知県)は合併し、それぞれ登米市と田原市になったそうです。
 古くていいものが残っているうちに、私も旅をしてみたいと思いました。

書名著者発行所発行日
なぜかいい町 一泊旅行(光文社新書)池内紀光文社2006年6月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 見知らぬ町の朝はいいものだ。観光名所とされるところでも、人かげがない。建物や風景から頭上の空までも、ひとり占めできる。係の人も、朝はみんな機嫌がいい。特製のお茶をふるまわれたりする。
 そんな機会に、とっておきをおそわっておく。裏山の見晴らしがいい、といったことでもかまわない。土地の人の体験が選びとった一点があるものだ。

(池内紀著『なぜかいい町 一泊旅行』より)





No.65 『日本の世界遺産を旅する』 

 この本は、昨年に登録された知床を初め、屋久島や白神山地、日光の社寺、姫路城、原爆ドームなど、国内の世界遺産13件を豊富な写真で紹介し、その指定理由なども記してあります。やはり、旅行社の本らしく、行ってみたいという気持ちにさせる内容です。
 もちろん、最初に読んだのは昨年訪ねた屋久島です。もちろんヤクシマシャクナゲやサクラツツジの写真も載っていました。見ているうちに、ついつい思い出している自分に気がつきました。あの山道のきつかったこと、あの縄文杉に圧倒されたこと、そしてなによりあのヤクシマシャクナゲの見事だったこと、いろいろと思い出してしまいました。
 いつか、この本を持って、日本の世界遺産を旅してみたいと思いました。

書名著者発行所発行日
日本の世界遺産を旅する(JTBキャンブックス)鳥澤誠編集JTBパブリッシング2006年6月



No.64 『どんな時でも「元気」と「やる気」が出るこの一言』 

 いい意味でも、悪い意味でも、たった一言で人生が変わってしまうことがあります。そのいい意味での一言、「元気」と「やる気」が出る一言を集めて解説したのがこの本です。
 私も、一言の大切さを感じていて、5年ほど前から『大黒さまの一言』というホームページを作成していますが、毎週、古今東西の著名な方々の一言を掲載し、それに自分なりの解説をそえて載せています。もし興味のある方は、一度、
「大黒さまの一言」をのぞいてみてください。なお、携帯電話のiモードでも見ることができます。
 この本の内容は、5章に分かれていて、ほとんどが思春期の子どもたちに向けてのものです。親御さんにとっては、もし子どもたちが言うことを聞かなかったり、落ち込んでどうしようもないときなどの参考に読んでいただきたいと思います。ただ、この一言だけがすべてではありませんので、自分なりの一言を考えることも大切ではないでしょうか。

書名著者発行所発行日
どんな時でも「元気」と「やる気」が出るこの一言多湖輝新講社2006年7月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 「苦しいときは下を見よう。幸せなときは上を見よう」
 この言葉を最初に聞いたときは、逆じゃないかと思いました。
 「苦しいときは上を見て、元気になろう。幸せなときは下を向いて、おごりを戒めよう」
 でもやっぱり見出しの言葉でいいことがわかりました。
 なぜなら、自分の苦しみなんか、苦しみにもならないと思えるからです。たとえば失業をしたとします。来月、給料が入ってきません。でもこの地球上には、今日明日の食べ物がなくて死んでしまう人がたくさんいます。水さえ飲めずに死んでしまう子どもがいます。そうした現実を知れば、仕事がないくらいで落ち込む自分が恥ずかしくるはずです。
 逆に幸せなときに植えを見ることで、もっとがんばれる力が出ます。上を見続けていれば、傲慢にならずにすみます。

(多湖輝著『どんな時でも「元気」と「やる気」が出るこの一言』より)





No.63 『脳が「生きがい」を感じるとき』 

 「生きがい」を感じるときとは、いついかなるときか、などと考えていたら、この本と出会いました。人間は、なにを求めて生きているのか、と考えたら、かえって分からなくなってきました。では、なにも考えないほうがいいのかといえば、それではなんのために生きているのかさえ分からなくなります。人間とは、なかなか難しい生きもののようです。
 結局は、なんだかんだと理屈をこね回しても、一人ではなかなか生きがいを感じられないようです。やはり、「分かちあうこと」が大切なようです。人間とほぼ同じような脳を持つチンパンジーは、言葉をもたないがゆえに、表現としての「分かちあうこと」ができないのです。満足の探求と快楽の追求とは、まったく別物です。そこのところを、いろいろな実験を繰り返しながら探っていく、それがこのような厚みのある本になっていったのではないかと思います。著者は脳科学者であり、精神科医であり、なんどかニューヨークタイムズ紙に取りあげられたこともあります。
 ちょっと読み応えのある本ですが、読み進めていくと、人間のほんとうの満足はどこからくるのか、その片鱗がうかがえると思います。

書名著者発行所発行日
脳が「生きがい」を感じるときグレゴリー・バーンズ著・野中香方子訳日本放送出版協会2006年7月25日
☆ ホンの旅 Column ☆

 年をとって軽いパーキンソン病のようになりたくなければ、調整されたエンジンのようになめらかに活動するドーパミン・システムを保つことだ。それには新しい体験や新しいことへの挑戦がもっとも効果的である。突然任された仕事をうまくやり遂げたあとの満足感、あるいは肉体的にも精神的にも大変な労力が必要とされる不慣れな仕事に取り組もうとするときにわき上がってくる満ち足りた気持ちは、あなたが本来すべきことをしているというシグナルを脳が出している証である。

(グレゴリー・バーンズ著『脳が「生きがい」を感じるとき』より)





No.62 『岩波 漢詩紀行辞典』 

 中国に行くたびに、そこの場所で読まれた漢詩があるかどうかが気になっていましたが、この本を見れば、すぐ見つかります。これはとても重宝するものだと思います。
 いつでしたか、中国の峨眉山に行ったとき、あの有名な李白の「峨眉山月歌」の一節を思い出しました。それを中国の方に読んでもらったら、流れるような韻律でとても感動したことがあります。それを日本語の読み下しにしても、あまり感動はありません。だから、そのときに少しばかり中国語を勉強しました。
 それ以来、中国を旅するたびに、その場所の漢詩を調べ上げ、四声をできないながらもこだわったりしました。その一つが、楊基の「夢遊西湖」です。これは中国語の先生である中国人留学生がふるさとに帰省するときに一緒に連れて行ってもらったときのことで、上海から蘇州、そして杭州へと旅をし、西湖ではたくさんの蓮の花が咲いていました。それを見ながら、中国人留学生が詠じてくれたのです。

 夢遊西湖  夢に西湖に遊ぶ  楊基
 採蓮女郎蓮花腮 蓮を採るむすめ 蓮の花の腮(あぎと)
 藕絲衣輕難剪裁 藕(はす)の糸 衣(ぬの)はかるからんも 剪裁(た)ちがたし
 瞥然一見唱歌去 ちらりながしめして 歌 うたいて去る
 荷葉滿湖風雨來 荷(はす)の葉 湖にみち 風雨 きたる

 この本は、これからの長い人生において、ときどき活躍してくれることでしょう。もし、漢詩に興味のある方は、一度、手に取ってみてください。

書名著者発行所発行日
岩波 漢詩紀行辞典竹内実編岩波書店2006年5月25日



No.61 『デジタルカメラで撮る海谷和男昆虫写真』 

 たまに赤とんぼの写真を撮ったりすると、この動くものをよく撮れるなあ、と感心してしまいます。その動く昆虫を撮り続けているのが著者です。
 昆虫の写真それぞれに、昆虫の説明や写真を撮ったときのやり方なども載っていて、とても参考になります。なるほど、この写真はこうして撮影したのか、などと考えると、撮れるかどうかは別にして、撮れそうな気がしてきます。実際には、そんなに簡単には撮れないのでしょうが、種明かしをされたマジックみたいに、何となくできそうな気がしてきます。ただ、動くものをジーッと待つことができるかどうかです。あるコックさんは、いつでもスープをおいしくつくるコツを教えてあげます。ただ、それだけの時間をかけてつくれるかどうか、それが問題です、と話されたそうです。本当にそうだと思います。
 できれば、1枚だけでも、ここの作例に載っているような写真を撮ってみたい、そう思いました。昆虫に興味のある方は、とても参考になるはずです。機会があれば、どうぞ。

書名著者発行所発行日
デジタルカメラで撮る海谷和男昆虫写真海谷和男ソフトバンク クリエイティブ2006年8月3日



No.60 『変な人が書いた成功法則』 

 電車で移動するときは、いつも文庫本を持っていきますが、今回はこの『変な人が書いた成功法則』でした。特別な理由はありませんが、短時間で読めそうなのと、裸一貫から「日本一の大金持ち」になった非常識みたいなものを見てみたいというような気持ちからです。
 でも、たしかに普通には考えないようなことも書いてありましたが、成功するにはしっかり物の本質をとらえているような気がします。人を騙したり、け落としたりして成功できるわけがありません。
 「神様は私たちを苦しめようとはしません。神様は私たちに、与えて、与えて、与え尽くしているのです。だから、困ったことも起こらないのです」といい、もし苦労ばかりしているのなら、それは神様が「そのやり方は間違っているんだよ」と教えてくれていると考えるのだそうです。
 やはり、自分一人が頑張っていると考えるようでは、成功しないかもしれません。神様がいて、多くの人たちに支えられて、そして自分がいる、と考えることが大切だと思いました。

書名著者発行所発行日
変な人が書いた成功法則(講談社+α文庫)斎藤一人講談社2003年4月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 まんべんなくできるという人は、可もなく、不可もありません。何かがずば抜けてできるという人は、何かができないものです。それが当たり前なので す。
 それで形が多少いびつであっても、それはそれでいいのです。
 雪の結晶は、それぞれがいろんな格好をしています。どれをとっても、同じ結晶はありません。でも、雪の結晶は、雪の結晶。それで完壁なのです。
 形は微妙に違っても、美しく輝きながら、降り積もればそれでいいのです。

(斎藤一人著『変な人が書いた成功法則』より)





No.59 『もっと世界を、あたしは見たい』 

 ネパールに学生時代に留学していたという一言で、この本を読み始めました。たしかにお金があまり無くても世界旅行はできる、という啓蒙にはなりますが、誰にでもお勧めというわけにはいきません。それなりのトラブルや危険は当たり前です。日本で生活しているそのままの態度でやろうとするならば、絶対にやめた方が無難です。
 ただ、著者のように、自分ですべての責任を背負い、泣いても笑ってもそのトラブルに喜びを見出し、むしろトラブルがあるほうがトラベルらしいと考えるような方ならおすすめです。これは自分の経験からも言えることですが、日本の常識はまったく通じないと考えた方がいいと思います。それと、危機管理だけは身につけておいた方がいいでしょう。もし危険なことに出会ったら、冷静な判断は大切なことです。
 まずは、「これも神様が仕組んだ芝居かなと思って、やることにした。」という決断こそが前進するために欠かせないものです。

書名著者発行所発行日
もっと世界を、あたしは見たい白川由紀ポプラ社2006年8月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 自分の手だけで何かをやろうとすれば、東京で普段流れているスピードの何十倍も時間 がかかる。しかもこもってやっている作業だから、社会からはすっかり足が遠のいた。  けれど自分の青い鳥がそこに育ちはじめている以上、あたしがあえて周りのスピードに 合わせる必要はまったくなかった。

(白川由紀著『もっと世界を、あたしは見たい』より)





No.58 『ファーブル昆虫記の旅』 

 とんぼの本ですから、写真も多く、こだわりのある記事もあり、楽しく読みました。
 ファーブルは日本では知らない人がいないほどですが、それは世界の中では珍しいのだそうです。その理由は、奥本氏は「日本人は大の虫好き。それに自然のあらゆるものを見つめる時のファーブルの観察眼に共感が持てるのでしょう」といい、今森氏は「勤勉で不屈なファーブルの精神は、そのまま日本人的だからではないでしょうか」といいます。
 しかし、フランスのパリ国立自然史博物館のイヴ・ドゥランジュ教授は、宗教の違いだと書いています。「日本人がファーブルにひかれる理由はとても深い意味があります。それは、西洋と東洋の世界観の違いも関係していると言ってもいいです。フランスはカトリックがほとんどですが、この宗教は、人間は世界の中心だという思想です。コペルニクスやガリレオといった科学者が、あるとき地球の周りを太陽が回っているのではなく、地球は太陽の周りを回っている一惑星にすぎないと言ってしまった。このことで、カトリシズムとまっこうから対立してしまったんですね。東洋では、こうした宗教の摩擦がなかったので、視野が広くて自由であるように感じます。自然に敬意をはらい、生物にたいして人間以上でもなく、また以下でもない、同等のものとして見る考え方が強くあります。」
 私も、どちらかというとイヴ・ドゥランジュ教授の考えに納得します。
 なお、この本で知ったのですが、NPO日本アンリ・ファーブル会の「虫の詩人の館 ファーブル昆虫館」が東京千駄木にあります。詳しくは、ホームページ http://www.fabre.jp/ をご覧ください。

書名著者発行所発行日
ファーブル昆虫記の旅(とんぼの本)奥本大三郎・今森光彦新潮社2006年7月25日



No.57 『供養のこころと願掛けのかたち』 

 今年9月の坂東33観音霊場巡りの際、第25番札所の筑波山大御堂の境内で、「筆」の一字を御影石に刻んだ筆塚を見つけました。さらに以前は茶筅供養などもしたことがあり、様々な供養の姿をみてみたいと思い、読み始めました。
 私たちは、道具を手足の延長や補助として使ってはいますが、それを捨てる段階になると、なかなか捨てられないものです。万年筆なんか、こわれたものも含めて、いまだに15〜6本ほどあります。これは惜しいというより、また別な感情です。たしかに無機質なものにすぎないのですが、愛着もあり、感謝の気持ちもあり、もっと別な、なんとも表現できないような意識もあります。それを知りたかったのです。
 この置賜地方には、草木供養塔という全国的にも珍しい供養塔があります。それにも若干触れてはいますが、草木への慰霊行為だけではないように思います。全国各地での供養の実体と願掛けのいろいろを紹介してありますので、興味がありましたら、ご一読ください。

書名著者発行所発行日
供養のこころと願掛けのかたち田中宣一小学館2006年8月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 現代に生きる私たちは、物事を合理的に考える習慣を身につけていると思っている。その一方で、無生物の道具類に霊性を認めて、捨てるさいにわざわざ供養をしたり、魚や鳥獣草木類に人間と同じような生命を感じて、丁寧に供養しようとする心も備えている。また、ダルマに片目しか入れないで願い事をかなえてもらおうとする、呪術行為も平気で行なっている。
 私たちは、どうも、人間や自然を超脱した神というようなものに強くかかわりながら、心の安定を求めなければ生きていけないようだ。これは既成の宗教を信じるのとはまた別の問題である。父祖の時代や、それよりずっと前から受けつぎ、血肉として染み込んでいる伝承的心意である。

(田中宣一著『供養のこころと願掛けのかたち』より)





No.56 『現代語訳 般若心経』 

 般若心経を一般の方にわかりやすく解説する必要があり、何冊もの解説書をまとめて読んだことがあります。
 でも、この本は、解説書というよりは、創作本のような書き方で、ちょっと取っつきにくいところがありました。このような切り口もあるのか、という印象でした。やはり小説を書いている方の文章だと思いました。
 そういう意味では、ユニークな本で、現代語訳というよりは、「私説 般若心経」という感じです。それでも最後に、「般若心経」の訳とか書き下しのものがあり、さらには僧侶らしく、木魚を入れてのよみ方まで解説してあります。そして、空海筆や良寛筆の「般若心経」や絵心経まで図版で載せられてあり、「般若心経」に対する並々ならぬ思いが秘められていると思いました。
 機会があれば、お読みください

書名著者発行所発行日
現代語訳 般若心経(ちくま新書)玄侑宗久筑摩書房2006年9月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 暗闇のなかでも、苦悩の最中にも、また病に臥せっていても、はたまた悲しみに打ち沈んでいても、いつでもどこでも「般若波羅蜜多」への道は静かに続いています。それは究極のやすらぎ(捏築) へと続く道です。
 あとはどうぞ、あなたなりのやり方でこの道を歩きはじめてください。やすらぎが苦悩とは同居できないことを、あなたはやすらぎのうちに感じることでしょう。
 観音さまのように五蘊がみな「空」であると実感され、一切の苦悩や災厄から自由になられることを念じています。

(玄侑宗久著『現代語訳 般若心経』より)





No.55 『「仏教伝来」の道ーシルクロード 平山郁夫の旅』 

 平山郁夫の絵はずいぶん見ていますが、なんど見ても飽きさせないなにかがあります。瀬戸田町の平山郁夫美術館に行ったときには、子ども時代の絵が展示されていましたが、さすがというものを感じました。
 この本は、平山自身が序で、「近年、宗教に関わる事件が世界的に多発している。多くの人々が巻き込まれ、居合わせただけで犠牲になる人が跡を絶たない。人の心を救い、心の病を癒すはずの宗教が、かえって人の命を危うくするのは、本来の姿ではない。殺生を禁じ、心の安寧を説く仏教の精神は、今日こそもう一度見直されるべきであろう。本書がその一助となれば幸いである。」と書いています。
 私の外国の友人から、中東問題はイスラム教対キリスト教という側面があるから、宗教的に不殺生を説く仏教の国である日本こそ仲裁に入るべきだ、と言われたことがあります。この本を見て、このときの一言を強烈に思い出しました。アメリカの追随的イエスマンから脱皮し、世界から期待されている日本独自の行動をそろそろ考えるときがきているのではないかと思いました。

書名著者発行所発行日
「仏教伝来」の道ーシルクロード 平山郁夫の旅平山郁夫画、谷岡清編日本経済新聞社2006年7月31日



No.54 『ロマンティックに生きようと決めた理由』 

 葉山で出会った11人が、思い思いの『ロマンティックに生きようと決めた理由』を書き記し編集したものです。ロマンティックなどという形に表れない秘めた思いを書くという作業は、意外と難しいと思います。それと、少し恥ずかしいという気持ちもありそうですが、その恥ずかしさがなくなってからでは思い出そうとしても思い出せないからという気持ちもまた考えられそうです。
 若いときには、むしろあまりロマンティックに考えないようにとブレーキを掛けていたと思うのですが、年を重ねていくと、そのロマンティックに考えることすらできなくなる自分を見つけたりすると、ちょっとショックです。そうならない前に、ぜひ、読もうと思いました。
 では、自分がロマンティックに生きたいと思った理由は、と問われれば、夕日のような気がします。あの夕日をずーっと眺めていたいと思う気持ちを持ち続けたいと思っています。そこで、今年一年間の写真をハードディスクから拾ってみると、・・・・・、ありました、夕日の写真が。
 しかも、数十枚も見つかりました。なぜかホッとしました。

書名著者発行所発行日
ロマンティックに生きようと決めた理由永井宏編アノニマ・スタジオ2006年7月11日
☆ ホンの旅 Column ☆

 僕らはひとりでは生きていけないから、さまざまな人たちといろいろな形で知り合い、楽しかったり、悲しかったり、嬉しかったりする関係をつくっていくことで、豊かに生きるということを覚えていく。だからこそ、そうしたことを語り合いながらも、自然な成り行きのなかで、何かを創作するという意識を共有する人たちが、出会ったり、去っていったりすることを繰り返す場所というのを望んでいた。

(永井宏編『ロマンティックに生きようと決めた理由』より)





No.53 『ブッダは、なぜ子を捨てたか』 

 『ブッダは、なぜ子を捨てたか』というセンセーショナルな題名を見て、おそらく著者独自のブッダ像を展開しているのだろうと思いましたが、まさにその通りでした。たしかに出家ですから、捨てたといわれればその通りですが、それではあくまでもブッダの妻ヤソーダラーや子のラーフラの立場から見た姿でしかありません。家族から見ればそのようにうつったかもしれませんが、その他の人にとってみれば、ブッダが出家したことのほうが大切で、なぜ出家しなければならなかったのかを考えなければならないと思います。それはよくいわれる「四門出遊」の物語かもしれませんし、自分の子どもの誕生がきっかけかもしれません。
 しかし、そのいずれも2,500年も前のことですから、誰にも真相はわかりません。わからないことをあれこれ詮索するよりも、出家後のブッダの思索活動のほうが私には興味があります。この本の後半では、「ブッダの教えは、日本へどのように広まったか」とか「ブッダは今、どこにいるのか」などの章もありますが、これも研究者としての一見解です。
 でも、このような見方もある、ということでは、一読するのもいいかもしれません。なお、下の「ホンの旅 Column」の文は、新書の扉に書かれていたものです。

書名著者発行所発行日
ブッダは、なぜ子を捨てたか(集英社新書)山折哲雄集英社2006年7月19日
☆ ホンの旅 Column ☆

 「ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ」
 (ダンマパダ・21-305、中村元訳『ブッダの真理の言葉 感興のことば』)

(山折哲雄著『ブッダは、なぜ子を捨てたか』より)





No.52 『真っ当な日本人の育て方』 

 著者は、小児科医としての長い経験から書かれたもので、その一つ一つがとても示唆に富んでいます。
 たとえば、下の「ホンの旅 Column」もそうですが、ゴム乳首の孔の大きさは肥満につながりますし、また「食料を手に入れるには大変な苦労が必要なんだ」ということを教える大切な機会としてもとらえています。また、母は「心の安全基地」というのも納得ですし、これはこれから子育てをする方にはぜひ読んでもらいたいと思います。
 そういえば、子どもの個性を尊重するという話しをよく聞きますが、ちょっと間違うと自己中心的で社会の一員である自覚すらできなくなります。アメリカでは、「子どもたちには叱られる権利がある」という意見すらあります。よく、他人に迷惑をかけない人になってほしいといいますが、それだって大きな問題だと著者は言います。ここには大きな落とし穴があって、「他人にとって迷惑でないと自分で判断しさえすれば、何をやってもいい」とか、「迷惑になるといけないから、他人のことは知らないふりをするのが一番だ」と考えたとすれば困ることになります。
 昔は、ここに書かれてあることはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんはほとんど知っていたことで、そのなかで子育てをしていると心配もなかったのでしょうが、現在の核家族のなかではそうもいきません。やはり真っ当な日本人に育てるには、親も真っ当な日本人でなければならないということなのでしょう。

書名著者発行所発行日
真っ当な日本人の育て方田下昌明新潮社2006年6月25日
☆ ホンの旅 Column ☆

 日常生活で子供に法を守る精神を植え付けるには、「誰も見ていない場所」 や「誰も見ていない時間」をできるだけ与えないようにするのが大切です。とはいっても、実際問題としてはなかなか難しいことです。しかし、この難問を一挙に解決できる方法が一つだけあります。それは、神仏の存在を親が認めることです。そして、できれば倍ずることです。もし、これができれば、子供にとって、誰も見ていない場所も時間もたちまち消え失せてしまいます。いつでも、どこでも、神様や仏様が見ているからです。またもし、親が神仏の存在を認めることができない場合でも、子供には 「神様が見ていらっしゃるよ」 「お釈迦様が見ておいでになるよ」と言ったほうがいいのです。

(田下昌明著『真っ当な日本人の育て方』より)





No.51 『おぼうさん、はじめました。』 

 著者は、お寺の息子でもなく、仏教系の大学を出たわけでもなく、なんとなく僧侶になりたいと思っていて、卒業と同時になってしまったという感じのおぼうさんです。でも、「仏教を信じるとはどういうことか」という問いに対しては、「常に我が身の在り様について、ブツダの教えに照らして折に触れ問い直し、よりよく生きていこうと感性を研ぎ澄まし努力し続ける姿勢」と答えるなど、世襲でおぼうさんになった方よりは真剣なようです。
 たしかにお寺の生活って、外から見るよりも大変で、休みもなければ不意の出来事が多く、自分の時間がありそうでないような生活です。しかも、理想と現実の違いも大きく、たとえば袈裟ってもともとは糞掃衣(ふんぞうえ)といって、まさに用の無くなった端布を縫い合わせてつくったものですが、本当に糞掃衣のような袈裟ではよろこばれないから、ついつい立派に見える金襴などの高級布でつくるのです。一事が万事、こんな調子です。
 それらを、『おぼうさん、はじめました。』というブログに日記風に書きつづったのがこの本です。お寺に住みながら、しかも若いこともあり歯に衣着せぬ書き方が楽しい読み物になっているのかもしれません。でも、考え方が哲学科を出たこともあり、核心部分を突いており、いろいろと考えさせられるところもありました。
 なお、虚空山彼岸寺のアドレスは、http://www.higan.net/です。また、『おぼうさん、はじめました。』ブログのアドレスは、http://www.higan.net/blog/hajimemashita/です。本も楽しいですが、こちらも新鮮な情報が載っていて、おもしろいです。

書名著者発行所発行日
おぼうさん、はじめました。松本圭介ダイヤモンド社2005年12月15日
☆ ホンの旅 Column ☆

 目まぐるしく変わり行く時代のなか、ずーっと変わらないものをいかにして生きたままの状態で守り伝えていくか。かたちを守ることも大切だが、守るだけでは伝わらない。かといって壊すだけでは何も残らない。仏教徒であるスティーブン・セガールは「仏教は宗教ではない、生き方だ」と言ったが、そのとおり、自分が仏の教えのなかに生きてこその仏教である。ぼくはまだ道を歩み始めて入り口の入り口。「まだ」というか、きっといつまでも入り口にとどまっているのだろう。だが、仏教を生きるとまではいかずとも、少なくともそちらの方向に向かえていることは、素直にうれしい。

(松本圭介著『おぼうさん、はじめました。』より)





No.50 『雲の世界』 

 今年の4月22日から書き始めた「ホンの世界」ですが、ちょうど区切りのよい50回目を迎えました。だから○○の世界でも、雲をつかむようなものでもないのですが、活字ばかりよりはきれいな雲の写真を見てみたいと単純に思いました。
 雲の分類は10種類あるとは知っていたのですが、その変種などになると多様な雲の名前があり、写真を見ても判断できないものもありました。それでも、雲の写真を見ていると、なぜか空を眺めてボーッとしてしまうような気分になり、それはそれで楽しい時間でした。著者も「雲に二つとして同じものは無いのは誰でも知っている。しかし、改めて空を見上げれば、美しさと不思議さと、そして何よりも夢を抱かせる何かがある。」と書いていますが、まったくその通りです。
 しかも、後半には、「空から見る雲」や「人工衛星から見える雲」など、普通ではなかなか見られない雲の写真もあり、何度も何度もページを繰りました。
 なかなか手に取る機会の少ない分野だと思いますが、一度は見ていただきたいものです。

書名著者発行所発行日
雲の世界山田圭一成山堂書店2006年7月28日



No.49 『いまこの国で大人になるということ』 

 この本は16人の方々が、いまこの国で大人になるということの大変さと意義などをそれぞれの立場で書き、それを編集したものです。主題が今を題材にしていることから、その書き手の個性が際だち、一気に読んでしまいました。でも、その後が大変で、なんども読み返したところもあり、350ページ程度の本だと2〜3日で普通は読むのですが、とうとう5日もかかってしまいました。やはり一人の著者だと読み進めていくうちに言いたいことが自ずと理解できるのですが、16人ともなるとやはり時間が必要です。
 そのなかで印象に残った言葉は、「ばかやさしい」ということです。これはドイツのある地方の言葉だそうですが、人は友情や行為を寄せるあまり、ばかになります。たとえば、子どもたちは、こんなことをしたら怒られると思いながらもしてしまうことがあります。それでも怒られないと、逆に変だなあと思ってしまいます。そして、そのようなことが何度かあると、子どもたちはその怒らない大人たちをやさしいとは思わず、逆に尊敬しなくなります。これはドイツのエーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』という本に出てくるそうです。
 この本を読んで、たしかに子どもたちが大人になることの難しさもありますが、大人が子どもたちに大人になるようし向けないという側面もあるように思いました。もし、今、中学生や高校生の子どもたちとどのように接したらいいのか迷っている方がおられましたら、参考になるかと思います。ご一読をおすすめします。

書名著者発行所発行日
いまこの国で大人になるということ苅谷剛彦編著紀伊國屋書店2006年5月11日
☆ ホンの旅 Column ☆

 大人になることは確かに面倒だしシンドイ面がいっぱいある。それまで許されていた自由な振る舞いが制限されたり、社会的役割や責任というものも背負い込まなくてはならないだろう。でも、大人になることにはまた子どもの時とは違った喜びがある。甘いお菓子ばかりを喜ぶ子どもには決してわからない苦味の良さというものがある。子どものころにはとても口にできなかった山菜や海の幸がおいしく感じられるように、「大人」には〈ビターな生の味わい〉を楽しめる贅沢がある。 (菅野仁)

(苅谷剛彦編著『いまこの国で大人になるということ』より)





No.48 『魔術師のたいこ』 

 この本には、ラップランドに住むサーメ人のあいだで語り伝えられてきた、いわば民話のようなものを12篇おさめられています。サーメ人は、国境などというものがないときから自由に移動しながらトナカイの放牧を生業として暮らしてきた先住民族です。
 その伝承されてきた文化も独特なもので、もちろん民話もその生活から生まれてきたものです。とくに、野イチゴやシラカバ、そして氷河近くに咲くキンポウゲなどの植物の物語は、興味深く読みました。
 この一つ、『氷河に咲くキンポウゲ』物語で、母親は娘に「布を染めるために使うだけの花をつんでくるのですよ。けっしてよぶんに花を取ってきてはいけません。それから、あまりたくさん咲いていない、めずらしい花は、つみとらないで残しておくのですよ」 と教えます。しかし、綺麗なドレスをつくりたいばっかりにその教えを破り、とうとう氷河のそばに咲くキンポウゲにされてしまいます。
 やはり、山で咲く珍しい花たちは、ひっそりと山で咲いてこそ美しいものです。それを民話という形で、ずーっと伝承してきたサーメ人は、おそらく自然のなかで生きるためには、動物や植物などとも心を通わせてきたのではないでしょうか。それが、今の私たちに、もっとも欠けている部分だと感じました。

書名著者発行所発行日
魔術師のたいこレーナ・ラウラヤイネン著、荒牧和子訳春風社2006年6月6日




No.47 『南洋の島語り タヒチからの手紙』 

 この本は、その装丁のおもしろさから手に取りました。なんと、CDサイズで、大きさも三枚組のアルバム程度です。これなら、旅に持ち出しても気軽に読めるかもしれません。しかも、いかにも素人のようなスナップ写真ばかりがページの半分を占めています。この意外性が、読み始めるきっかけとなりました。
 この内容は、毎日新聞の日曜版に2003年10月5日から2004年9月26日まで掲載されたものだそうです。著者は、現在タヒチに住む作家ですが、この島に住んで、見て感じたそのままを書きつづったようです。その一つを紹介しますと、タヒチではわざわざ木を植えなくても勝手に山にココナッツやパンの木などが自生しています。だから現地の人たちは、時間と手間のかかる木を植えるなどという作業はしないそうです。でも、著者は植え始めました。そのとき、その木を植えたことすら忘れるのがいいと思ったそうです。本人いわく、「もちろん、周囲の潅木を切って光をあててやったり、蔦を切ったりする、手入れは忘れてはならない。しかし、それがいつか果物の実る木であることを忘れること。・・・・・すると、奇跡が起きる。ある日、突然、発見するのだ。忘れていた木が成長し、実をつけはじめるのを。」と、木を植えることすら楽しんでいます。
 たしかに、住んでみて初めてわかる良さと悪さもあるでしょうが、今はタヒチの生活を十分に楽しんでいるようです。この本の写真は、男友達で彫刻家のジャンクロード・ミッシェルが撮ったものでした。

書名著者発行所発行日
南洋の島語り タヒチからの手紙坂東眞砂子毎日新聞社2006年7月30日
☆ ホンの旅 Column ☆

 昔からのタヒチ島の暮らしとは、豊饒に実るバナナやタロ芋をとってきて、食べるだけでよかった。海に行けば、魚は簡単に釣れる。実際、明日は今日と同じ、そして今日は昨日と同じだったのだ。
 それは、変化のない、悠久の時の中に、永遠の時の中に住むことを意味する。タヒチ人は相変わらず、明日は今日と同じだと信じて生きている。その精神が、この変化の時代にあってなお、タヒチ島のゆったりした楽園気分をかもしだしている。

(坂東眞砂子著『南洋の島語り タヒチからの手紙』より)





No.46 『アメリカよ、美しく年をとれ』 

 9月20日の国連総会一般討論で、ベネズエラのチャベス大統領がブッシュ大統領を8回も悪魔と呼ぶなどの演説をしたことがニュースに出ていました。しかも、その演説に多くの拍手があったといいます。そういえば、2006年2月の共同通信は、世界でもっとも悪い影響を与えている国はイランで、次がアメリカだと伝えています。しかも、昨年はトップだったそうです。なぜ、これほどまでにアメリカが世界中から嫌われているのかと考えたとき、この本と出会いました。
 著者自身、「この本は半世紀以上にわたる私のアメリカ心象風景をまとめたもの」と書いていますが、自分が好きなアメリカがこのように世界中の嫌われものになりつつあるのがとても心配しているようです。私自身のアメリカも、ジャズやポップスの音楽を初め、ブルージーンズやコカコーラなど、いろいろな面で多くの影響を受けて育ってきました。おそらくは、アメリカがもっとも輝いていた時代でした。
 それが、ブッシュ政権になって2ヶ月あまりで京都議定書から離脱したり、一方的にABM制限条約からの撤退をロシアに通告したり、イラクの生物化学兵器の存在などを理由にイラクに侵攻したのに自分は生物兵器禁止条約に参加しないなど、まさに「一国中心主義」そのものです。これで他から好かれるわけはありません。
 この本を読めば、それらのことがはっきりと理解できます。そして、アメリカが美しく年をとってほしいという著者の気持ちもわかると思います。もし、興味がありましたら、お読みください。

書名著者発行所発行日
アメリカよ、美しく年をとれ(岩波新書)猿谷要岩波書店2006年8月18日
☆ ホンの旅 Column ☆

 私はアメリカが軍事力より経済力へ、経済力より文化力へと、関心の重点を移行させるのが一番優れた方策であると信じる。他国に介入して怪獣ゴジラのように肥大化した軍事中心の国になるよりも、自分だけで警察官をつとめることの無益を悟って、自国内にまだ20%近くもいる貧困層の救済に努めた方が、結果として世界からの賞賛と好意を得る道につながると思っている。
 そのときこそ、アメリカは美しく老い始めるのだ。世界に手を広げすぎて動きがとれなくなる前に、アメリカは軸足を少しずつでも移動させ始めなければいけない。

(猿谷要著『アメリカよ、美しく年をとれ』より)





No.45 『鎌倉古寺歴訪』 

 今年9月から坂東33観音霊場巡りを始めたのを機会に、その関連するものを読みましたが、これもその1冊です。
 著者は昭和23年生まれで、普通の会社勤めですが、趣味が鎌倉史跡巡りといいますから、その延長線上にこの本はあります。その知識を縦横無尽に駆使され、とても楽しく読ませていただきました。
 ここでは鎌倉33観世音霊場巡りを中心に書いていますが、これが設けられたのは大正から昭和にかけてのころだそうです。すべて鎌倉市内にあり、坂東33観音霊場の三つの札所もここに含まれています。その巡礼の道すがら、社寺仏閣だけでなく、鎌倉に住まなければわからないようなことなどにも触れており、居ながらにして鎌倉通になれそうです。
 一昨年、ここに2泊して歩きましたが、この本を読み、行ってみたいところがすごく増えました。また、来月10月末に鎌倉で講演会があるので、そのときにでも、時間をつくり回ってみたいと思います。

書名著者発行所発行日
鎌倉古寺歴訪山越実文芸社2006年1月15日
☆ ホンの旅 Column ☆

 鎌倉に住み始めて四半世紀が過ぎた。五十路を迎えた頃、古寺巡礼の旅に出たくなった。寺院や仏像が心に染みる歳に達した証かもしれない。幸いにも市内に鎌倉三十三観世音霊場がある。霊場巡りを兼ねて、古寺にまつわる歴史を学ぶ。巡礼の身になって静かな霊地に赴き、無心で観音に合掌する。その時、世知辛い時代に漠然と思い巡らす不安、怒り、憎しみ、欲望などしばし忘れて、心の中に別世界を拓きたい。

(山越実著『鎌倉古寺歴訪』より)





No.44 『植物という不思議な生き方』 

 今年春に求めたのですが、なかなか読む機会がなく、ただ積んどいたのですが、出張の折に電車の中で読みました。気に入ったところは、いつもカードに抜き書きするのですが、この本では、19カ所もありました。
 生物の本というより、植物物語という読み物に近い書き方で、時間を忘れて読み進めました。そして、植物たちの悲喜こもごもを見事に解き明かしたところが、とても新鮮に感じました。
 植物は、私たち人間の身近な存在ですが、いまいち、その生き方というのがピンときません。主食も野菜もすべての食物が植物関連ですし、昨今のガーデニングブームで花そのものもずいぶん身近になってきましたが、まだまだわからないことがたくさんあります。ぜひ、この本を読み、その生き方を知れば、植物の大切さをもっともっと理解できるようになるはずです。

書名著者発行所発行日
植物という不思議な生き方蓮実香祐PHP研究所2005年11月9日
☆ ホンの旅 Column ☆

 殺伐とした自然界で、植物は、昆虫や動物、鳥と現代の生態系の基礎となる相利共生のパートナーシップを築いたのである。そして、この同盟関係のもとに、植物と、昆虫、動物、鳥は共に進化し、繁栄を遂げて現代の豊かな生態系を作り上げてきたのだ。
 この同盟を結ぶために植物がしたことに注目してみたい。まず蜜や果物などの魅力的な贈り物を先に施した。そして、その代わりに花粉を運んでもらったり、種子を運んでもらったりした。つまり、自分の利益より相手の利益を先に与えることで、双方に利益をもたらす友好関係を提案したのである。
 「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられるでしょう」。これが進化の過程で植物が実践した思想なのだろう。

(蓮実香祐著『植物という不思議な生き方』より)





No.43 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』 

 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』という題名ではなかなかわかりにくいのですが、英語の題名は『Euclid in the Rainforest』ということで、熱帯雨林のなかでのユークリッドという、まさに頭が熱帯雨林の蒸し暑さでボーッとしてしまいそうな内容でした。だって、いまさら、ピタゴラスの定理やプレイフェアの公理などが次々と出てきても、ほとんど忘却の彼方に飛んでいってしまったからです。
 それでも、飛ばしながらも読んだのは、論理的考え方のおもしろさからです。たとえば、アンリ・ポアンカレの「すべてを疑うのも、すべてを信ずるのも、同じように都合のいい手だ。どちらもよく考えてみなくてすむ。」という言葉は、論理的思考の逆説でもあります。信じながらも疑ったり、疑いながらも信じたりと、その間に真実というか現実が潜んでいるような気がします。
 また、「ホンの旅 Column」で取りあげた医師のアンドルー・ワイルの言葉もとても示唆に富んでいます。この言葉と出会えただけでも、この難しい本を拾い読みした甲斐があったと思いました。

書名著者発行所発行日
数学と論理をめぐる不思議な冒険ジョセフ・メイザー著、松浦俊輔訳日経BP社2006年4月24日
☆ ホンの旅 Column ☆

 何年か前、クローバーが生えているところならどこにでも四つ葉のクローバーを見つけられるという女性に会ったことがある。・・・・・私はクローバーが群れて生えているところを探しまわっても、見つからず、しまいには眼がかすんできて、一本の茎に四つの葉があると思っても、それは必ず二本のクローバーの葉だった。ところがこの女性に会って、そのひとのやり方を見ると、私にとっても何かが変わった。この人は、クローバーがあるところには、必ず四つ葉のがあってそれが見つかるのを待っていると信じている。見つかるのには、そのことが鍵だということを悟った。そう信じると、見つかる可能性が出てくる。そう信じていなければ可能性はない。この人に会った後、もう一度探したら、探し始めてすぐ、四つ葉のクローバーが見つかった。

(ジョセフ・メイザー著『数学と論理をめぐる不思議な冒険』より)





No.42 『ゲスト 永六輔 旅に生きる、時間の職人 (サンセスフルエイジング対談)』 

 発行から10年近くにもなるのに、図書館が今年の8月25日になぜ購入したのかわかりませんが、新刊書のところに並んでいました。でも、永六輔さんは以前から関心があり、つい手に取ってみると、なかなかおもしろそうでした。そして、自宅でゆっくりと読むと、さらにそのおもしろさが理解できたように思います。
 まず、生きることも死ぬことも、本当はすごいことなんですが淡々としている、その秘密みたいなことが1つ。そして、職人としてのものの考え方がきらりと光る、それが2つ目。さらに、自由に生きているように感じますがけじめはしっかりつける、そんな生き様がかいま見るような対談です。
 福原氏は、蘭の趣味家としても知られ、毎年2月に東京ドームで開かれている「世界ラン展」などの有力なメンバーでもあります。その福原氏の話しで、ある人から持参した蘭の名前を聞かれて、「蘭の生えているところでは名前がついてないんだ。それは人間が決めているだけのことで、蘭に聞いてみたらいいんじゃないの」って、言ったそうです。なるほど、と思いました。
 そもそも、このサンセスフル エイジングというのは、「美しく年を重ねる」ということで、様々な分野で活躍中の方たちと対談して、その生き方、暮らし方、そしてこれまでの道のりなどについて語っていただこうというものだそうです。たしかに、この本の中には、たくさんのヒントががありました。おそらく、まだ絶版にはなっていないでしょうから、機会があればお読みください。

書名著者発行所発行日
ゲスト 永六輔 旅に生きる、時間の職人福原義春求龍堂1997年3月30日
☆ ホンの旅 Column ☆

永六輔 職人というのは何かという定義は何だかみんなわからない。
福原義春 僕はね、こう考えているの。一途に自分の芸なり技なりを求めて、お客さんの注文がきたら、お客さんが注文した以上の物をつくって驚かせてやろうという、この精神が職人だと思うのね。
 かつて大宅壮一が、東京に蕎麦屋が何万軒あるか知らないけど、今日打つ蕎麦より明日打つ蕎麦をうまくしようと思っている店は何軒あるかって。それが職人だと思う、と言うんですね。

(福原義春著『ゲスト 永六輔 旅に生きる、時間の職人』より)





No.41 『世界中のお菓子あります ソニープラザと輸入菓子の40年』 

 まさに、ソニープラザの歴史とともに歩んできたような著者が、自分の目で見、感じてきたことを書いたものです。
 ソニープラザは、1966(昭和41)年に銀座店をオープンしたのが最初ですから、今年で40年になります。副題が「ソニープラザと輸入菓子の40年」とありますから、お菓子の話しが中心ですが、今ではなかなかお目にかかれないリビーのコンビーフをコンテナ1台分輸入して売ると家1軒建てるぐらい儲かったのだそうです。それとこの本を読んで初めて知ったのですが、無差別に送られてくる迷惑メールを「スパムメール」といいますが、その語源は、次のようなコントだったそうです。
 「イギリスの人気コメディグループ、モンティ・パイソンは、作品の中でスパムを採り上げ、次のようなスキット (コント) を披露しました。
 とあるレストラン。食事をしようと席に着いた夫婦がメニューを見ると、スパムを使った料理しか書かれていない。夫婦はウェイトレスを呼び、メニューについて口論を始めるが、後ろにいたバイキングたちが「スパム! スパム! スパム!」と"スパムの歌"を歌い出し、その歌声にかき消されて会話が続けられなくなってしまう……。」
 この作品をきっかけに「SPAM」には新しい意味、すなわち、「同じことを何度も何度も繰り返し、本来の会話や議論を妨げるような迷惑行為」というのが加えられたそうです。
 なお、この「SPAM」というネーミングは公募で決められたそうで、「Spicy Pork and Ham」という意味だそうです。
 本を読むと、何気なく使っていることの由来などもわかって、楽しいものです。

書名著者発行所発行日
世界中のお菓子あります(新潮新書)田島慎一新潮社2006年5月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 いつも目新しい面白いものを提供していくためには、どんなに成功しても目新しくなくなったものは扱わない。二番煎じは絶対にやらない。そういう矜持と覚悟を持ち続けることが、ソニープラザが流行発信メディアであり続けるためには必要なのだと私たちは考えています。
 商品開発のヒントはどこにでもあります。極端な話、外国までいかなくても、国内にもヒントがたくさん転がっています。ものをいうのは自分の目線。目のつけどころがいいか悪いか、に尽きます。

(田島慎一著『世界中のお菓子あります』より)





No.40 『萬葉植物事典 普及版』 

 著者はフリーの写真家ですが、全国の社寺の花や万葉の花などを撮っているうちに、万葉集そのものに興味を抱いたようです。現に『万葉の花100選』などの写真集もあります。この本は、そういえ意味では、写真と文学が一つになったようなものです。
 そもそも『万葉集』には、4,516首の歌がおさめられていますが、そのうちの三分の一強の約1,700首に植物が詠みこまれています。その植物の種類は、蘇苔類や海藻類までを含めるとおよそ160種類ほどにもなるそうです。
 そこで、小町山自然遊歩道を歩くと見られる万葉の植物を数えてみました。すると、なんと64種類もありました。
 これは確実なものだけで、おそらくヤドリギなどもありそうですから、もう一度時間を割いて調べてみたいと思います。
 それにしても、これだけの身近な植物を詠い上げるわけですから、自然そのものの生活をしていたのでしょう。そこに、『古今和歌集』や『新古今和歌集』にはない魅力があります。
 ぜひ、機会があれば手に取ってみてください。

書名著者発行所発行日
萬葉植物事典 普及版大貫茂株式会社クレオ2005年8月25日



No.39 『里山のことば』 

 著者は1954年生まれの写真家です。現在、琵琶湖をのぞむ田園風景のなかにアトリエを構え活動しています。
 だから、自らその里山に住み、撮り、書くという生活のなかで見つけたものがこの本になったといえそうです。写真にも定評があり、第20回木村伊兵衛写真賞など、数々の受賞歴があります。
 まず、この写真のすばらしさに惹かれ、次にその文章の純なところに惹かれました。
 あとがきに、「あぜ道の小さな花をみて、心から美しいと感じるときがあります。そんなとき、花はただそこにあるのではなく、いろいろな生命とかかわりをもちながらも周囲の景色につながっていることを知らされます。きっと外観ではなくそこに生命があることの素直なよろこびからくるのでしょう」
 とありますが、まさに写真家ならではの見方ではないかと思います。

書名著者発行所発行日
里山のことば今森光彦世界文化社2006年4月15日



No.38 『笑いがニッポンを救う』 

 著者は日本笑い学会講師の肩書きを持つ方で、島屋百貨店を定年退職してからさまざまな活動を通して培ってきた「笑い」の効用を説きます。
 笑いは人間にだけ与えられた神さまからの最高のプレゼントだと考え、それを最高に生かすことを心がけているようです。そういえば、写真を見る限りでは、あの「指圧の心 母ごころ・・・・・」の浪越徳治郎さんに似てなくもないようです。
 こういう本を読みますと、ほとんどが感動、感謝することとか、プラス思考とか、生きがいを持つことなどが書かれています。用はするかしないかが問題で、つねに笑顔を心がければそれだけで笑顔になれます。
 ここにも書かれていますが、ユーモアの語源は、ラテン語の「フモール」で、その意味するところは人間の体液だそうです。ということは、ユーモアは血液や消化液みたいなものですから、生きていくために絶対不可欠なものです。だとすれば、ちょっとでもおもしろいことを見つけて、心の底から大笑いしましょう。
 ただし、笑いは「心を救うもの」ですから、みんなで一緒に笑うときには、人をけなしたり思いやりのない話しで笑うことは慎むべきです。

書名著者発行所発行日
笑いがニッポンを救う江見明夫日本教文社2006年6月25日
☆ ホンの旅 Column ☆

 イギリス人は、本当にユーモアセンスのある人間を、次のように捉えています。
 「ピンチに陥ったときでも、心のゆとりを失わず、事態を冷静に眺めることができる。そして、肩肘張らずに、さりげなく、難関を克服していく、鍛え抜かれた精神の逞しさと英知を持ち合わせた人間」
 まさに、ジェントルマンの国に相応しい考え方をしているのです。
 つまり、ユーモアセンスを育てる教育というのは、別の見方をするならば、あらゆる競争社会を生き抜き、負けてもくじけず、どんな苦労も乗り越えていく、強く、逞しい人間をつくることにほかならないのです。

(江見明夫著『笑いがニッポンを救う』より)





No.37 『子どものセンスは夕焼けが作る』 

 著者は音楽関係の文筆活動をしている方だそうですが、作家の柳田邦男さんから「子育て中でなければ、見えないことがあるはずだから」という言葉に後押しされ書いたといいます。たしかに、子育てに関しての母親の役割はとても大事で、「大人にしてみれば当たり前かもしれませんが、子どもにとっては 『ほら、見てごらん』といわれて、はじめて気がつくことが、たくさんあるはずです」ということはその通りだと思います。とくにセンスなどというなんとも表現すら難しいものを身につけてもらおうと考えたとき、この本はすばらしいアドバイスをしてくれます。
 「良いセンスは良い習慣から」ということで、それを11の章に分け、多くの音楽関係者との取材から得たことなどをヒントにして、それを自らの子育てに生かしているところは、これから親になろうとする若い方々にはたいへん参考になると思います。考えてみれば、ほとんどの芸術作品は自然からインスピレーションを得ていますが、それを感ずる心と旺盛な好奇心は、子どものころに形作られるような気がします。

書名著者発行所発行日
子どものセンスは夕焼けが作る山本美芽新潮社2006年5月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 実は、音楽家の音楽活動と、母親にとっての子育てには、大きな共通点があります。
 どちらにもマニュアルが通用せず、はっきりとした答えやゴールがありません。取り組むと決めた以上は、誰にも褒めてもらえなくても、つらくても、投げ出すわけにはいかない。人に助けてもらうことはできるけれど、最終的な責任は自分で負わなければならない。孤独で長い道のりを息切れすることなく歩き続け、しかも、すばらしい成果を出すことが望まれる‥‥‥。
 これだけの難題を乗り越えるためには、いちいち何か努力しょうと考えて頑張るよりも、ふだんの生活の中での習慣づくり、環境づくりをしておいて、自然とセンスを伸ばす仕掛けをつくるほうがいいのです。そのほうが疲れないので長続きするし、効果的です。

(山本美芽著『子どものセンスは夕焼けが作る』より)





No.36 『おとなのための漢文51』 

 この本は、95年夏から01年春まで朝日新聞の『天声人語』を執筆した栗田亘さんが書かれたものです。
 先ずはここで取り上げた漢文をそのまま掲載させていただきますが、みなさま、読めるでしょうか。すごいと思ったのは、これらの文字がすべてパソコンのフォントに入っていたことです。
 でも、読めることより、これらを理解できることが大切なことで、さらには実践できることのほうが更に大事なことです。この古くから親しまれてきた漢文の心が疎になり、「人面にして獣心」のような事件が起こっているような気がします。

 弾を執って鳥を招く(淮南子)・衣食足りて礼節を知る(管子)・一年の計は、穀を樹うるに如く莫し。十年の計は、木を樹うるに如くは莫し(管子)・一を聞いて以て十を知る(論語)・一炊の夢(枕中記)・飲酒は楽しみを以て主と為す(荘子)・多ければ則ち惑う(老子)・、己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ(論語)・彼を知り己を知れば、百戦殆うからず(孫子)・麒麟も衰うれば、駑馬之に先だつ(戦国策)・君子は中庸をす。小人は中庸に反す(中庸)・君子は未然に防ぐ(古楽府)・鶏口となるとも牛後と為る無かれ(史記)・巧言令色、鮮し仁(論語)・功遂げ身退くは、天の道なり(老子)・五十歩百歩(孟子)・事異なれば則ち備え変ず(韓非子)・四十にして惑わず(論語)・爵禄百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり(孫子)・小人闍盾オて不善を為す(大学)・小人窮すれば斯に濫す(論語)・小人の学ぶや、耳より入りて口より出ず(荀子)・小利を見れば、則ち大事成らず(論語)・人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す(菜根譚)・過ぎたるは猶お及ぼざるがごとし(論語)・井蛙には以て海を語るべからず(荘子)・清にして能く容るるあり、仁にして能く断を善くす(莱根譚)・創業と守成と孰れか難き(十八史略)・俗儒は時宜に連せず(十八史略)・大弁は納なるが如し(老子)・唯だ女子と小人は養い難しと為す(論語)・智愚は他なし、書を読むと読まざるとに在り(呻吟語)・天網恢々、疎にして漏らさず(魏書)・道徳に棲守する者は、一時に寂寞たり(菜根譚)・読書百遍、義自ら見わる(三国志)・虎の威を借る狐(戦国策)・錦を衣て絅を尚う(中庸)・人面にして獣心(漢書)・花は半開を看、清は微醺に飲む(菜根譚)・匹夫も志を奪うべからざるなり(論語)・人飲食せざるもの莫し、能く味わいを知るもの鮮し(中庸)・人生まれて群れなきこと能わず。群れて分なくばすなわち争う(荀子)・人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり(荘子)・不言の言を聞く(荘子)・飽食して日を終え、心を用うる所なし。難いかな。博奕なるものあらずや。これを為すは猶お已むに賢れり(論語)・道は爾きに在り、而るにゥを遠きに求む(孟子)・酔うことを悪んで酒を強す(孟子)・李下に冠を正さず(文選)、遼東の豕(後漢書)・冷眼にて人を観、冷耳にて語を聴く(莱根譚)・礼を怠れば政を失う(左伝)
 
書名著者発行所発行日
おとなのための漢文51栗田亘河出書房新社2005年11月30日
☆ ホンの旅 Column ☆

 道徳に棲守(せいしゅ)する者は、一時に寂莫(せきばく)たり。
 「菜根譚」から。
 道徳を重んじる人は、一時的には困窮し、心さびしい生活を送ることになるかもしれない。しかし、この文章は続く。「権勢に依阿(いあ)する者は、万古に凄涼(せいりょう)たり」
 権力に取り入り、おもねる人は、経済的にも恵まれた生活を送るかもしれない。けれども死んでのち永久に残るのは、ただ荒涼とした足跡である。
 人間はたとえ日々の暮らしが豊かでないとしても、永遠に評価されるような徳のある生き方を選ぶべきだ。

(栗田亘著『おとなのための漢文51』より)





No.35 『競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功』 

 マスコミなどの報道によると、日本の子どもたちの学力が低下しているらしい。でも、このホンを読んで、むしろ学力低下よりその格差の方が問題ではないかと感じました。
 この本によると、たとえば、15×9が計算できた中学2年生は、台湾で94%、シンガポールで93%、日本で86%、アメリカで85%である。日本はアメリカ並みに、現役の中学生が14%、つまり7人に1人という割合でできないというんです。この「低学力」層の存在が登校拒否、そしてニートにもつながり、ひいては就職にも影響し、所得格差にも広がっていくのではないかと思われます。
 特に、教育課程審議会長だった三浦朱門氏は「つまり、できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」という発言には、絶対に納得できません。これでは、経済だけでなく、教育もアメリカナイズされ、日本の良さが失われていくのは必然です。
 そろそろ、競争を煽り、偏差値で学力を考え、個性を埋没させていくような教育から、フィンランドのような「自分から学ぶ勉強は楽しい」という教育にしていくべきだと思います。そのためには、ぜひご一読をおすすめいたします。

書名著者発行所発行日
競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功福田誠治朝日新聞社2006年5月25日
☆ ホンの旅 Column ☆

 まず、教師が「手作りのテスト」を作成することである。そして、その子どもの教育のために自分の教えたことがちゃんと学ばれているかを測ることである。このことから、重要な事柄がいくつも派生してくるはずだ。少なくとも子どもたちは、「先生が自分のために教えてくれているのだ」という実感を持つであろう。子どもたちが直接関わっている生活の中に題材をとりながら応用問題を作っていけば、きっと子どもたちは興味を持って、楽しく、生き生きと勉 強するだろう。そんなテストが話題になれば、親たちも味方になって、教師にも子どもにも声援をおくるだろう。何をテストに出そうかと考えれば、授業への教師の取り組み姿勢も前向きになるだろう。

(福田誠治著『競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功』より)





No.34 『レンズの向こうに自分が見える』 

 写真を撮りはじめて40年以上にもなりますが、撮れば撮るほどその難しさを実感しています。そこで、写真を撮り始めたときの動機を探すべくこの本に巡り会いました。
 この本は、定時制の高校生とインターナショナルの生徒さんに写真を通して教えている野村さんの活動記録みたいなものです。しかも、教える側と教えられる側の双方が書き、そこに撮った写真も絡んでくるので、とてもよくわかります。まさに「写真を撮るということは、まだ自分で気づいていない自分自身を撮ること」というのが理解できます。
 また、印象的だったのは、ジミーさんの下記に記した言葉です。
 この本で、写真を撮ることがもっともっと好きになりました。

書名著者発行所発行日
レンズの向こうに自分が見える(岩波ジュニア新書)野村訓編著岩波書店2004年3月19日
☆ ホンの旅 Column ☆

英語でファインダーというのは、「見つけ出すもの」と言う意味もあって、そこからのぞいて何かを見つけ出すために、ファインダーは存在するのです。
 そして写真には、「温もり」と「冷たさ」、あるいは「陰(影)」と「陽(光)」といったプラスとマイナスが存在すると思います。この対極にある二つのもののバランスがよくとれた時に、初めて気持ちのいい写真ができるのではないでしょうか。 (ジミー・ピューリー)

(野村訓編著『レンズの向こうに自分が見える』より)





No.33 『という、はなし』 

 この本は、筑摩書房のPR誌「ちくま」の表紙絵(フシセモトマサル)に吉田篤弘が文章を書くということを、2004年1月号から2005年12月号まで連載したものを1冊にまとめたものです。その通しテーマは「読書の情景」です。
 私がこれを手にしたきっかけは、そのイラストのおもしろさからです。フシセモトマサル氏のイラストは、あるときはネコであったり、あるときはクマであったり、人間以外の姿を借りて描くそのおもしろさは絶妙です。人間では描き出せないペーソスを見事にブタが演じたりします。ついつい何度もページを繰って見てしまいます。
 また、吉田篤弘氏の文章にも味があります。イラストの味を壊さず、それの延長線上に不思議な思いを創りだしています。そこに1つの読書の情景が描き出されているのです。
 たった109ページのちいさな本ですが、おおきな印象を残してくれました。

書名著者発行所発行日
という、はなし吉田篤弘文 フジモトマサル絵筑摩書房2006年3月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 若いときは、やはりなんでも知りたかったし、知らぬことを恥じ、聞きかじった僅かな知識を風船のように膨らませては知ったかぶりの技術を磨いてきた。が、当然ながら歳をとるほどに知ったかぶりの風船はしだいにしぼんで効力を失ってくる。そればかりか、若いときには笑われて済んだことも、今は、
「え? そんなことも知らないの?」
 という恐ろしい二言で問い詰められてしまう。知ったかぶりは若さの特権であって、若さゆえの荒技であったのだと、こっぴどく思い知らされる。その思 い知らされた瞬間が人生の後半の始まりで、思えば本当のことなど何ひとつ知らずに来てしまったと呆然となる。

(吉田篤弘著『という、はなし』より)





No.32 『Table Garden』 

 今まで取りあげた本とちがい、これはBE-PALのOUTING MOOKです。MOOKというのは、辞書をひくと「雑誌と書籍の中間的性格の本」だそうです。読んでいても、BE-PALの特集号のような記事の内容です。
 以前からこの作者の考えに共鳴していましたが、2004年のチェルシーフラワーショーのシティガーデン部門の最優秀賞をとった庭は、草花はそんなに珍しいものを使わずに、光と陰を巧みに演出し、そこに自然の風を引きこもうとするすばらしいものでした。
 この本には、人と植物とのいい関係を築けるたくさんのアイディアがつまっています。ぜひ、お試しください。

書名著者発行所発行日
テーブルで育てる小さな森 Table Garden矢野 TEA小学館2006年5月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 私の庭づくりの師匠である煎茶道黄檗賣茶流中澤弘幸家元の教えは、茶道の常識である「畳に正座」をなくし、お茶の席にライブミュージックを取り入れるなど斬新なものです。現在、日本の伝統文化と言われているものは、ほとんどが江戸時代に完成され、それがそのままの形で受け継がれています。しかし、本当の伝統文化とは、時代時代の価値観の洗礼を受け、時には叩き潰されようとされ、それでも残っていくものです。単に形だけを受け継いで来たものは、伝承に過ぎません。その、伝統と伝承のはき遣いがいかに多いでしょう。現代という時代にしっかりと根を下ろした、「伝承」ではない「伝 統」文化でありたいという気持ちで茶道を見つめた結果が、正座をなくし、高齢者や海外の方々も参加できるようにした茶会です。本来、文化とは、ものの本質、人の生き方、考え方の基本を表現したもので、世界のどこでも通用するはず、というのが家元の教えです。

(矢野 TEA著『Table Garden』より)





No.31 『ことばの切っ先 心にせまるセリフ』 

 これは、小学館国語辞典編集部のホームページ「Web 日本語」で連載したものから、加筆、訂正したものだそうです。そのほとんどが能楽、文楽、歌舞伎などの古典ものが中心です。
 セリフは、有名で何度も聞いたことがあるものから、今回初めて聞くものまで、41の名セリフが載っています。それぞれに芝居の様子や背景など、芝居好きでなければ書けないようなものばかりです。
 この題名の『切っ先』というのは、「はっきり言う」という意味を持たせてあるそうです。近頃は、はっきりものを言わず、ものごとをあやふやにしてしまう人が多すぎることからあえて使ったと書いていました。作者はアナウンサーという職業柄、言葉遣いをとても大切にしていると思われますが、言葉そのものも一人一人の心に響かなければ後々まで残りません。この本は、その心に響き残った言葉の集大成のような気がします。

書名著者発行所発行日
ことばの切っ先 心にせまるセリフ葛西聖司小学館2006年4月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 他人の子を犠牲にしなければ、道真公に恩を返すことができない。しかし、身代わりにする少年の命も尊い。悩む源蔵夫婦。そこで悲嘆と懊悩のひとこと。「せまじきものは、宮仕えじゃなあ」。宮仕えを今のことばにすれば、勤め人の身となるのだが、社命でやむなく非道な商売をするとか、お役所勤務ならではの大変さということになる。しかし、この場合の意味はもっと深い。人の命を奪ってまで返さなければならない恩義とはなんなのか。追い詰められて選択肢がなくなった夫婦の地獄を見たことば。このひとことに結集されている。 (浄瑠璃「菅原伝授手習鏡」に出てくるセリフ)

(葛西聖司著『ことばの切っ先 心にせまるセリフ』より)





No.30 『ぐるなび「No.1サイト」への道』 

 「ぐるなび」と聞いてすぐわかるのは、インターネットを使っている人たちです。このサイトは、何を食べようか、どこで食べようかと考えたとき、まずはその情報を知ろうとするときのものです。約40万店を超える飲食店が加入しているそうですから、なかなか使い道はありそうです。
 このサイトを考え、そして立ち上げ、その過程でのさまざまなことをこの1冊にまとめ上げました。IT産業というと、いかにも誰もが考えないようなちょっとしたアイディアをものにするように思えますが、意外や意外、その地道な道筋に納得させられました。それと、ところどころにスタッフたちの様々な体験やエピソードなどの生の声が入り、さらに臨場感を高めています。インターネットをする人はもちろん、これから起業しようと考えている人などにはおすすめの本です。
 最近、よく耳にする「ノーブレス・オブリージュ」というものを、既得権や因習を断ち切るときにこそ必要だとする考え方、そして、「貢献したい気持ち」を人間の自然な発露と考えるあたりに、新しい時代の経営者の姿を見たように思います。

書名著者発行所発行日
ぐるなび「No.1サイト」への道滝久雄日本経済新聞社2006年4月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 ビジネスマンには、出世するために大道を歩む者と、手段を選ばず手柄を立てる者の二通りがいる。上手くいっているときには、両者にあまり差は見られないが、失敗したときに著しい差異が表れる。大道を歩くタイプの信用失墜は少ないが、手投を選ばないタイプには二度と立ち上がれない者が多い。しかも、後者はそのような信用失墜の挽回に際して全力投球しない者が少なくない。また、全力投球ができない者もある。というのも、問題が生じたときに、信用があるかないかで著しく結果が異なるからである。

(滝久雄著『ぐるなび「No.1サイト」への道』より)





No.29 『星野道夫と見た風景』 

 『星野道夫の仕事』朝日新聞社刊を全巻見て、いつかはそれを支えてきた奥さんの『星野道夫と見た風景』を読んでみたいと思っていました。しかし、なかなかその機会がなく、とうとう8月のお盆前の暑い時期になってしまいました。でも、この暑いときにアラスカで暮らしていた星野夫妻の本を読むのも涼しそうでいいかとも思います。
 やはり、星野道夫のピュアな目そのものの写真を見ることもいいですが、その後ろに隠れるようにしてある現実をこの本で知ることができたようです。なかでも、カトマイ国立公園のなかでグリズリーの写真を撮りに出かけたときには、そのテントのなかでクマのいびき?を聞きながら寝たことなど、正体がわからない不安をそのような言葉で安心させようとする優しさみたいなものが伝わってきました。自然というのは不思議な世界ですが、恐ろしい野生の世界でもあります。その中で、そっと息を詰めながらシャッターを押す、そのすごさが実感できました。

書名著者発行所発行日
星野道夫と見た風景(とんぼの本)星野道夫 星野直子新潮社2005年1月25日
☆ ホンの旅 Column ☆

 自然写真を撮るためにもっとも必要なものは何かと聞かれたら、それは対象に対する深い興味だと思う。初めは漠然とした気持ちでいい。花、昆虫、ある種の生き物への興味、山への憧れ、あるいはある土地への思い・・・・・。それがなんであれ、まず、その対象に対するマインドの部分での関わりである。そして次は、その気持ちをさらに深めていくことが必要になってくる。言いかえれば、どんどん好きになっていくプロセスだと。それが、勉強していくことだと思う。

(星野道夫 星野直子著『星野道夫と見た風景』より)





No.28 『60歳からの初めての世界個人旅行のコツ』 

 これは、定年退職後「世界には約200の国があるが、そのうちの半分の100カ国を65歳までに訪問する」という目標を立てた松本正路氏の記録です。その目的は、
1. 異文化(言語、生活、週間など)に接したい。
2. 自然遺産と文化遺産を観たい。
3. 訪れた国の人々と会話したい。
4. 人間ウオッチングをしたい。
だそうです。そして、本当に1997年7月下旬にメキシコをスタートし、2002年11月下旬オセアニアのキリバスを訪ね、達成されました。たしかに定年後には何かをしたいと考えながらも何もできない人が多いのですが、それを着実に一こま一こまを進めていくその実行力にまず感心しました。しかも、多くの人たちと会話するためにメキシコで5ヶ月かけてスペイン語をホームスティしながら習得するあたりはお見事です。
 この本にも書かれていますが、外国を理解するのに1カ国にある程度長い期間滞在し、その国の文化に触れる方法もありますが、著者は滞在期間は短くてもなるべく数多くの外国を旅行し、異文化に触れたいと考えたそうです。
 私にはどちらもできそうにないので、せめてこの本を読んで行ったつもりになる、それがホンの効用でもあります。

書名著者発行所発行日
60歳からの初めての世界個人旅行のコツ松本正路築地書館2006年4月25日



No.27 『四季のうた 第二集』 

 この本は『カラー版 四季のうた』の続編です。「うた」といっても、和歌もあれば俳句や川柳、そして漢詩や短歌など、いろいろありますが、それらが季節ごとに載っています。
 最初は、本音を言いますと、その写真の良さに惹かれて読み始めました。読み進めていくと、昨日読んだ『小説 紫式部』が思い出されます。その一首、
 夏もなほ哀れはふかし橘の花散る里に家居せしより
という藤原俊成のうたです。たしかに春や秋冬と違って夏はただ暑いだけなのですが、この「花散る里」という光源氏の恋人が住んでいた邸などと思ったりする、いわば『源氏物語』の世界に迷い込むなどすれば、それなりに楽しいではないかと思えます。
 そう、読書の世界は夢想できる楽しみです。うたもそうですが、テレビなどと違い、目の前に映像はありません。自分勝手に想像できる自由さがあります。たとえば、晩年の若山牧水の助手をされていた大悟法利雄さんの
 白ばらに散りかさなれるうす紅のこの一ひらはいずこより来し
といううたは、静かに花を楽しむゆとりがなければ想像すらできない風景です。この情景をテレビに映し出したとしても、何の変哲もない散ってしまったバラの花びらにしかすぎないのです。
 たまには、テレビなど見ずに、ホンを読みましょう。今回のコラムはお休みです。

書名著者発行所発行日
四季のうた 第二集(中公新書)長谷川櫂中央公論新社2006年6月25日



No.26 『小説 紫式部』 

 これは小説であり、小説は一気に読まないとその情景はおぼろになってしまうような気がして読み切りました。たとえば映画を観ていて、その途中で長電話につき合わされ、残りを後から観るようではつまらないですから。
 それにしても紫式部の生きた時代は、清少納言といい和泉式部といい、女流作家の黄金期でもあります。ちょっと前には『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱の母もいますし、それらが現代まで読み継がれているわけですから、すごいものです。しかし、実は『源氏物語』を全部読み通してはいません。あちらこちらを拾い読みしている程度です。でも、以前から作者である紫式部には興味がありました。あの時代にこのような物語を書くのは何故か、どのようにして書かれたのか、いや、それよりどんな人生を送ったのか、本当に二十歳ほども違う人と結婚したのかなど、知りたいことはたくさんありました。
 それは30数年前に、滋賀県大津市にある石山寺を訪ねたおり、紫式部がそこに参籠中に湖上の月をながめ、「源氏物語」の構想をえたという話しを聞いたときに遡ります。そこには、いかにももっともらしく紫式部の間みたいなものまであったように記憶しています。しかし、この本ではそのような設定がなされておらず、学問好きな紫式部が自然に書き始めたとなっています。しかしこれはあくまでも小説ですから、三好京三個人の考え方であり、なにもこれがすべてではありません。むしろ、このように紫式部を想像する楽しさ、みたいなものを味わいました。
 小説ですから、その筋の一部を取り出すこともないので、今回のコラムはお休みです。興味があれば、直接この本を手にとってお読みください。

書名著者発行所発行日
小説 紫式部三好京三鳥影社2006年4月24日



No.25 『遙かなる天空の村で』 

 この本は、副題のように「ネパール歯科医療協力活動17年間の記録」です。
 最初のきっかけは、1989年に九州歯科大学山岳部のOBが集まったとき、「お世話になったネパールで何か恩返しはできないか」と考えたことだったそうです。やはり、民間の国際協力などというものは、あまり大上段に構えるよりも素朴な願いから始まったほうが長く続くような気がします。そして、17年間、回数にして2006年1月現在で19回のミッションを現地に派遣されたそうです。
 この本はその活動の理論と実践、さらには参加された方々の感想文、さらには「わたしの考える国際理解・協力とは」というインタビューの、いわば四部構成になっています。感想文のなかにもありましたが、「何事もやってみにゃ、わからんのです・・・・・」というのが、私の少ない経験からしても実感です。だって、日本人同士でも意見の食い違いがあるわけだから、それが育った環境も文化も違う外国人とは当然違って当たり前です。それでも、意外や意外、ネパール人、とくに山に住んでいる人たちとは意見が合います。話が合えば、ちょっとの違いはもう気にもなりません。国際協力なんて思うと大変ですが、自分でてきることをやってみようかと思えば、向こうだって気楽に受け入れてくれます。
 そのような民間ベースの国際理解・協力の難しさと楽しさを知るためにも、この本をお薦めいたします。

書名著者発行所発行日
遙かなる天空の村で中村修一=編集、奥野真人=構成草風館2006年5月15日
☆ ホンの旅 Column ☆

 その国の伝統的な文化を壊すようなことはしてほしくないですね。例えば「カースト制度」。このカースト制度は外国の人たちから見れば「とんでもない身分制度だ」と思われるでしょうが、この制度がなぜ21世紀のいままで長い歴史の中で生き残ってきているのかを考えてみる必要があると思います。それも自分の国のもの差しだけではかるのではなく、こちら側のもの差しをも使ってです。
 私はカースト制度を肯定しているわけではありません。日本で育った私にしてみればとんでもない差別的制度だと思っています。しかし、これを撤廃するのは外国の人たちではなく、ネパールの人たちでなければなりません。それには長い時間がかかるでしょうが、それを待つしかないのです。
 (CHIKACOOGAWATAMANG・チカコ・オガワ・タマン)

(中村修一=編集、奥野真人=構成『遙かなる天空の村で』より)





No.24 『まがいモンたちの終焉』 

 この本は、月刊『ビッグ・トゥモロウ』に連載中のものを中心に加筆したり新たに書き下ろしたりしたもので構成されています。
 彼独特の言い回しが若い読者を惹きつけていますが、これもそのような雰囲気を持っています。しかも、自分が今まで体験してきたことを裏付けにしていますから、説得力もあります。時の人から昨年まで時の人だった人のことや、中東や中国問題などを、スパッと小気味よい切り口に納得させられます。
 そして、最後の「人生なんかに意味はない。ないからこそ、自分の意志で意味を創っていくのが人生なのだ。誰にも邪魔されずに、自分の生を謳歌するためにも・・・・・」という書き方に、著者の生き強さを感じました。
 コラムの文章は、ちょっと長いのですが、西洋的な労働観や人生観を知るにはこのギリシア神話のもつ意味を理解したほうがよいと思い、掲載しました。

書名著者発行所発行日
まがいモンたちの終焉落合信彦青春出版社2006年4月29日
☆ ホンの旅 Column ☆

 コリントの王だったシーシュポスは、神々の王ゼウスの怒りをかって死の世界へと連れて行かれてしまう。なぜ黄泉の国に連れて行かれたのか?神々が秘密にしていた水を自分の国へ引いてきたからという説をはじめ、いろんな説があるが、死ぬ前にシーシュボスは妻に、もし自分が死んだら、葬式などせずに亡骸を市場の真ん中に捨てるよう命じる。妻の愛を試したかったからだ。
 普通は、いくら頼まれても愛する人の骨をばらまくなんてできないだろう。ところが、シーシュポスの妻はやってしまう。黄泉の国で目を覚ましたシーシュポスは、それを知って怒る。「これでは死ぬに死にきれない。もう一度、現世に帰らせて下さい」と。黄泉の国の神プルトーに「妻を懲らしめたら、すぐに帰ってきますから」といって現世に戻って行く。
 しかし、地中海に燦々と降り注ぐ太陽と、光り輝く海の青さを見ているうち、闇に覆われた黄泉の世界なんかに帰りたくなくなる。「ああ、生きているということは、なんという素晴らしいことか!」と。プルトーとの約束も忘れ、何年もこの世で暮らしてしまう。それを見て、神々が怒ったことはいうまでもない。  結局、マーキュリーという神がシーシュポスの首根っこを掴み、黄泉の国へ連れて帰ることになる。そこで待っていたのは、人間にとって一番苦しいものは何か、と神々が考え、「そうだ、永遠の労働だろう」となってつくり出された特別な刑罰だった。巨大な岩を山の頂上に押し上げていく仕事で、頂上に着く瞬間、岩は下に転がり落ちてしまい、シーシュポスはまた山の下から岩を押し上げていくということを永遠に繰り返さなければならなくなった。これは確かに苦しい。終わりがないのだから。
 シーシュボスも、初めは嘆き悲しんだ。「なんで、こんなことをしなければならないんだろう」と。しかし、岩を押し上げ、転がり落ち、また押し上げてという作業を何度も、何度も繰り返すうちにシーシュポスの表情からは嘆きが消え、充足感に変わっていく。どんな運命を神々に与えられようとも、それに立ち向かっていくのが人間としての尊厳だと。

(落合信彦著『まがいモンたちの終焉』より)





No.23 『14階段』 

 この本の題はちょっとわかりにくいと思いますが、あの監禁事件を起こした佐藤宣行の住んでいた家の二階に上がる階段の数です。たった14段の階段の2階で、あの少女は9年2ヶ月もの長い間閉じこめられていたのです。その憎むべき犯行を、宣行の家庭や親子関係の中で、もう一度とらえ直そうとしたようです。この本の多くのページが実母とのインタビューで占められていることからも類推できます。
 副題は「検証 新潟少女9年2ヶ月監禁事件」となっていますが、著者はその当時「フライデー」の取材記者でしたから、この事件の当初から関わっていたようです。しかし、被害者少女の父親の深い悲しみと怒りを宿した静かな瞳に見据えられて、週刊誌記者としてのむなしさがこみ上げ辞めてしまいました。たしかに、この種のマスコミの取材合戦は目に余るように思います。被害者なのに、そこまで追いかけ回さなくてもよいのにと思うこともしばしばです。たしかに、目を向けることは大事なことですし、再犯させないためにも必要なことですが、被害者の人権はしっかりと守って欲しいと思います。
 それと、少年少女の問題は下のコラムでもわかるように、多くは家庭内のしつけの問題でもあります。育児放棄がときどきマスコミをにぎわすようですが、しつけ放棄までされたら、それこそ大問題です。家庭、地域、学校すべてが連携して、子どもたちを育てていかなければならないのです。その1つでも欠ければまともな人間にはならないように思います。ぜひ、取り返しの付かない事件が起きる前に、今一度みんなで考えたいものです。

書名著者発行所発行日
14階段 検証 新潟少女9年2ヶ月監禁事件窪田順生小学館2006年4月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 子供は食欲な生き物である。これが欲しい、あれが食べたい。底なしの欲望をうまく制御して、「小さな王様」に社会性や常識を学ばせていくのが、親の務めだと私は思っている。それを放棄したため、幼き宣行のなかで「この世界に自分の手に入らないものはない」という誤った認識が芽生えてしまった、というのは決して飛躍した考えではあるまい。
 その考えを伝えると、母は伏目がちに告白した。
「特別、小遣いとかは決めてなかったんですけど、あれが欲しいといや買ってやった気がします。今考えると、働き始めて私の収入がそれなりにあったのが良くなかったのかもしれません。自分が忙しくて、息子を放って置いてるという罪悪感がありました・・・・・その代わりに、お金をあげていたという感覚ですね」

(窪田順生著『14階段』より)





No.22 『野生動物と共存できるか 保全生態学入門』 

 岩波ジュニア新書はこれで3冊目の旅になりますが、もともとは若い世代向けの新書ですから、読みやすく、わかりやすい書き方をしているので、先ず手始めに読むものとしては最適だと思います。
 この本も、若い人たちに野生動物と人間がこれからもともにこの地球の上で生きていくために、何を知り、何をしなければならないかを考えてもらう入門書として書かれています。:現在、野生動物との共存にはさまざまな問題があります。しかも、ほとんどが人間側の都合による問題なのですが、それでも何らかのアクションを起こさなければ、生きる場所を失ったり、数が少なくなったり、最悪な場合は絶滅することもあります。著者はそれらを研究するだけでなく、その研究したことを土台にして実社会で役立てようとする姿勢に、前向きなものを感じました。
 とくに6月に登ったばかりの岩手県五葉山のシカのことなどは、赤坂峠で出会ったホンシュウジカのことを思い出しながら読みましたし、またサルの農業被害に関しても、当地区でも猿害対策協議会が開かれ、大きな問題になっていますから、とても人ごとには思えません。さらに、最近のペットブームで、海外から珍しい動物が輸入され、それが飼育に飽きると野に放してしまうようなとんでもない問題まで起きています。
 この本を読んで、野生動物のことだけでなく、いろいろな面で地球環境や生態を考えるときが来ているのではないかと思いました。

書名著者発行所発行日
野生動物と共存できるか 保全生態学入門(岩波ジュニア新書)高槻成紀岩波書店2006年6月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 いま地球上にいる生命は、ほとんどのものは人間よりも前から地球上におり、さまざまなできごとをくぐりぬけ、また気の遠くなるほど長い時間をかけて変化して現在の地球にいて、おたがいにつながりを保ちながら生きているのです。そのこと自体がかけがえのない価値をもっているのです。人間の役に立とうが立つまいが、価値があるのです・・・・・
野生動物が地球上に生まれ存在していることの価値は、人間の存在に関係はありません。むしろそうであるからこそ、地球に生きる者の一員としての人間も同じ価値があると認め、そのうえで、その人間が生物としてきわめて特異なものであるという事実を正しく把握しなければならないのです。
 人間が特異だというのは、知能の発達により、あまりにも大きな力をもち、あまりに多くの人口になり、あまりに多くの資源を利用するようになってしまったことです。

(高槻成紀著『野生動物と共存できるか 保全生態学入門』より)





No.21 『生きているからこそ』 

 この本は、2005年8月に東京の津田ホールで開かれた教育フォーラム『今こそ"人間の命"を考えよう』のなかでお話しをされたことをまとめたものです。まず、エッセイストで現在もガンが全身転移しているなかで活躍している絵門ゆう子さん、そして毎日医療現場の最前線である救命救急センターで働いている浜辺祐一医師、最後に写真家の石川文洋さんがスライドを使って話されるという構成になっています。
 それぞれの立場で、それぞれの考え方があり、それでも命って大事なものなんだということがヒシヒシと伝わってきます。最近は、とても命が粗末に扱われているような気がします。ちょっと邪魔だからとか、うっとうしいからとか、たいした理由もなく命を奪ってしまうことがニュースで流れます。浜辺医師の「実は生きていることはとっても大事なこと、とってもありがたいこと、とっても意味のあることだ、だからそれを大事にしていこう」というメッセージは、ぜひとも多くの人たちに伝えたいと思います。

書名著者発行所発行日
生きているからこそ絵門ゆう子・浜辺祐一・石川文洋日本標準2006年4月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 戦争は殺し合いなのです。死体をいくつも見ているうちに、私もだんだんと死体に慣れていきます。最初は、死体を見るだけで怖かったのに、なんとも思わなくなっていきます。死体の前で弁当を食べたりして、死体が物体のように感覚がマヒしてきます。しかし、そんな状態に慣れてしまうこと自体、異常なことです。人間は何ごとにも慣れる動物ですが、死体にも慣れてしまいます。人間は残酷だと思います。
 (写真家 石川文洋)

(絵門ゆう子・浜辺祐一・石川文洋著『生きているからこそ』より)





No.20 『「分かりやすさ」の罠』 

 昨年の総選挙で、小泉首相が郵政民営化に賛成か反対かというたった二項だけで争い、それ以外の議論は一切認めないような雰囲気のなかで大勝利を収めたことは記憶に新しいことです。でも、私的には、郵政民営化に賛成の部分と反対の部分があり、一概にどちらかに決めろといわれても困ったことを思い出します。
 そんな思いがまだ心のどこかでくすぶり続けていたときにこの本と出会いました。たしかに二項対立、あるいは二分法的にものごとを考えた方がわかりやすいのですが、でもその中間的なものやその枠に収まりきれないものなどがあるように思います。しかし、新聞を見ても、テレビを見ても、白か黒か、上か下か、大きいか小さいかなどはそれなりに理解できますが、親しいか疎遠かや正しいか正しくないかとなれば、どこに基準を置くかによって相当違いが出てきます。それを画一的に判断しろといわれてもとまどってしまいます。
 この本の副題に、「アイロニカルな批評宣言」とありますが、この二項対立に一石を投じる方法の一つとしてアイロニーがあると読み取れます。でも、この本は基本的には哲学ですから、とても回りくどく、途中で読むのがイヤになる部分があります。それを我慢して読み進めると、なんとなくわかったような気分になれそうです。

書名著者発行所発行日
「分かりやすさ」の罠(ちくま新書)仲正昌樹筑摩書房2006年5月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 人は分かっていながら「二項対立」図式に自らハマっていき、そこから抜け出せなくなってしまのか、少しばかり哲学的あるいは批評的に掘り下げて考えてみようというのが本書の狙いの一つである。「世界は複雑であり、二項対立では片づけられない」ことを多くの人は抽象的には理解しているが、いざ自分の考えを表明すべき立場に立たされると、何らかの形で「世界」を、自分にとっての 「敵/味方」に単純に切り分けて、分かりやすい答え″を出して、安心しょうとする。その安心感を振り切って、複雑さを再認識するのは非常に困難になる。

(仲正昌樹著『「分かりやすさ」の罠』より)





No.19 『レンタルお姉さん』 

 最初はおもしろい題名の本だな、と思って手に取りましたが、ちょっと読んだだけでニートに関するものだとわかりました。しかもこのレンタルお姉さんたちが、自分の個性を生かしながら精一杯ニートといわれる人たちと関わり合いながら社会復帰させていくことに興味を持ちました。ニートの問題は、親たちの問題でもあると思っていましたが、この本を読んでその通りだとわかりましたが、そう単純な問題でもないことを知ることができました。また、コミュニケーションの取り方が、意外とメールや電話などより直接会って話しながらふれあっていく、昔ながらのやり方のほうが効率は悪いが本音が出やすいことも知りました。考えてみれば、ニートだけでなく、この時代の流れのあまりの速さに追いついていけないことに起因することが多いのかもしれません。
 印象的だったのは、手足と同じように、感情も使わないでいると退化するということでした。そして、「NO」のなかにも「YES」が隠されていることを見抜いていくレンタルお姉さんたちの忍耐力にも感心しました。ニート(NEET)は、1997年にイギリスで使われ始めた言葉で、Not in Education, Employment or Training の頭文字をとったものだそうで、そのまま日本語に訳すと「勉強もしていなければ働いてもおらず、職業訓練も受けていない人たち」という意味だそうです。日本では年齢制限をもうけており、15歳から34歳までだそうですが、この本でも取り上げていますが、56歳の例もあります。自分に直接関係がなくても、一度は考えてみる必要がありそうです。

書名著者発行所発行日
レンタルお姉さん荒川龍東洋経済新報社2006年5月11日
☆ ホンの旅 Column ☆

 レンタルお姉さんの話し方を、私も身をもって教えられたことがある。
 21年間ひきこもっている武山浩史(24歳)への2回目の訪問に、同行させてもらった時のことだ。
 自分から働きかけてまで友達がほしいとは思わないと話す彼に、
 「でも、仕事で失敗した時や彼女にフラれた時に、一緒にお酒でも飲みながら黙って愚痴を聞いてくれる相手がいれば、すごく救われるよ」
 そう私が言ってしまったことがある。彼へのアドバイスのつもりだった。
 「荒川さん、断定口調が多すぎます。友達の必要性を話すのはいいんですけど、友達は必要なんだという大前提で話しちゃダメですよ。それだと、親や先生と同じ立場になっちゃうじゃないですか」
 訪問終了後の帰り道、小原から指摘されて私は言葉を失った。
 「レンタルお姉さんは、家族でも先生でもない第三者なんだから、その立場をうまく利用して関係を築いていかないと駄目なんです。断定口調じゃなく、『……かもしれない』とか『……という考え方もあるかもね』といった形で、選択肢を示す程度に留める。それに対して武山君がどう反応してくるかが、むしろ大事なんですから」
 私はぐうの音も出なかった。

(荒川龍著『レンタルお姉さん』より)





No.18 『頭のいい人のブログ 悪い人のブログ』 

 意表をつく題名につられて読みましたが、個人的にはあまりおもしろくも参考にもなりませんでした。むしろ、同時に読み進めた『ブログデザインの本』(グロービズ著、秀和システム、2006年3月1日発行)のほうが技術的なことでとても参考になりました。このグロービズというのは会社名で、ホームページテンプレート販売サイトなどを運営しているそうです。
 この『頭のいい人のブログ 悪い人のブログ』という本は、第一、人を頭のいいとか悪いとかと表現することからして嫌みです。内容も、そのことだけで人を頭がよいとか悪いとか判断していいのか、とつっこみたくもなりました。なんか、柳の下のドジョウみたいな感じもしました。たしかに、今はブログ全盛ですが、このようなブログのハウツー本が多すぎます。ブログなんて、作るための知識がなくても作れるからいいのです。その簡便さがうけているのです。
 したがって今回は、『ホンの旅 Column』はお休みです。

書名著者発行所発行日
頭のいい人のブログ 悪い人のブログ天野優志徳間書店2006年1月31日




No.17 『家相の民俗学』 

 この「ホンの旅」には専門書は取り上げないと思っていましたが、この『家相の民俗学』は地元置賜のことを詳しくフィールドワークしているので、特別にご紹介します。
 第1章と第2章は家相の歴史のようなものですが、第3章以降は置賜の昔が詳しく紹介されています。それも第3章ではその当時の読書生活について図書館や雑誌の購読などについても聞き取り調査をしたことなどを中心に資料を提示されています。もちろん、各地の市史を参考にしていますが、この時間と根気のいる民俗学という分野の大変さが少しだけ理解できたように思います。
 この本を引き合いに出すまでもなく、近づきがたい本は多々あります。しかし、意外と読んでみるとおもしろいものもあることも事実です。それを紹介するのも、この「ホンの旅」の1つのあり方だと思っています。
 ぜひ、下記のコラムを読み、その当時の図書館の状況を感じてみてください。

書名著者発行所発行日
家相の民俗学宮内貴久吉川弘文館2006年4月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 1906年(明治39)には白鷹町荒砥に県内初めての公立図書館が開設され、1909年(明治42)には旧米沢藩校である興譲館の蔵書を母体とする、財団法人米沢図書館が誕生した。また同年には皇太子が山形県内を巡幸したのを契機として、南陽市でも赤湯小学校内に行啓記念図書館が設立された。・・・・・
 1915年(大正4)度の東置賜郡内の図書館の蔵書数は2,057冊、1年間の閲覧人数は500人、1日平均1.5人である。私設図書館は19館あり、19館全体の蔵書数は8,617冊、平均すると1館あたりの蔵書数は453冊である。1日平均の閲覧者数は1.3人である。今日の感覚からすると大変貧弱な蔵書数であり、1日平均の閲覧者数も1.3〜1.5人と利用状況は非常に低い。

(宮内貴久著『家相の民俗学』より)





No.16 『最新科学 おもしろ雑学帖』 

 この本の副題が『教科書が教えないホットな科学の「ここまでわかった!」』とあるように、最新科学の話題を取り上げ、一般の人にわかりやすいように解説した本です。
 コラムにも書き出しましたが、まさかタイムマシンが理論的には実現可能とは知りませんでしたが、そのような科学の不思議がいっぱい詰まっています。特に興味を引いたのは植物関係ですが、ハエトリソウの補虫葉の動きには脱帽しました。植物にそのような戦略的運動能力があるとは、考えても見ませんでした。
 おそらく、最新科学には一般の人が想像もできないような不思議な世界があるように思います。わかるとかわからないとか言う前に、現実にその恩恵に浴しているわけですから、関心は待ち続けたいと思っています。パソコンだって、私がはじめた20年ほど前には、今ほど一般化され使われるとは思いもしませんでした。デジカメだって、その便利さはわかりますが、フィルムカメラをここまで追い込むとは考えませんでした。
 もし、興味がありましたらご一読ください。

書名著者発行所発行日
最新科学 おもしろ雑学帖中西貴之技術評論社2006年4月25日
☆ ホンの旅 Column ☆

 未来へのタイムトラベルはもし元の時代に戻ることができなくてもよいなら特殊相対性理論によって光速に近い速度で飛行するだけで可能です。特殊相対性理論によると、高速で移動する人の時間の進み方は遅くなるので、地球を飛び出し、どこかを自分の時計で10年分超高速で旅して地球に戻ってくれば、地球ではそれより早く時間が経過して10年以上が経過していることになります。したがって、これだけで理屈では未来へタイムトラベルしたことになります。・・・・・
 さて、その計算方法は、移動速度を光の速さを1とした場合の割合で表し(光速の90パーセントで移動しているなら0.9)これを二乗します。1からその二乗した結果を引き算しその結果の平方根を取ればそれが移動している人にとっての時間となります。光速の90パーセントで移動している場合について計算すると0.44という値が得られます。つまり、5ケ月間光速の90パーセントで飛行できる宇宙船に乗っていれば、宇宙船を降りたときは1年後になっています。
 高速で移動すると時間の経過が遅くなることは実験で観察されています。・・・・・
 最大の難関はそれほどの高速で人が飛行することですが、現在すでに存在する技術で陽子をほぼ光の速度で飛行させることに成功しているので、人間をそれに近い速度で飛行させることも絶対に不可能とは言い切れません。

(中西貴之著『最新科学 おもしろ雑学帖』より)





No.15 『よみがえる緑のシルクロード』 

 この本の副題が「環境史学のすすめ」とありますように、シルクロードの環境史を中心に、環境がどのように変化し砂漠化したのかを読みやすいように推論しながら書き進めています。そもそもこの岩波ジュニア新書は若い世代の人たちを対象にして書かれているので、比較的読みやすく、これから学ぼうとする方にはとても良いシリーズです。
 もともと著者は、イネの起源を求めてアジアのモンスーン地域を歩いてきた研究者ですが、だからこそ違う視点で見えてくるシルクロードもあるのではないかと思います。シルクロードというと玄奘三蔵やヘディンなどの名を思い浮かべますが、過酷な砂漠や探検というイメージで考えてしまいます。私は環境史学という学問は知らなかったのですが、この本を見て、ちょっとおもしろそうだと思いました。また、植物の光合成にも2つのタイプがあり、たとえば遺跡から出てきた人骨や動物の骨の炭素や窒素の安定同位体化を調べると、彼らがどんな種類の穀物を食べていたかがわかるのだそうです。
 下のコラムにも書いてありますが、環境問題は誰もが加害者であると同時に被害者でもあるという複雑で複合的な問題です。でも、この環境史学の目をもって考えれば、楽観はできないでしょうが、必ずや解決の糸口が見えてくるのではないかと思います。
 もし、機会があればご一読ください。

書名著者発行所発行日
よみがえる緑のシルクロード(岩波ジュニア新書)佐藤洋一郎岩波書店2006年5月19日
☆ ホンの旅 Column ☆

 環境問題として認識される問題の多くは、その解決がとても困難な問題が多いことは誰もが知っているでしょう。多くの問題が複雑にからみあい、この地球上に住む誰もが加害者でもあり被害者でもある、そういう複合的な性格をもつのが環境問題のひとつの特徴と思われます。さらに特徴的なのは、目の前に現れたあるひとつの問題がまた別の問題を引き起こし、そしてその新たな問題が第三の問題を引き起こす、というように、いろいろな問題が連鎖的に起きることです。日本の古いことわざにある、「風が吹けば桶屋が儲かる」というのと同じだと思います。

(佐藤洋一郎著『よみがえる緑のシルクロード』より)





No.14 『本を旅する』 

 このページの題名が『ホンの旅』であることから、似たような題名のこの本を見つけ読んでみました。
 内容は二つに分けられ、第一部は著者が出会い影響を受けた代表的な100冊の本を取り上げ、それを語るものです。第二部は、本に関する様々な切り口を集めたもので、いわば断片集です。
 著者のあとがきに、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。
 しかし、今の時代のように多くの本が出版され、忘れ去られていく現実を前に、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。また、自分の心の軌跡を辿ってみたいという気持ちもあります。読みっぱなしよりも、自分自身の読書日記をつけてみたいという考えもあります。
 しかし、著者は、本から学んだ知識も私だけのものではないことに気づいたといいます。だから、このような読書論のようなこの本を書いたのです。たった1冊の本でも、人によって読み方も理解の仕方も違います。その十人十色の読書法を、この本から学びました。

書名著者発行所発行日
本を旅する海野弘ポプラ社2006年4月18日
☆ ホンの旅 Column ☆

 このごろは読みやすいことに読書が傾いているけれども、時には難解なものに挑戦したいと思う時がないだろうか。けわしい山に苦闘しながら、それに耐えて登っていけることにわくわくしたりする。ナバコフの『青白い炎』は、ふやけた脳をぎゅっとひきしめてくれる。・・・・・
 ナバコフは読むことの苦しみと楽しみを教えてくれる。それはことばの山々であり、登りの苦しみの後の、下りの歓喜を与えてくれるのだ。読みやすい本というのは、最初から下りであり、楽ではあるが、ほとんどならも残らない。

(海野弘著『本を旅する』より)





No.13 『鳥の雑学がよ〜くわかる本』 

 当山の吊灯籠の1つに、キセキレイが卵を産み孵化させています。それを毎日見ていると、鳥の子育てなどの生態を知りたくなって読みました。
 ホントに鳥の雑学が多角的に解説してあり、とても興味深く読むことができました。なんとなくわかっていたこと、今回初めて知ったことなど、鳥のガイドブックとしても使えそうです。
 とくにおもしろかったのは、俗に鳥目といいますが、実は多くの鳥が夜でもしっかりと見えているのだとわかり、まさに目から鱗でした。そのような1つを下のコラムに書き込みますが、後はぜひ読んでみてください。

書名著者発行所発行日
鳥の雑学がよ〜くわかる本柴田佳秀秀和システム2006年4月15日
☆ ホンの旅 Column ☆

 美しい声で囀るカナリアは、毎年、鳴き声に違いがあります。若鳥の時に覚えた歌を歌うのならばこれは変です。そこで脳を調べてみると、繁殖期が終わり歌うのをやめると、歌に関係する部分の脳細胞を破棄し、再び繁殖期がはじまる前に新しい細胞ができていました。カナリアは、歌が必要でなくなると歌を忘れ、必要になると細胞を新しくし覚え直していたから囀りが毎年違っていたのです。

(柴田佳秀著『鳥の雑学がよ〜くわかる本』より)





No.12 『生と権力の哲学』 

 なんど読み返してもなかなか理解できない部分がありましたが、今の社会を理解するうえには必要な哲学だと思います。
 中心になる考え方はフーコーの思想で、そのほかにドゥルーズやアガンベン、ネグリなどの論理も展開しています。たしかに、現代は複雑でわかりにくく、ややもするとその見えない権力に押しつぶされてしまいますが、ていねいに読み解くとはっきりしてきます。わからないから不気味なので、わかってくると自分自身の不可解な行動も理解できるようになります。
 でも、下のコラムに書いたゾンダーコマンドの存在を知ったときには、一時、人間不信になりました。

書名著者発行所発行日
生と権力の哲学(ちくま新書)檜垣立哉筑摩書房2006年5月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 ゾンダーコマンド(特別労働班)は、ナチスの下請け機関として、実質的にガス室の運営を担っていた。彼らは、ガス室にユダヤ人を連れて行き、囚人の順番を守らせ、死体を外に引きずり出し、金目のものを抜きとり、火葬し、灰にする。自らが収容者でありながら、虐殺の手先になることによって、わずかながら自らの命を生きながらえるユダヤ人という現象。・・・・・レーヴィは、ゾンダーコマンドとナチスの親衛隊とが、ある日収容所でサッカーに興じている姿を目撃した収容者の証言を残している。「SS[親衛隊]のほかの兵士と特別労働班の残りの者は、その試合を観戦し、選手たちを応援し、賭け、拍手喝采し、声援を送る。それは地獄の門の前ではなくて、まるで村のグラウンドで試合をやっているかのようだった」。

(檜垣立哉著『生と権力の哲学』より)





No.11 『砂漠でみつけた一冊の絵本』 

 ちょっと古めの本ですが、前から気になっていたこともあり、読んでみました。
 著者は、柳田邦男さん、元NHK記者で、現在はノンフィクション作家です。ご本人も絵本との出会いから救われたことがあり、現在は大人が読むべき絵本などの講演活動をしています。「今、おとなこそ絵本を」、「絵本は人生に三度」などのキャッチフレーズのもと、この本でも多くの絵本を取りあげ、解説も試みています。
 『満月をまって』(メアリー・リン・レイ文、バーバラ・クーニー絵、掛川恭子訳、あすなろ書房)の一節、
 「風からまなんだことばを、音にしてうたいあげる人がいる。詩をつくる人もいる。風は、おれたちには、かごをつくることをおしえてくれたんだ。・・・・・ 風はみている。だれを信用できるか、ちゃんとしっているんだ」
 たしかに自分の子どもに絵本を読んで聞かせてから、もう絵本とは縁がなくなってしまったようです。でも、ここで紹介された絵本のなかで、前に読んだ記憶が蘇り、もう一度読んでみたい、いや、今読めばまた新たな想像が生まれるかもしれない、と思いました。

書名著者発行所発行日
砂漠でみつけた一冊の絵本柳田邦男岩波書店2004年10月6日第1刷発行
☆ ホンの旅 Column ☆

 絵本というものは、幼い子どもだけのためにあるのではない。私は、絵本とは魂の言葉であり、魂のコミュニケーションだと思っている。しかも、小説でも詩歌でもそうだが、内容は年をとるとともに味わいが深くなる。絵本の可能性は広く深い。要は、読む者がどのような状況のなかで、何を求めようとして絵本を手に取るかにある。

(柳田邦男著『砂漠でみつけた一冊の絵本』より)





No.10 『働くって何だ 30のアドバイス』 

 最近家にこもって働かないニートの問題が話題に上ります。今の若者は「働く」ということをどのように考えているのかを知りたくて、本来はジュニア世代向けのこの本を読んでみました。
 この本は、著者が自分のお孫さんたちと語り合いながら自分の伝えたいことを書いたと「あとがき」に記しています。だから自分の孫たちへの期待も願いも込められているように思います。
 現実と理想とのギャップ、たしかにそのようなものはいつの時代だってあったはずです。やりがいのある仕事がしたい、自己実現のための仕事があればなど、いろいろな希望はあると思うけど、まずは自分で働いて食べていくことが当たり前のはずです。それなのに、まわりがその理屈を肯定し、結果的には働きもしないで家に閉じこもり何をするでもない、それでは本末転倒だと思います。
 働くことを通して社会と向き合う、そのなかで生かされていることを少しずつ知っていくと私は考えていますが、その働くということを多方面から解説しているのがこの本です。ぜひ、現代の若者には読んでもらいたいと思います。

書名著者発行所発行日
働くって何だ 30のアドバイス(岩波ジュニア新書)森清岩波書店2006年4月20日
☆ ホンの旅 Column ☆

 働くことは他人や社会のためにのみすることではない、とひとまず考えておこう。お金を稼ぐことというのも、それは結果をいっているだけで、働くことの本当をいっていない。社会人の義務として働かなければならないと思うと、気が重くなるだろう。お金を稼ぐために働くのだと思えば、「それだけでは寂しい」と感じないだろうか。働くことは、もっと自然なこと、あるいは自分にぐんと引き寄せて「自分が生きているから」というように考えられないと、できればパスしたいことになってしまうのだ。

(森清著『働くって何だ 30のアドバイス』より)





No.9 『梅原猛の授業 仏になろう』 

 この本は、平成17年4月から8月までの計8回の朝日カルチャーセンター京都での講座をまとめて、さらに手を加えたものだそうです。
 題名「仏になろう」というのは、いささか突飛なようですが、私も以前あるところでこのような話しをしたことがあります。仏教と他の宗教の決定的な違いは、これだからです。キリスト教でもイスラム教でも、絶対にキリストにもマホメットにもなれません。しかし、仏教だけはお釈迦さまと同じように悟れるのです。すなわち、同じになれるのです。
 そのなる方法を書いてあるのが、この本です。もちろん、簡単に誰でもなれるわけではありません。この本のなかでも、「仏教がそういう深い人間の業を改めろというのは、ひょっとしたら無理なことを言っているのかもしれません。しかし、だからといってそれを叫ばないと、人間の世界は地獄になってしまう。仏教の道徳は不可能な道徳なのかもしれないけれど、だからこそ素晴らしい教えではないかと思っています。」と書いています。
 できないことはできない、というより、できないことでも少しだけでもできるようにしたい、と思うほうがいいと私も思っています。

書名著者発行所発行日
梅原猛の授業 仏になろう梅原猛朝日新聞社2006年3月30日
☆ ホンの旅 Column ☆

 親は子どもがかわいいから愛する。子どもは、愛されないと生きられない。愛されて、成長すると今度は愛する人間に変わっていく。お父さん、お母さんにかわいがられて育った人間は、大人になると自分も子供をつくって、子どもを愛することで、親から受けた愛を返していく。愛された人間から愛する人間へと変わることで、人間は成長するんです。

(梅原猛著『梅原猛の授業 仏になろう』より)





No.8 『まともな男になりたい』 

 最近、特に目に付くのは自分のことしか考えない人です。また得をすることは良いことだとばかりに、得をした人のかげには損をした人がいることを忘れてしまっています。「まじめ」というと、最近は逆に負のイメージでとらえる風潮さえあります。
 しかし、「まじめ」や「まとも」という生き方は、本来もっとも筋の通ったものだと思います。毎日伝えられる事件や事故を見ると、これが同じ人間のすることかと暗い気持ちになります。
 この本でも紹介されていますが、フランスのことわざに「よいものの敵は、さらによいものである」というのがあります。自分のよいと思うものを手に入れるために、本当に大切なものまで犠牲にしてしまう人間の性(さが)みたいなものがこの言葉のなかには隠されています。
 男たるもの、もう一度、まともな大人の男になるためにちょっとは考えてみるきっかけになる本だと思います。

書名著者発行所発行日
まともな男になりたい(ちくま新書)里中哲彦筑摩書房2006年4月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 教養の人は規矩をもっている。規矩とは自分自身に課する掟のことであるが、教養の人は「卑怯なことはしない」と自分に言い聞かせる自制心をもっている。また、そうであるがゆえに、教養の人は規矩をもたない人間を迂闊には信用しない。軽さだけが売りものの自制を欠いた人間は信頼に値しないと考えているのだ。また、うまい話やぼろい話に引き摺られない風馬牛の心得も保持している。

(里中哲彦著『まともな男になりたい』より)





No.7 『世界森林報告』 

 著者は2006年3月に定年を迎えたそうですが、これはそれまでの40年間91回にわたって世界の森を歩いてきたまさに題名通りの本です。
 東南アジア、北アメリカ、ラテンアメリカ、中国やヒマラヤ、ヨーロッパ、そしてアフリカの森を歩いてきた実感とこれからの課題ともいうべきエコツーリズムという新しい観光形態とを絡み合わせながら書き進めています。
 とくに興味深かったのは、何度か訪れた場所である中国からヒマラヤの東へという章で、今では松茸で有名になった中甸やそしてその途中にある麗江など、いろいろな出来事と共に思い出されました。とくに棚田のくだりは「ホンの旅 Column」にも取り上げたように、まさに実感です。
 たしかに日本でも棚田を残すということは大変な労働をともないますが、それを失うということは農業の大切な心まで失うことかもしれないと感じます。棚田は、自然に逆らわず営々と努力を積み重ねてきた、その結果なのだと思います。

書名著者発行所発行日
世界森林報告(岩波新書)山田勇岩波書店2006年3月22日
☆ ホンの旅 Column ☆

 私がこれまで見た(棚田の)最小単位は20センチ四方で、そこに一本の大根が植えられていた。・・・・・私は初めてこの極小空間に植えられた大根を見たとき、高山で珍しい高山植物の花に出会ったときと同じような感動を覚えた。人間は生きるために、実にすばらしい努力をしている。とりわけ農業は、人間が生きていくために欠かせない食生活にもっとも密接に関係する。十分な広さと機械力をもつ大規模農業とはまったく違う、極小の世界を生かす努力がここにも見られる。

(山田勇著『世界森林報告』より)





No.6 『野菜学入門』 

 著者は2005年3月10日に死去されましたが、ちょうどその1年後発行されたのがこの本です。
 「序章 野菜学事始」から、春夏秋冬の野菜を取り上げながら、その野菜の履歴書、旬と選ぶポイント、その野菜の効能や弱点などをしっかりと説明されています。とくに、野菜の故事来歴がおもしろく、白菜は冬の鍋物の代表的素材だから古くから栽培されてきたと思っていましたが、日清・日露戦争のときに従軍した兵隊さんがこっそりと白菜の種子をポケットに忍ばせて持ち帰ったという話しにビックリしました。
 また、レタスを選ぶときにずっしりと思いほうが良いと思っていましたが、じつは今の結球レタスはあまり大きくなり重くなりすぎると、ビタミンCや糖分は減少してしまうのだそうです。ということは、食味・栄養価から見ると少し小さめの方がよいということになります。身近でありながら意外と知らない野菜のうんちくがたくさん載っています。
 本をつくる課程で記載の中心は関東が多くなりますが、著者は北海道在住だったということもあり、随所に北国のことが書かれています。それにも共感を覚えました。

書名著者発行所発行日
新装版 野菜学入門相馬暁三一書房2006年3月10日
☆ ホンの旅 Column ☆

 かつて私たち日本人は、自然と共生し、四季に順応して生きていました。そして旬は自然との共生を前提にした日本独自の食文化です。では、旬とはなにか?それは春夏秋冬の季節に合わせ、自然が提供してくれる食材を食べ、暮らして行く生き方、人間のバイオリズムに合わせた生き方にほかなりません。

(相馬暁著『新装版 野菜学入門』より)





No.5 『旅の発見』 

 この本は、日本エッセイスト・クラブが編集したもので、31名の方々が書き下ろしています。
 いちおう、区分けとして、「歴史の現場に立った日」・「わが青春の原点」・「あの旅がターニング・ポイント」・こだわりの地を訪ねて」・「絆の発見」の5つに分かれていますが、すべて旅がらみのエッセイです。
 この本の題名は「旅の発見」とはなっていますが、むしろ「旅で発見」というのが正しいように思います。誰にでも忘れられない旅があるように、旅は自分を発見することでもあります。
 とくに印象的なエッセイは、伊藤光彦氏の「家族のディアスポラ」です。ディアスポラとはギリシア語で離散を意味する言葉ですが、聖書にバビロン捕囚後にユダヤ人が異邦人の土地へと離散したことが書かれてことによります。そう、まさに家族がバラバラになり、しかもとんでもない災難に遭い、それが無理をしてでも一緒に暮らすことでその災難も乗り越えられるという、劇的なものでした。たしかに昔は企業戦士なるものが多くいましたが、やはり家族はすべての基本だと思いました。
 このページの名前も『ホンの旅』ですが、旅ってまったくの個人的なものですが、似たような思い出につながる部分がありそうです。
 旅好きな人、自分を見つめ直したい人は、機会があればお読みください。

書名著者発行所発行日
旅の発見日本エッセイスト・クラブ編岩波書店2006年2月22日



No.4 『進化生物学への道』 

 この本の副題は、「ドリトル先生から利己的遺伝子へ」とあり、グーテンベルクの森というシリーズの一冊です。
 このシリーズは、「人は書物と出会うことで心を強く揺さぶられ、それまでとは違う自分を見出していきます・・・・・」という書物との関わりから著者自らの体験をつづっていくという感じのものです。現在この本を加えて9冊出ています。
 副題からもわかるように、小学校のとき出会った『ドリトル先生物語全集』で読書の楽しみを覚え、その物語に登場する動物たちとのふれあいから生き物に対する興味が芽生えました。そして、実際にアフリカの奥地でチンパンジーを研究したり、それの試行錯誤からダーウィンに、さらに自分自身の見解にたどり着く道筋を本との関わりを通し書きつづっていきます。
 しかし、結局は高校1年に読んだダーウィンの『ビーグル号航海記』、そして『種の起源』に結果的には大きな影響を受けていた自分を知ることになります。著者があとがきでも書いていますが、「本を読むことは、新しい世界を発見することである。著者が提示してくれる、私はまだ知らない世界に踏み出す冒険だ」ということは、本が大好きで、いろいろな本を読み続けないと言えない言葉だと思います。

書名著者発行所発行日
進化生物学への道 ドリトル先生から利己的遺伝子へ長谷川眞理子岩波書店2006年1月26日
☆ ホンの旅 Column ☆

 本に限らず、映画も演劇も、音楽も絵画も、新しい世界を見せてくれる冒険だ。しかし、読書は自分のペースで進めていける。ゆっくりと読むのもよい、とばして読むのもあり。気にかかれば、またもとに戻ることもできる。外から与えられるのではなく、どのくらい深くつきあうのか、自分の好みとペースで歩みを決められるのが読書の醍醐味である。
 そして、読書の世界には文字しかない。・・・・・読書は、なにも目の前に実体がないにもかかわらず、言葉だけから1つの大きな世界を自分で想像していくプロセスである。このおもしろさを見いだした人は、もう二度とここから離れることはできないだろう。

(長谷川眞理子著『進化生物学への道』より)





No.3 『続・日本の樹木』 

 そろそろ本命のシャクナゲやツツジの本を紹介します。
 この『続・日本の樹木』は、『日本の樹木』の続編ですが、前著は高木が主でしたが、これはシャクナゲなどの灌木も取り上げています。その数、130種類です。
 シャクナゲではツクシシャクナゲ、ハクサンシャクナゲ、ヤクシマシャクナゲ、そしてキバナシャクナゲです。またツツジでは、ドウダンツツジ、サラサドウダン、イソツツジ、ヤマツツジ、レンゲツツジ、ミヤマキリシマ、ムラサキヤシオ、クロフネツツジです。この他に、ツツジの仲間としてアセビ、ブルーベリー、クランベリーです。
 本人も図鑑ではなく生態誌を目指したと書いていますから、楽しみながら読めるかと思います。中公新書の一冊ですから、機会があれば気軽にお読みください。

書名著者発行所発行日
続・日本の樹木辻井達一中央公論新社2006年2月25日



No.2 『「本」に恋して』 

 前回はホンの窓を開いたので、今回はそのホンに恋してる方の本を紹介します。
 松田さんは、編集者としての経験などを通し、1冊の本をパーツごとにバラし、そのバラした一つ一つを理解することを主眼にして書いたようです。
 みなさん、「インキ」と「インク」の違いを知っています?また、紙は木と土からつくられていることを知っていますか?さらに、印刷した紙がくっつかないようにパウダーを使っているのを知っていますか?などなど。
 私はほとんど知りませんでした。本は好きですが、その本の内容はもちろん、装丁や造本までをひっくるめて好きなのですが、その一つ一つの工程までは思い至りませんでした。本は奥が深い、それがこの本を読んでの率直な感想です。

書名著者発行所発行日
「本」に恋して松田哲夫新潮社2006年2月25日



No.1 『世界の窓 〜Windows〜』 

 Windowsだからといって、パソコン関連の本ではありません。Windowsという語義そのままの本で、いわば写真集に分類されます。
 しかし、作者のベルンハルト M.シュミットは、「窓は・・・・・そこに住む人たちの人格をも最終的には表現しています」と書いていますから、一種の文化史的側面も持っているようです。ページの記載もなく、ただ世界の窓を1枚1枚載せ、たかが窓でも世界中にはこのような変化があるのだと改めて認識させられます。ここに掲載されている窓のなかで、いくつかは見たことがあります。しかし、窓だけを見たのではなく、その周りの風景と混じり合って渾然一体として見ていたのですから、そこから窓だけを切り出すと、やや異様な雰囲気があります。そこに著者のねらいがありそうです。
 作者いわく、「窓は、大変実用的な使い方以外にもさらに、より深い意味を持ち合わせています」といいます。
 この写真集と平行しながら、『世界の名刺コレクション1』と『世界の名刺コレクション2』を眺めていましたが、そのバラエティのおもしろさに圧倒されてしまいました。たかが名刺、されどビジネス・カードです。
 ちょっと不思議な縁ですが、どちらも印刷・製本は株式会社サンニチ印刷でした。さらに、2001年11月に出版された内藤芳徳編『世界の原種/シャクナゲ・ツツジ・ヴィレア辞典』も印刷・製本は同じでした。縁は異なもの味なものといいますが、だから楽しいのではないでしょうか。
 機会があれば、いずれも見ていただきたい1冊です。

書名著者発行所発行日
世界の窓 〜Windows〜ベルンハルト M.シュミット著、パメラ三木訳ピエ・ブックス2006年1月5日




☆ ホンの旅 Column ☆

 なぜ本を読むか・・・・・と聞かれて、「酒を飲むのと同様、酔うためである。酔うほどに読むほどに、いままで見えなかったものが見えてくる。」と水田洋氏は答えています。
 また、かの有名なデカルトは、「すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話をかわすようなものである。」ともいいました。

 私はといえば、ただ楽しいから読むだけなんです。  (Sekiya)


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