☆ 本のたび 2018 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.1468 『わたしの世界辺境周遊記』

 この本は、もともと岩波のPR誌『図書』に2016年8月号から12月号までの5回、連載したものがもとになっているそうです。
 私が著者の本を読んだのは、『雲表の国ーチベット踏査行』などで、どちらかというと紀行文が多いのですが、専門は日本近代史や自由民権思想史などだそうです。生まれは1925年ですから、今年で満93歳です。さすが、世界のあちこちを歩いた方は違います。しかも、以前に訪ねたところもありますが、それをちゃんと記録して残してあるんですから、たいしたものです。
 副題のような「フーテン老人ふたたび」のフーテンとは、前作が『フーテン老人世界遊び歩記』からきているようですが、もう20年ほど前のものです。これが岩波同時代ライブラリーの1冊ということで、今回も岩波書店から出版されました。表紙にフーテンの寅さんが使うようなトランクの写真が載っていて、それが旅愁を誘っているようです。
 この本のなかで特に印象に残ってのは、玄奘三蔵の旅についてで、「西暦629年、唐の都長安(西安)を密出国し、タクラマカン砂漠から天山山脈を北に越え、中央アジアの大草原の今のキルギス、カザフスタンを通り、アフガニスタンの山中を大迂回してバーミヤンに出、大石仏に礼拝したあと、ガンダーラ国(今のパキスタン)に下っている。それからインドにいたる長い道のりだ。……玉門関の西には強力な吐蕃(チベット王国)があり、また遊牧民の突厥王国などがあって、当時の唐のカではそこまで支配が及ばなかった。そこで法師は高昌国王の斡旋、紹介により、突厥王に旅の安全を保障されて、その支配下の地域を迂回したのである。」というヵ所を見つけ、その迂回した理由がわかりました。
 すべて歩くしかなかった時代に、わざわざ遠回りをするというのは、相当な理由がなければなりません。ある本には、高昌国王からの要請があったからだと書いていましたが、もしかすると、それもあったかもしれません。
 というのは、下に抜き書きしたようなことが実際にあったからです。
 この本には、昔の旅物語りが多いと思っていたら、2015年にベトナムに行ったということも載っていました。これはハノイからサイゴンまでで、4、5年ほど海外旅行をしていなかったのでパスポートの期限も切れていて、新たに10年旅券をとったと書かれていました。ということは、満99歳まで、世界中どこでも行けるということで、さすが著者だと思いました。
 やはり海外に出かけるというと、荷物も多くなり、心理的な緊張もあると思うのですが、この本を読む限り、行きたいという気持ちのほうが先行していて、どこにも大変だということを書いたところを見いだせませんでした。
 むしろ、その旅行の途中で、次はどこに行きたいと考えるのですから、いろいろなところに行けるわけです。さて、私は、今年はどこへ行きたいのか、そろそろ忙しいお正月が終わるので、これから考えたいと思っています。
 下に抜き書きしたのは、玄奘は密出国者しながらも、インドまで行き、多くの文物を持ち帰ることができたのはなぜかに答えたものです。
 しかし、帰路には高昌国に立ち寄る約束も、すでに滅ぼされたと知り、最短距離で中国に帰ったのです。でも、玄奘の功績は、多くの後援者の存在があったからこそではないかと思いました。
(2018.1.9)

書名著者発行所発行日ISBN
わたしの世界辺境周遊記色川大吉岩波書店2017年11月14日9784000612319

☆ Extract passages ☆

 それにしても玄奘が密出国者でありながら、たくさんの従者や牛馬をつれていられたのは何故か。それには訳がある。かれは途中の仏教国、高昌国の王から手厚い礼遇と歓待を受けたのである。王は玄奘に傾倒し、礼拝し、懇願した。「この国には数千の憎がいる。これらを悉くあなたに師事させる故、長くここに留まってくれないだろうか」と。
 王は先を急ぐ玄奘を引き留め、みずから盤をささげて食事の給仕をし、情をもって動かそうとした。だが、玄奘は絶食してこれに対抗した。断食四日、国王も断念。その代わり「天竺からの帰路には三年間ここで供養を受けて頂きたい。さしあたり一か月、般若経の講義をしてく れること」を約束させ、妥協したのである。
 この高昌国王が出発の日に、4人の臣を玄奘の従者とし、法服30領を新調し、寒さ対策に頭巾、手袋、靴など数多く整え、別に黄金100両、銀銭3万枚、綾絹500疋を、インドに往復する20年間の旅費として寄進し、馬30頭、人夫25人を添えてくれたという。さらに、沿道24国の王たちに依頼状をつくり、持たせてくれた。玄奘に対する高昌国王の愛敬の情が いかに大きかったか、これらが示している。
(色川大吉 著 『わたしの世界辺境周遊記』より)




No.1467 『もっと知りたい ターナー 生涯と作品』

 ターナーという画家の存在は、ほとんど知らなかったのですが、たまたま2014年7月にイギリスへ行き、それもたまたまロンドンのテート・モダーンで美術館で「マチス展」があることで、それを見て、ついでに館内を見てまわり、あと見た大きな絵がターナーの絵でした。その説明を見ると、イギリスの代表的な画家だそうで、何点かの作品かが展示されていました。
 そして、テート・ブリテンには、そのターナーの作品だけを集めた「クロア・ギャラリー」があり、相当数の作品があるということでした。そこで日を改めてそこに行くと、そのコーナーを入った正面には、この本でも紹介されている自画像(この本の説明によると、「自らの容姿を卑下していたターナーは、自画像はもちろん、他人に肖像を描かれることも嫌った。本図は例外のひとつで、きちんとした服装を身につけ、信念に満ちたまなざしをまっすぐにこちらに向けている。ロイヤル・アカデミーの準会員に選出されたことを記念して描いたとも憶測されている。)も展示されていて、しかも写真を撮ってもいいことから、何枚か観賞しながら撮影してきました。
 そのなかでも、「ヴァティカンから望むローマ:ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」という長い題名の絵はとても大きく、この本で確認すると177.2×335.3pもあるということです。付近には誰もいなかったので、この前で記念撮影をしました。こういうときは、写真撮影ができるということは有り難いものです。
 また、スコットランドの風景を描いた水彩もあり、この本によると、「ターナーは生涯に6回、スコットランドを訪れている。最初の2回は、スコットランドのピクチャレスクな風景を求めての旅であったが、1818年の3度目の訪問以降は、主としてウォルター・スコットに関係した出版物の挿絵のための素材収集を目的としていた。エディンバラ出身のスコットは、『ァイヴァンホー』(1820年)をはじめとする歴史小説で国民的作家としての人気を誇っていた。31年の4度目のスコットランド訪問時には、スコットに招かれて彼の屋敷アポッツフォードにも立ち寄っている。ターナーが文学作品のために描いた挿絵はきわめて評判が高かったため、出版業者たちはこぞって彼を起用したがった。」ということです。
 そういえば、昨年9月にエディンバラに行ったときに、大きなスコット記念塔があったのですが、やはりスコットはとくに人気があるようで、その彼がターナーとも交流があったとすれば、なるほどと思いました。
 2014年のときにテート・ブリテンでターナーの写真は、約10枚ぐらい撮ったのですが、その半分はこの本でも紹介されていました。それらを改めて見ながらこの本の解説を読むと、また新たな発見がありました。お正月で忙しいのですが、その合間に絵を見るのもいいものです。
 下に抜き書きしたのは、「あとがき」にあるターナーのことです。
 たしかに、今でもイギリスでは人気のある画家で、とても評価の高い画家のひとりです。ただ、日本ではどうかといいますと、2013年の秋に東京都美術館で「ターナー展」が開催されましたのを見たことがあります。そのときに知ったのですが、夏目漱石が「坊ちゃん」という小説のなかでターナーについて触れているそうです。
(2018.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
もっと知りたい ターナー 生涯と作品荒川裕子東京美術2017年11月10日9784808710941

☆ Extract passages ☆

 ターナーが活動したのは200年近く前のことだが、今日なお、彼はイギリス美術のなかで別格の地位を保ち続けている。本人が遺言で望んだこととはいえ、ひとりの画家に対して、国が専用の展示ギャラリーを新たに建設した例は、少なくともイギリスにおいてはほかにない。彼が国家に遺贈した2万点もの作品に関しては、テート美術館によって詳細なデータベースが作成され、ウェブ上で公開されている。1984年に、彼の名を冠して創設された「ターナー賞」は、いまや現代美術における最も権威ある賞のひとつとなっている。2011年には、ターナーゆかりの地であるマーゲイトに、彼の作品の展示を含め多様な文化活動の拠点として、「ターナー・コンテンポラリー」が完成した。かつてターナーがトウィッケナムに建てた家は、2017年までに修復を終えて一般に公開されている。
 このように見てくると、画家ターナーに対する評価は、もはや絶対的なものであるのは明白である。
(荒川裕子 著 『もっと知りたい ターナー 生涯と作品』より)




No.1466 『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』

 今年もいろいろなことに興味を持ち、いろんなことをしてみたいとおもっていますが、たまたまこのような本と出会いました。途切れ途切れにしか読む時間はなかったのですが、もともと子どもたちに話すということが前提なので、とてもわかりやすく、疲れた頭でも理解できました。
 編著は、NHKラジオセンター制作班ですが、「夏休み子ども科学電話相談」制作班と本には書かれていました。おそらく、子どもたちの相談に直接当たった人たちが中心になって、まとめたのではないかと思います。
 このなかでも、「タネなしのスイカやブドウがあるのに、タネなしモモやサクランボはなぜないのですか?」という質問は、とてもおもしろかったです。大人はブドウなどのタネなしはジベレリン処理をするぐらいはわかっていますが、三倍体といわれるとわからなくなります。この説明がとてもわかりやすく、「タネを作るときに、おとうさんのオシベのほうからもらう遺伝子が1セット、おかあさんのメシベのほうも遺伝子を1セット持ってて、それが合わさって2セットになるんやね。そういうのを普通の植物で二倍体って呼んでるの。それをね、薬を使ったり、ほかの方法を使ったりして三倍体ってのを作るんですよ。遺伝子は1セットずつ持たさないと、ちゃんとしたタネにならないのね。でも、三倍体は、どうやって分けたら1セットずつになるのかわからないの。それでね、タネが作れないうちに実がどんどん大きくなって、結局、タネなしになるの!」というものです。
 これなら、ほとんどの子どもはわかってくれるのではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、魚の年齢についての話しです。
 いつも食べてはいるのですが、そういわれれば魚にも年齢はあるはずです。ただ意識してなかったということでしょう。
 やはり、子どもの「魚の『とし』は、どうやって数えればいいのですか?」という問いに、なるほどと思いました。この質問をしたのは福島県内の小学校2年生です。
 この他の方法としては、魚の耳の中にカルシウムのかたまり、耳石(じせき)というのを見る方法などもあるそうですが、魚の研究者以外はちょっとできないのではないかと思います。
 いくら科学といっても、取っつきやすさも大切なことですから、このような本が出版されることも大事だと思いました。
(2018.1.5)

書名著者発行所発行日ISBN
大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」(サイエンス・アイ新書)NHKラジオセンター制作班 編著SBクリエイティブ2017年7月25日9784797390643

☆ Extract passages ☆

 回答者 お魚にウロコがあるでしょ。このウロコを1枚はがしてみると、大きな魚のウロコ、たとえばタイだとか、スズキだとかの大型の魚のウロコは、1枚が大きいから、肉眼で 見ると年齢がわかるんです。虫メガネを使うともっとわかります!じゃあ、どこを見るかっていうと……ウロコって詳しく見たことないよね?
 質問者 まだ、見たことないです
 回答者 そしたらね、おうちで、おかあさんがごはんを作ってくれるときに、『紅ショウガ』って使うでしょう? 赤い色をしてるよね。その液を、おかあさんから少しもらって、魚の体からとった1枚のウロコを、その紅ショウガの液の中に、ちょっとだけ入れておくの。10分ぐらいでいいかな。それでウロコを見ると、今まではよく見えなかったところに、赤い色の濃いスジが出てきます。そのスジを数えるとね、魚の歳がわかるんです!これが一番簡単な方法ね。
(NHKラジオセンター制作班 編著 『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』より)




No.1465 『漢詩花ごよみ』

 年末年始の忙しい時期でも、この本なら読めそうと思い、いつも脇に置いていました。
 副題は「百花譜で綴る名詩観賞」で、漢詩の他に、日本漢詩5首などを含め、全部で51首取りあげられています。しかもすべてが花を詠み込んだもので、たとえ覚えられなくても、カードに記録し、ときどきは眺めたいと思いながら、読みました。
 すると、杜甫の詩でツツジを詠んだのを見つけ、しかも764年に四川省の成都で春を迎えたとき、53歳のときの作品です。それをここに書き出すと、
 絶句
 江碧鳥愈白 江碧(こうみどり)にして鳥愈(いよ)いよ白く
 山青花欲然 山青くして花然(も)えんと欲す
 今春看又過 今春看(みす)みす又過ぐ
 何年是帰年 何れの日か是れ帰年ならん
 この意味するところは、「川は深緑 水鳥は ますます白く 深緑の山 青々として 赤い花 燃えたつよう この春も みるみるうちに また過ぎてゆく いつになったら 故里に 帰れるのやら」ということのようです。
 杜甫の故郷は河南省鞏県市ですが、ひひでいう故里というのは、もしかすると官司ですから長安の都を指しているのかもしれません。
 でも、ツツジに限ってみると、この本では、「蜀の花は躑躅、レンゲツツジか」、と書いてありますが、おそらくスィムズィー(R.simsii)のことで、中国では映山紅とか唐杜鵑といいます。
 実際に四川省でこの花を見たことがありますが、まさに山が燃えるように赤くみえるほどでした。映山紅という名前も、そのようなところから来ているのではないかと思います。
 この他にもカードに抜き書きしたのはいくつかありますが、これらの漢詩を中国語で読めればさらに印象が深まると思います。それができないのが、ちょっと残念です
 下に抜き書きしたのは、白居易のソバの花を詠んだ詩です。この本によると、このソバの花を最初に詩に詠んだのは、白居易だそうです。
 そういえば、ネパールなどにはピンク花のソバがありますが、この情景からは日本と同じ白い花しか思い浮かびません。まだ月明かりでソバの花を見たことはありませんが、機会があればぜひ見てみたいものだと思っています。
(2018.1.3)

書名著者発行所発行日ISBN
漢詩花ごよみ渡部英喜亜紀書房2017年3月1日9784750514956

☆ Extract passages ☆

 村夜
 霜草蒼蒼虫切切 霜草(そうそう)は蒼蒼として虫は切切たり
 村南村北行人絶 村南村北行人(こうじん)絶え
 独出門前望野田 独り門前に出でて野田(やでん)を望めば
 月明蕎麦花如雪 月明らかにして蕎麦(きょうばく)花(はな)雪のごとし

 霜あびた草 老いたよう 秋の虫 か細く鳴き
 村の南 村の北も 道行く人は 絶えはてた
 ただ一人 門前に出て 野のはたけ 眺めれば
 月明り ソバの花 雪のよに 真っ白だ
(渡部英喜 著 『漢詩花ごよみ』より)




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