このコーナーは、私が皆さんからメールをいただいて考えたことや感じることなどを自由にお話をさせていただくものです。





☆飯豊山と蕎麦畑!

 平成20年6月17日、福島県雄国沼のレンゲツツジを見に行ってきましたが、始発のシャトルバスに乗ったこともあり、人っ子一人いない雄国沼をゆっくり散策できました。午前9時を過ぎた頃から人も多くなり、早めに下山しました。そのシャトルバスの乗り場から少し下がったところで、見事な蕎麦畑を見つけました。
 山形では、蕎麦の花は8月下旬から咲き出すのですが、ここでは真っ白な花をすでに咲かせていました。遠くには飯豊山が見え、まだたくさんの残雪が残っていました。
 飯豊山は、山形側からだと、ときどき見ているのですが、福島側から見ることはとても少なく、しかも残雪のころには初めてのような気がします。しかも、満開の蕎麦畑を前景にするのは、もちろん初めてです。その近くには麦畑もあり、もう少しで収穫のようでした。季節は、「麦秋」。
 そこで、ネットでこのときの情景に一番似合いそうな俳句を探すと、新関一社氏の「麦の秋胸一杯に風の唄」というのがありました。まさに麦の穂を大きく揺らす風がとてもさわやかに感じました。



☆野生サルが下りてきた!

 平成20年6月4日、野生のサルたちが山から下りてきて、神殿前で遊んでいました。この右の写真をよく見てください。看板の左手前の石にちょこんとのっています。
 遊んでいるうちはいいのですが、後から小町山自然遊歩道に行ってみると、ヤマユリの根や草木の葉などを食いちぎり、あちらこちらに散らばっていました。おそらく、近くの畑に出没するのもこの同じサルの群れだと思います。
 大事に育てた畑の野菜などを食われれば、ガッカリするのは当然です。何度も被害に遭えば、作るのをやめるかそれなりの対策を施すかしなければなりません。聞くところによると、近くの畑では、補助を受けて進入できないように電線を張ったそうです。また、サルを捕まえ、首に発信器を付け、いつもその動きが分かるようにもしているそうです。
 それでも、なかなか難しいそうで、まだまだ人とサルとの知恵比べは続きそうです。



☆奥日光に行ってきました!

 平成20年5月26日、奥日光をフィールドワークにしている友人に案内され、中禅寺湖や湯ノ湖周辺のアズマシャクナゲやトウゴクミツバなどを見てきました。仕事の都合もあり、日帰りをしたのですが、車の走行距離は480Kmでした。
 右の写真はそのときに撮ったもので、中禅寺湖畔に咲くトウゴクミツバツツジです。この中禅寺湖畔はトウゴクミツバやアズマシャクナゲがやや終わり気味でしたが、竜頭の滝周辺のトウゴクミツバはまだ2〜3分咲きでした。標高にしてほとんど違わないのですが、日当たりや風向きなど、自然の条件が違えば開花期も違ってくるのではないかと思いました。
 でも、湯ノ湖周辺のアズマシャクナゲはちょうど満開で、散策を楽しんできました。
 そのときの写真は、
「シャクナゲのホームページ」に6月10日に載せましたので、ご覧ください。



☆春の山野草展を開催しました!

 平成20年5月10〜11日の両日、三沢コミセンで第32回「春の山野草展」が開催されました。
 そして、その第二会場が、ここ小町山自然遊歩道です。お天気にも恵まれ、多くの方々がいらっしゃいました。三沢コミセンの会場には、260鉢、180種類の山野草が並べられ、女性会員の手作り山菜料理も出され、お昼時には列ができるほででした。この様子は、山形新聞や米沢新聞などでも紹介されました。
 そこに出品された鉢植えを、少しだけここに掲載させていただきます。




山野草展会場

第二会場の小町山自然遊歩道へ

アケボノダイコンソウ

オサバグサ

チングルマ

白花シラネアオイ

オオバキスミレ

ヤマブキソウ

ヒメリュウキンカ



☆置賜の古代桜を見てきました!

 平成20年4月23日、午後から「やまがた花回廊」の一つ、フラワー長井線付近の古代桜を見てきました。
 今年は桜に縁があるようで、この日も晴天に恵まれ、長井から白鷹にかけてのサクラの古木を見てきました。午後からだったので、まずは一番見てみたかった「釜の越桜」に向かいました。ここだけがさくらまつり協力金ということで200円を払い、駐車場に停めました。ちょうど満開で、来る人来る人が一番いいときに来たね、と喜ぶほどでした。ここから歩いて「薬師桜」に行き、また戻って何枚かの写真を撮り、次に「十二の桜」に向かいました。あいにく、駐車場がいっぱいだったので、近くの公共施設に車を置き、歩きました。看板で、なぜ十二の桜というのかも知りました。
 そこから、長井の方に戻り、「白兎のシダレザクラ」と「草岡の大明神ザクラ」を見て、そこから伊佐沢の「久保桜」へ行きました。ここは、樹齢1,200年といわれるぐらいですから、すごい古木です。十数年前に一度見ていますが、その時より樹の勢いがありそうでした。ただ、ここが一番人が多く、なかなか写真を撮るのが難しく、何枚も撮って、後から選別することにしました。
 もう、今ごろは葉桜でしょう。サクラは、パッと咲いて、パッと散るから心に残るのかもしれません。



釜の越桜

薬師桜

十二の桜

草岡の大明神ザクラ

白兎のシダレザクラ

伊佐沢の久保桜



☆福島市の花見山に行ってきました!

 平成20年4月12日、福島市の花見山に行ってきました。
 ここは福島市内から南東に約4キロほどのところにある小さな山で、花木を育てて、それを販売する目的で植えられたものです。ですから、いろいろな花木が植えられていて、それらが一斉に咲くと、もう花の競演という雰囲気です。
 はじめて行ったのは20年ほども前のことですが、そのときはかすかなウグイスの声が聞こえるほど静かでした。シャッター音さえも響くほどでした。
 ところが現在では、シャトルバスが運行され、シャトルバスの停留所から800mほど歩く道は人でいっぱいにあふれかえり、花見山公園内の山道も一方通行で切れ目なく人が流れ、すごい混みようです。たしかに、花木はきれいに咲き競っていますが、あっちにもこっちにも人、人、人・・・。
 これを見ると、この場を解放してくれる人たちのプライバシーを考えてしまいました。おそらく、人が少ないときをねらってやってくるカメラマンも多そうです。
 ぜひ、マナーを守り、末永く、多くの人たちに愛される花見山であってほしいと思いました。


草岡の大明神ザクラ

花見山から見る福島市街

花見山の桜たち



☆小町山自然遊歩道に福寿草が咲きました!

 平成20年3月25日、小町山自然遊歩道に福寿草が咲きました。
 今年の1月上旬は雪が少なかったので、このまま暖冬傾向かと思っていたのですが、中下旬から雪が降り始め、例年通りの積雪になりました。それでも、草花たちは季節が来ると、忘れずに花を付けます。
 福寿草は、キンポウゲの仲間ですから、太陽が照らし出さないと花が開きません。それが、いかにも春の日射しを待っていた北国の人たちの気持ちと同じように思います。写真で見られるように、蜂たちも待っていたようです。これから、だんだんと本格的な春を迎えます。機会があれば、ぜひ小町山自然遊歩道を訪ねてみてください。


福寿草(白いところは残雪)

福寿草

福寿草と蜂



☆コハクチョウを見てきました!

 平成20年2月6日、上山の帰りに窪田の千眼寺裏の最上川でコハクチョウを見てきました。
 本当はハクチョウを見たかったのですが、時間が中途半端だったこともあり、コハクチョウとオナガガモしかいませんでした。そこの野鳥に詳しい方に伺ったら、やはり朝か夕方の時間帯だといるかもしれないし、写真を撮るにもいいのではないかということでした。
 それと、オオハクチョウは、くちばしの黄色部分がコハクチョウと比べて大きく、鼻孔の先まで黄色いそうです。そして、コハクチョウは鼻孔の手前までしか黄色くないそうです。でも、遠くから見ていると、なかなかそこまでの区別はできそうにありません。もし、これから見に行く場合は、簡単なものでもいいから双眼鏡があれば楽しいかもしれません。
 ただし、もう北国に帰るころだと思いますので、残念ながら、来年でもまた挑戦してみたいと考えています。


コハクチョウとオナガガモ

コハクチョウとオナガガモ

オナガガモ



☆上山の春雨庵に行きました!

 平成20年2月6日、上山市の春雨庵に行ってきました。
 ここは、あの京都大徳寺の僧、沢庵禅師が紫衣事件で上山に配流されたときに3年ほど過ごしていたところです。もちろん、この現在の建物は昭和28年に品川の東海寺から一部を譲り受け再建したものだと案内板に書かれていましたが、それでもこの茅葺き屋根や庭などは往時をしのぶのに十分でした。山形県の重要文化財にも指定されているそうです。
 沢庵禅師が春雨庵で詠んだ歌も残されています。

 花にぬる胡蝶の夢をさまさじとふるも音せぬ軒の春雨
 浅くともよしや汲む人あらばわれにこと足る山の井の水
 苔あつき草の庵のはるさめはしずくにだにもふるとしられず



☆坂東三十三観音札所巡り Part.19

 平成19年度の今回最後の巡礼地は、第4番札所の海光山長谷寺です。
 地図を見てると、そんなに離れていないようでしたが、杉本寺から25分ほどかかりました。ここも、数年前に家内と訪れたことがあり、二度目の参詣です。ここでも入山料を払い、山門の脇を抜け、池の間の道から石段を上ると、左手から大きなサルスベリが花を咲かせ、さらに上ると、今度は木立の下に小さくて優しい3体の親子にも似たお地蔵様がまつってありました。そこから、回り込むように石段を進むと、その高台に、観音堂などの伽藍が建っていました。まさに、見るからに近代的なもので、最近のものと一目でわかります。
 ここの本尊さまは、奈良の長谷寺の観音さまと同じ木から彫られたといわれ、全長三丈三寸と古記録にもあるそうです。お姿は、十一面観世音菩薩で、右手に錫杖を持っておられるのが特徴で、地蔵菩薩への信仰と重なり合わされたものではないかと思われます。
 たしかに由緒あるご本尊さまですが、長谷寺の創建年代は不明で、『吾妻鏡』にも記載はないそうです。しかし、僧忍性が極楽寺坂を切り開いた文永・弘安年間(1264〜88)の頃には、人々の信仰を集めていたようですから、それなりの格式は持っていたようです。そして、なにより、この大きな観音さまには、とくに奈良の長谷観音さまに行けない人々にとっては、ありがたい存在だったのではないかと思われます。
 ここが今回の巡礼の最後ということで、とくに念入りにご法楽をささげました。
 そして、まだ時間があるということで、付設されている宝物館にも入り、弘法大師作といわれている出世大黒天などもお詣りさせていただきました。
 下山して、時間を確認すると、11時55分でした。そこから、藤沢方面に車を進め、途中の「新中華美食 炎の龍」で昼食を食べ、鎌倉市栄区の定泉寺の田谷の洞窟にまわりました。ここは30分ほどでまわり、後はまっすぐに東京を通過して帰宅の途につきました。
 定泉寺を出発したのは13時40分、出発地の普門寺さんに着いたのが20時ちょうど、そして我が家に到着したのは、午後8時25分でした。途中で、ガソリンを詰めたり、夕食を食べたりしましたが、6時間45分かかったことになります。まずは、運転手さん、ほんとうにご苦労様でした。そして、お世話になりました。また、必ず、来年もこの坂東三十三観音札所巡りを続け、いつかはすべて達成したいと思います。

 第4番札所 海光山長谷寺 (単立) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 長谷寺へ まいりて沖を ながむれば 由比のみぎはに 立つは白波



☆坂東三十三観音札所巡り Part.18

 第3番札所の安養院を出て、次は第1番札所の大蔵山杉本寺を目指しました。
 実は、この杉本寺は昨年の鎌倉での会議の折、一度お詣りをしたのですが、その時はバスで行きましたが、今回は車です。いったん、金沢街道へ出たのですが、いつの間にか通過したらしく、もう一度戻って見つけました。そんなこんなで、安養院から15分ほどかかり、なんとか到着しました。10時35分でした。
 山門前で入山料を払い、石段を進みました。この前にお詣りしたときも、この入山料にいささか疑問を持ったのですが、今回は既成事実としてすっなりと納得。まあ、少しは境内地の整備に役立ってくれればいいと思いました。山門には、ちょうど咲いていたサルスベリの花が枝を伸ばし、いい雰囲気でした。その先は、この前に来たときと同じように、通行止めになっていて、右手のほうの石段を上りました。
 すると、たった一度だけなのに、見慣れたような茅葺きの5間4面の観音堂が杉木立ちのなかに建っていました。案内には、ここが鎌倉で一番古いお寺だとあり、たしかにその通りだと思わせるものがあるようです。現在の観音堂は、延宝6年(1678)の再建だそうですが、その千社札の多いこと多いこと、これでは張り紙禁止にしたいのも頷けます。
 中に入り、座ってご法楽をささげ、さらに奥まったご本尊さまにお詣りし、外に出ると、杉木立から太陽の光がもれ、なんともすがすがしいものを感じました。やはり、お詣りはいいものです。気持ちがさっぱりし、心まで洗い流したような気になります。
 下りは、別の道を通り、また山門のところで合流し、下山しました。やはり、ここも山の斜面に建てられたところで、「下山」という言葉も、すんなりと出てきて、ここを10時55分に出発しました。足りない説明は、No.10を参考にしていただければありがたいです。

 第1番札所 大蔵山杉本寺 (天台宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 頼みある しるべなりけり 杉本の 誓いは末の 世にもかはらじ



☆大根茶事をしました!

 12月23日、天皇誕生日の夕方から恒例の「大根茶事」をしました。
 お茶というと、贅沢なことと誤解されていますが、本来はわびさびの世界で、地味なものです。それを体現しようと、毎年大根を食べるお茶事をしています。今年は米沢市の座の文化伝承館のお茶室「青山庵」が会場でした。料理はほとんどを自分たちで取りそろえ、器などもすべて運び込み、正味4時間のお茶事でした。もちろん、準備から後片付けまで入れれば、十時間を超えるでしょうが、とても有意義な時間でした。
 茶釜を持ってくる方や大根を煮てくる方、みなそれぞれの役割をこなしましたが、私は濃茶と薄茶を点て、懐石の接待などもしました。ある人が、「お茶はしばりがきついから楽しい」と言いましたが、たしかにその通りだと思います。しばりもなく、自由になんでもやっていいとすれば、それはそれで何をやっているのかさえ分からなくなります。しばりの中に、ちょっとした遊びを見つける、それも楽しみの一つです。
 もし、機会があれば、ぜひ多くの方々にも茶の文化に触れてみていただきたいと思います。


青山庵

懐石で大根を食べる

青山庵でのお手前



☆「北大路魯山人と岡本太郎展」を見てきました!

 12月21日、上山関根に干し柿を買いに行ったついでに、山形美術館で開催されていた「北大路魯山人と岡本太郎展」を見てきました。
 会期は11月30日から2008年1月27日までですが、この日は北大路魯山人の命日ということで、夫婦で入場すると半額でした。まったく知らずに来たのですが、少し得した気分でした。
 なぜ2人展なのかといいますと、魯山人は岡本太郎の祖父の岡本可亭に弟子入りしたこともあり、岡本家とは三代の付き合いだそうです。そう思ってみても、そこには芸術としての脈絡はほとんどなく、影響も受けていないようでした。
 北大路魯山人の陶芸は、以前から好きで、ことあるごとに見ていますが、あのおおらかさと大胆さが混じり合ったようなつくりは、やはり見事でした。たとえば、「信楽鮑大鉢」などは、あの大きさといい、あの形といい、写真では絶対にわからないすごさがあります。しかも、それに料亭「辻留」が盛った料理の写真がありましたが、料理を盛りつけて初めてわかる良さというものを感じました。
 魯山人の書も良く、とくに気に入ったのは『昨日雨今日晴』という一行物です。良くも悪くも魯山人らしいもので、この言葉とともに、帰宅しました。



☆越後の良寛さまを訪ねて

 2007年12月12〜13日に新潟県長岡を訪ねる機会があり、かねてからの念願だった良寛さまの史跡をまわりました。
 今回は、生まれた出雲崎の橘屋跡にたつ良寛堂をはじめ、国上山周辺の五合庵や乙子神社周辺、そして、貞心尼と出会った和島あたり、現在は長岡市になっていますが、隆泉寺には良寛さまと弟由之の墓がありました。
 そして、出雲崎にある良寛記念館では、多くの良寛さまの資料を見てきました。その近くの良寛と夕日の丘公園から見下ろす出雲崎の風景は、いかにもここで生まれ、時々は訪ねたであろう姿が思い浮かぶような雰囲気でした。今回歩いて感じたのですが、良寛さまの歩かれた地区内の人々の良寛さま対する思いは、今も変わらない親しさで包まれているかのようです。
 今回は12月ということもあり、ちょっと寂しそうな写真ですが、いずれ、新緑のころや紅葉のころなども訪ねてみたいと思います。



良寛さま誕生の地

剃髪された光照寺

国上山の五合庵

国上山の乙子神社

朝日山展望台の良寛像

良寛禅師と弟由之の墓



☆坂東三十三観音札所巡り Part.17

 次は、第3番札所の安養院です。逗子の岩殿寺からは距離的にはほんの少しですが、なにせ地理不案内のものばかりですので、頼りは車のナビだけです。車に乗り込むと、まずは行き先のお寺を入力し、案内開始で出発します。
 それでも、10分で着きました。先に着いたマイクロバスで巡礼をしている千葉の方々のそばに車を停め、御影石の石畳を歩き、山門をくぐると、真正面に観音堂があります。その左手前には、樹齢700年といわれる槙の木があり、寺伝では安養院を開山した尊観上人の植えた ものと言われているそうです。
 ここの観音堂は、昭和3年に建立されたもので、内陣には阿弥陀如来、そのうしろに千手観音が安置されているそうです。ここが、やはり浄土宗なのかもしれません。まずは、最初にご法楽をささげ、観音堂から出ると、左手に睡蓮の鉢植えが残り花を咲かせていました。それが少し薄暗い境内地にあって、スポットライトを浴びたように照り映え、つい写真を何枚も撮ってしまいました。花色は、ピンクと白でした。
 なぜ、ここが安養院田代寺と言われるようになったのかと由来をみると、「嘉禄元年(1225)北條政子が夫、頼朝の菩提を弔うため、笹目ヵ谷に願行上人を閉山として祇園山長楽寺を建立した。だがその年の7月に政子が死去し、この寺に祀られることになった。しかるに長楽寺は元弘3年(1333)鎌倉幕府滅亡の際、兵火によって焼け、同じく焼失した名越の善導寺跡に移り、2寺は合併されて安養院となった。安養院はさらに延宝8年(1680)に火災にあったが、その際に田代寺をここに移して復興されたのである。」ということだそうです。なんとも、ややこしいことです。
 でも、山門を出て、外に出ると、石垣に植え込まれたツツジの株が見事で、おそらく花時は多くの人たちが訪れるのではないかと思いながら、ここを後にしました。午前10時20分でした。

 第3番札所 祇園山安養院田代寺 (浄土宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 枯木にも 花咲く誓ひ 田代寺 世を信綱の 跡ぞ久しき



☆坂東三十三観音札所巡り Part.16

 9月6日、朝6寺30分に起床し、7寺20分に朝食、8時にはここを出発しました。民宿の前のお土産やさんで、城ヶ島公園に行くことを勧められ、そこにまわることにしました。
 ここは三浦半島の最南端で、駐車料金を払っただけで公園内に入れました。なかはとてもよく整備され、ハマオモトやイソギクなどが咲いていました。そこの展望休憩所からは、台風の影響を受けた太平洋の荒波が岩礁にぶち当たるのが見えました。しかも、展望所は何カ所かあり、それぞれに違った風景を楽しむことができます。でも、先を急ぐ身ですから、そこをそこそこにして出発しました。時間は、午前8時35分でした。
 目指すは、第2番札所の岩殿寺です。ここは逗子市久木にあり、ちょうど1時間で着きました。細い住宅地内の道をやっと通り抜け、その先に山門が見えました。駐車場も、2〜3台しか入らないようです。山門を通り、両側に植え込みのある石畳(左の写真)を歩き、途中から石段を上ります。左手には本堂や庫裏などが斜面に沿って建っています。その脇を石段を一歩一歩踏みしめながら行くと、その行き着く先に観音堂がありました。
 縁起には、「ここより、近くは相模湾に面した逗子の海を、また遠くは三浦半島はもとより伊豆、房総の半島を一望できる絶景の地であることから、山号を「海前山(現在は海雲山)」また、岩窟が自然の殿堂のようであったので寺号を「岩殿寺」としたといわれる。」とありましたが、現在では住宅が建ち並び、視界も遮られているようです。この観音堂は、江戸期に再建されたもので、逗子市の重文に指定されているそうです。周りには、立派な木々が生え、いかにも古木蒼然とした雰囲気でした。
 その観音堂の裏に、今でも岩殿寺の由来にもなった岩窟がありましたが、これはちょっと新しいようで、後から作られたような感じでした。帰りに、もう一度、その眺望を確かめるべく逗子の町並みを眺めましたが、その先にほんの少し海らしきものが見えただけでした。
 石段の途中にある庫裏でご朱印をいただいてきてくれた運転手さんと会い、そのまま車に戻りました。09時55分、ここを出発しました。

 第2番札所 海雲山岩殿寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 たちよりて 天の岩戸を おし開き 仏をたのむ 身こそたのしき



☆坂東三十三観音札所巡り Part.15

 13時55分に第8番札所の星谷寺を出発したのですが、まだ、昼食を食べていませんでした。なかなか食べるところが見つからないのと、早く札所を回りたいのとの板挟みです。次の予定は、横浜市南区にある第14番札所の弘明寺ですから、だいぶかかりそうです。そこで、ファミレスでもいいということになり、車のナビで探したら、すぐに見つかり、簡単な昼食をすませました。それでも、50分ほどかかりました。
 そこから、横浜まで一気に進みましたが、京浜急行線弘明寺駅前を通過し、商店街の手前で駐車場に入るところを見過ごし、一方通行だったので、また遠く迂回しながら同じ道に入って、今度は間違いなく狭いところから駐車場に入れました。この間、ロスタイムが20分ほどありました。たかが20分ですが、ほとんどのところが、ご朱印所が午後5時で閉まってしまうのです。そうすれば、また出直さなければならなくなります。昨年も、ちょっと時間が合わなく、あきらめた札所がありました。
 ここの、弘明寺駐車場に着いたのが、16時35分でした。すぐに観音堂にお詣りし、ご朱印をいただき、まずはホッとしました。ここの観音さまは、鉈彫りだそうで、平安末期のものといわれています。なお、左の写真は、本堂の左側にある絵馬堂です。
 ところが、お詣りをしている間にすごい雨が降り、傘を差しても濡れるほどの勢いです。時計を見たら、もう観音堂が閉まる、午後5時少し前の16時55分です。すると、戸を閉めはじめたその音を合図にするかのように、雨が上がり、写真を撮ることもでき、無事に車に戻りました。後は、泊まるところに行くだけですから、気をもむ必要はありません。そこに、泊まる予定の民宿から電話が入り、予定通り進んでいることを話し、ここから約1時間ほどかかるということを聞きました。
 泊まったのは、城ヶ島の民宿「ひこや」です。ここには午後6時ちょうどに着きました。今朝の午前3時30分に起きて、ここまで来たのですから、疲れないわけはありません。でも、運転手さんのほうが、私たちの何倍も疲れているはずです。今日1日で5カ寺もまわれたのは、やはり運転手さんのおかげです。
 午後6寺30分に地元の美味しいお魚を中心にした夕食をいただき、この日は静かに床につきました。

 第14番札所 瑞応山弘明寺 (高野山真言宗)本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 ありがたや ちかひの海を かたむけて そそぐめぐみに さむるほのみや



☆坂東三十三観音札所巡り Part.14

 みんなで車中から昼食場所を探したにもかかわらず、とうとう第8番札所の妙法山星谷寺に着いてしまいました。時間は、13時30分です。ということは、第6番札所からここまで、約25分程度しかかからなかったということになります。小田急線座間駅からだと、徒歩で10分ほどで星谷寺に着くとありましたから、町中の寺です。
 仁王門の前に、真新しいような石像のお仁王様が左右に立っていましたが、そのさらに前に車を3〜4台止められそうな駐車場がありました。そこから歩いて仁王門をくぐり、左に大きなイチョウの木があり、その少し先に沙弥西願によって嘉禄3年(1227)に勧進鋳造された梵鐘をかけた鐘楼があります。これは、東日本最古の鐘だそうですが、見ると撞座が1つしかないようです。後から、由来書を見ると、それがとても珍しいとか、やはり稀少なものほど値打ちがあると思いました。
 本堂右手前にある手洗いで手と口をすすぎ、それから本堂に入りお詣りをしました。そのお詣りをしている間は、雨が降っていたようですが、終わって出てくる頃には雨も上がり、傘も差さずに車に戻りました。今回は台風9号が来ていたので、雨の覚悟はしてきたのですが、不思議なことに車で移動している間は雨が降ったものの、ほとんど傘の必要はありませんでした。やはり、観音さまはありがたいと思います。
 このお寺は、北条氏の篤い保護をうけたり、徳川家康から座間郷に寺領の寄進を受けたりし、以前は相当繁栄していたようですが、今はこじんまりとまとまっていて、雰囲気のよい境内地でした。季節の花が咲き、大きな木があり、なによりも静寂さがありました。
 ゆっくりしたいところですが、観音さま巡礼のたびは、これでなかなか忙しいものです。13時55分には、ここを出発しました。

 第8番札所 妙法山星谷寺 (真言宗大覚寺派)本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 障りなす 迷ひの雲を ふき払ひ 月もろともに 拝む星の谷



☆坂東三十三観音札所巡り Part.13

 お昼を過ぎましたが、なかなか昼食をとるところが見つからず、そのまま厚木の第6番札所飯上山長谷寺に行きました。厚木市内から約6Kmほど離れているそうですが、車だとあっという間です。ちょっと小高い山に上り始めたと思ったら、すぐに飯山白山森林公園の看板があり、その駐車場のすぐ手前に仁王門が見えました。時計を見ると、12時45分でした。
 この仁王門は、源頼朝が秋田義景に命じてつくらせたという由来があるそうで、そこをくぐって石段を登ると、右側に大きな槙の木がありました。その根元には、これが天然記念物に指定されているという指標があり、改めて、ちょっと戻って写真を撮りました。さらにその付近には桜の木もたくさん植えられていて、おそらく花時には多くの人たちが訪れるのではないかと思いました。
 さらに石段を登ると、両側に並んだ数多くの石灯籠の奥に、本堂が見えました。寺伝には、行基や弘法大師にまつわる縁起が書かれてありましたが、このりっぱな本堂ですから、それなりの故事来歴があって当然です。
 ここでも、ゆっくりとお経を読み、真言を唱え、お詣りをさせていただきました。いつものように、掛け軸や朱印帳への納経印は運転手さんがやってくれるので、とても助かります。だからこそ、お詣りもゆっくりでき、写真も撮ることができます。とくに、大きな槙の木と石段を組み合わせて何枚も撮ったのですが、横位置には収まりきれませんでした。
 時計を見ると、13時03分でした。近くには、昼食のできそうなところがなさそうなので、第8番札所の星谷寺への途中で昼食の場所を探すことにして、ひとまず出発することにしました。

 第6番札所 飯上山長谷寺 (高野山真言宗)本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 飯山寺 建ちそめしより つきせぬは いりあいひびく 松風の音



☆坂東三十三観音札所巡り Part.12

 2007年9月5日、次にまわった観音霊場は、第7番札所の金目山光明寺です。ここは、平塚から秦野へ向かう途中の金目というところにあり、すぐ傍を金目川が流れています。ご本尊さまは、行基が彫ったと伝えられる観音像のその胎内に、小磯の浜に打ち上げられた木片を納めたといわれているそうです。そこから、「お腹ごもりの観音」として信仰され、今に伝わっています。
 白御影石の門柱のすぐ奥には、仁王様がまつられている仁王門があり、その正面に間口7間、奥行き8間の観音堂があり、明応年間(1,492〜1,501年)の建立で、平塚では最古の建造物だそうです。それが右の写真です。
 それでも、明治の神仏分離以降は無住に等しいほど荒廃したそうですが、現在ではきれいに寺域も整えられていました。ご朱印をいただくために朱印所に行くと、その庫裡の庭には大株の洋石楠花も植えこまれ、季節の花々も咲いていました。寒いところではなかなか栽培できないジンジャーなどもあり、この庭を拝見しただけで、相当な花好きとお見受けいたしました。やはり、壮麗な寺院建築もいいですが、その境内地の環境も大切なものです。
 町中のお寺では、十分な境内地を確保するということは難しいでしょうが、ある意味、お寺というのは緑の緩衝地でもあります。あるいは、ゆっくりと散歩もできる心の安らぎの場でもあります。いろいろな役割を持つお寺という存在は、これからもっともっと活用すべきだと思います。ある住職さんは、お寺を開放して、お堂の中でゆっくりと本を読んでもらいたいと話していましたし、また別な方は、薬草園をつくりたいと考えていると話されたことがあります。
 やはり、今の時代に必要とされているお寺のあり方を考えなければならない時が来ている、と思わずにはいられません。そんないろいろなことを頭に描きながら、ちょうど12時にここを出発しました。

 第7番札所 金目山光明寺 (天台宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 なにごとも いまはかなひの 観世音 二世安楽と たれか祈らむ



☆坂東三十三観音札所巡り Part.11

 2007年9月5〜6日、第二回目の坂東三十三観音札所巡りをしました。今回は参加者5名で、ジャンボタクシーと運転手さんは同じです。早朝4時30分に普門寺さんのところに集まり、10分遅れ程度で出発しました。ここに来たときは、まだ、真っ暗でしたが、だんだんと薄明かりになって、それでも車はライトを点けて走っていました。
 飯坂インターから東北高速道に入り、安達太良サービスエリアでちょうど6時になったので軽い朝食をすませました。それもたったの20分ほどです。
 また一路、一番遠い小田原の第5番札所勝福寺を目指します。途中、佐野サービスエリアと海老名サービスエリアでトイレ休憩をし、海老名サービスエリアではガソリンも補充しました。
 酒匂川にかかる飯泉橋手前を右折し、堤防沿いから町中に入り、ほんの少しで第5番札所の飯泉山勝福寺に着きました。時計を見ると、午前10時46分でした。ということは、途中休みながらも6時間ほどかかったことになります。
 仁王門まえには駐車場があり、少し雨が降っていたので、傘を差しながら写真を撮っていると、ほどなく雨が上がったので、もう一度ゆっくりと写真を撮り直しました。仁王門をくぐり、お堂を見渡すと、その手前に形の良いサルスベリが花を付けていました。花色もありふれたもので、しっとりとした風情が感じられました。また、先ほどまでの雨の水滴がつぼみに付着し、花のつぼみと水滴がともに光って見えました。
 本堂の左手前には、太い銀杏の木がそびえ立ち、ひっそりとした木陰を作り出しています。本堂は1706(宝永3)年再建の宝形造りで、内陣に入ることはできませんでしたが、外陣からお詣りさせていただきました。ですから、なかの様子は何もわかりません。ただ、ここから今回の巡礼が始まるので、心なしかお経を読むのにも力が入ります。本堂右手前には、二宮尊徳の本尊礼拝の像が建ててありました。そこの由来板によると、尊徳がこの勝福寺で旅僧の観音経訓読を聞き、その意味するところを知り、利他に生きることの大切さを思ったということです。
 そういえば、ある観音経の解説本を読んでいたときにもこのような記述があり、ある法会で私もこの話しをしながら観音経訓読をしたことがあります。ところが、その後の話しでは、あまりありがたくないという指摘を受け、それ以来、一度もしたことがありません。その話しの起源はここの場所だったのだと知り、そんな若いときの苦い思いなどを思い出しました。
 帰りに、もう一度、サルスベリとお堂とをいっしょに写真のなかにおさめ、仁王門をくぐり車に乗り込みました。時間は、午前11時13分でした。

 第5番札所 飯泉山勝福寺 (古義真言宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 かなわねば たすけたまえと 祈る身の 船に宝を つむはいいづみ


☆坂東三十三観音札所巡り Part.10

 2006年10月27日に荻巣樹徳の会「千樹会」に出席するため鎌倉に行きました。そのついでに、上野の東京国立博物館で開催されている『仏像 一木にこめられた祈り』を見てきました。
 そこで感じたのですが、一木の場合はたった1本の木から彫ったもので、むしろ、彫るというよりは、その木に宿る仏さまの姿を彫らされたようでした。木なりといいますか、木を彫り進んでいくうちに、いつの間にか仏さまの姿になっていたような感じです。木目といい、鉈目といい、他の素材では考えられないような素朴さがあります。また金属製と違い、仏さまの温もりみたいなものも感じられました。
 その翌28日、せっかく鎌倉まで来て、第1番札所にまわらなければと思い、大蔵山杉本寺に行きました。鎌倉駅から「金沢八景行き」のバスに乗ったら、バスの中での立ち話で報国寺の竹林がすごくキレイだと聞き、急遽一つ先の浄明寺バス停で下車して報国寺に行きました。うわさに違わず、しっかりと整備された竹林は、とてもキレイでした。京都などで見るものより、その竹林のなかに入れるので、孟宗竹の葉音が聞こえ、そこに差し込む太陽の光が筋をなして見えました。ちょっとだけと思ってまわったのに、1時間以上もその竹林の中にいました。
 その報国寺を出て、再び金沢街道に出て杉本寺に向かいました。大蔵山をちょっとだけ上り、入山料200円を払い、石段を少し上ると山門があります。その山門をくぐると、擦り減った石段がまっすぐに本堂まで続いています。現在は、この石段では危ないので通行止めになっていて、左の石段(女坂)を上ります。その上りきったところに、第1番札所杉本寺はありました。
 本堂へは、入山料を払ったときにもらった本堂参拝券を箱に入れ、靴を脱いで入ることができます。ここは巡礼発願の寺ということもあり、本尊さまである十一面観世音菩薩のみ前にぬかづき、お経を1巻唱えました。それからご朱印をいただき、そこに発願の丸印も押して貰い、これでやっと坂東33観音札所巡りが始まったように思いました。
 ここは、数ある鎌倉のお寺でも古く、パンフレットにも「鎌倉最古仏地」と書かれてありました。ゆっくりとお詣りし、境内地も散策し、今度は反対側の石段を下り、もと来た山門をくぐり、下山しました。
 また金沢街道に戻り、杉本寺バス停で時刻表を確認していると、すぐに鎌倉駅行きのバスが来て、待つこともなく乗ることができました。

 第1番札所 大蔵山杉本寺 (天台宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 頼みある しるべなりけり 杉本の 誓いは末の 世にもかはらじくく



☆坂東三十三観音札所巡り Part.09

 2006年9月26日、東京出張の折に浅草の観音さまに参詣しました。ここは東京都唯一の札所ですが、おそらく現在の東京は坂東霊場選定時はまだ広々としたアシの原だったようです。唯一その当時から隆盛を極めていたのがここ浅草寺でした。寺伝では、推古天皇の時代に漁師の檜前(ひのくまの)浜成と竹成の兄弟が隅田川で漁をしていたとき、その網に高さ1寸8分の金色の観音さまがかかったので、豪族の土師中知(はじのなかとも)と相談し祀ったのだといいます。あの有名な三社祭の氏神がこの3人だということです。
 それが、平安時代に慈覚大師が柳の木で観音像を刻み、前立本尊としたことからたくさんの参詣者が訪れるようになったそうです。現在では、門前町仲見世のにぎわいは格別で、雷門などとともにときどきテレビなどでも放映されます。現在の本堂は、1958年(昭和33年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造です。ちなみに、1973年(昭和48年)に再建された五重塔も鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺きで、塔の最上層にはスリランカから将来した仏舎利を安置しています。しかしながら、宝蔵門は修理中で、白いテントに覆われていました。
 ここは修学旅行生と思われる生徒さんたちや、言葉を聞いて初めてわかる外国の方も多く、おそらくは昔懐かしい東京下町の風情を味わいたいとやって来たのではないかと思いました。とくに雷門付近では、多くの人たちが記念写真を撮っていました。その雷門をくぐり、仲見世をのぞきながら進むと、修理中の宝蔵門があり、それを抜けると正面に本堂があります。
 大きな香炉から立ち上る煙で身を清め、本堂内で観音経偈をあげ、一人静かにお詣りしました。それから朱印所でご朱印をいただき、ふたたび宝蔵門のところで本堂を向き、廻向文などを唱えました。多くの参詣者がいるとはいえ、お詣りするときはたった一人しかいないかのように心が静かになります。
 そして、お詣りが済むと、もう心が晴れ晴れとして、またゆっくりと仲見世の通りを歩き、雷門を出ました。なんか、俗世間にまた戻ってきたかのような気になりました。そのまま、地下鉄銀座線で上野まで戻りました。

 第13番札所 金龍山浅草寺 (聖観音宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草へ まいる身なればく



☆鹽竈(しおがま)神社のタラヨウ

 8月4日、宮城県の鹽竈神社にお参りしてきました。
 そこの右宮と左宮の拝殿前に大きなタラヨウがありました。このタラヨウは、昔、インドなどで経文を書くのに使われたヤシ科のタラジュ(多羅樹)に似ていることから名づけられたようで、実際に書きものに使われたわけではないようです。植物学ではモチノキ科に分類され、中部地方以西のあたたかいところに自生しています。しかも、雌雄異株の常緑高木ですが、鹽竈神社の木にはたくさんの種子がなっていましたから、雌株のようです。
 では、なぜ塩竃にあるのかといえば、本来自生しないはずの木が大木になっていることが珍しいらしく、昭和45年に宮城県の天然記念物に指定されたのだそうです。
 ここ甲子大黒天本山でも塩竃の方からこのタラヨウの苗をいただいたのですが、残念ながら、寒さのために枯れてしまいました。やはり、北国では、育てるのは難しそうです。



☆明恵上人のご廟所
 阿川弘之氏の『エレガントな象』を読み、そのなかに明恵上人のことが出ており、昨年2月に京都の高山寺にお参りしたときのことを思い出しました。
 その遺訓に「凡そ仏道修行には何の具足もいらぬなり。松風に睡をさまし、朗月を友として究め来り究め去るより外の事なし」とありますが、まったくその通りです。この「具足」とは、寺の調度品みたいなもので、ロウソク立てや香炉などです。
 この右の写真は、高山寺にある明恵上人のご廟所ですが、そこにお参りしたときにこの遺訓を思い出しました。左の歌碑には、『山のはにわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ』とありますが、そのほかにも『あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月』という高山寺の石水院の前から山の上にかかる月を詠んだ歌も有名です。
 また、明恵上人は世間の雑念を払うために自らの耳をそり落とし、「耳無し法師」と称していたそうですが、自らにはこのように厳しくても、他の人たちにはとても優しかったそうです。そして、寺にも宗派にもとらわれず、自然のまま、ありのまま、に生きていたようです。
 振り返って、今の時代は、自分にはことのほか優しく、他人には非常に厳しくあたるのが増えているようです。このような時代だからこそ、今一度、明恵上人のことを考えてみたいと思いました。



☆毎年7月は、「社会を明るくする運動」強化月間です!

 この「社会を明るくする運動」は、今年で57回目を迎え、法務省関係機関・団体をはじめ、地方公共団体や様々な民間団体も参加、協力しています。
 この運動は、すべての国民が、犯罪や非行の防止と、罪を犯した人たちや非行をした少年たちの更生について理解を深め、それぞれの立場においてカを合わせ、犯罪や非行のない明るい社会を築こうとする全国的な運動です。今年の運動の重点目標は、「犯罪・非行の防止と更正の援助のため、地域住民の理解と参加を求める」となっております。
 それにあわせて、米沢市でも、7月2日に法務大臣メッセージを米沢市長と市議会議長各氏に手渡し、出発式をいたしました。そして、すぐに街頭広報活動を実施しましたが、右上の写真はそのときの一こまです。子どもさんの「ありがとう!」という表情が、とても清々しいものでした。



☆水越武写真展「大地への想い」もついでに!

 6月2日、恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で水越武写真展「大地への想い」を見てきました。
 この写真家は以前から関心があり、ときどき写真誌でもチェックしていました。それがたまたま状況した機会に写真展があり、見ることができたのです。テーマは「生態系からみた地球」ということで、200点ほど展示されていました。第1部は「軌跡の星・地球」、第2部「水の回廊・日本列島」、第3部「天空のかおり・山岳」で、第3部だけは白黒写真でした。
 実は、そのNo.1に展示されていたパキスタンのカラコラムの日の出の風景とまったく同じような光の輝きを、今年の3月にネパールのマチャプチャレで見ました。それは、光が山の形に添いながら輝き出すもので、とても神々しい風景です。そのほかにも、ネパールの山々やヤクシマの風景など、自分の思いでと重なる部分があり、とても感動しました。
 図録を買おうと思ったのですが、買ってしまうとそれだけで安心して記憶が薄れてしまうような気がして、ここでなんども繰り返し見てきました。そこで、今、思い出すと、まずは氷河の氷から水がしたたり落ちる感じが、そのまま印画紙がぬれてしまうかのような印象の写真がありました。それと、つい先だって読んだばかりのパキスタンのトランゴ・タワーズも迫力がありました。また、インドネシアの「ホタルの集まる木」という題名の写真には、ホタルが黄色く光り、その上に白く光る星々があり、さらにその上には淡く輝く月があり、まさにその光の違いがとても印象的でした。
 さらに、ヤクシマで撮った写真は、いずれもみずみずしくて、屋久杉にへばりつく苔から、今にも水滴がしたたり落ちるような臨場感がありました。地元の吾妻連峰の樹氷原や飯豊山地の新雪のブナ林の写真も良かったし、かなりの数の写真が目の前に現れます。7月1日までですから、機会があればみていただきたいと思います。



☆サントリー美術館の開館記念展を見てきました!

 6月1日、鎌倉で「栽培植物分類名称研究所」の総会と講演会が開かれ、参加してきました。そのついでに、サントリー美術館開館記念展「日本を祝う」を見てきました。しかも、この展示会は3月30日から6月3日までなので、まったくギリギリでセーフでした。
 もちろん、この美術館のある東京ミッドタウンも初めてでしたので、興味津々、あちらを眺めたり、こちらを眺めたりの探検気分でした。「日本を祝う」は、祥、花、祭、宴、調の5つのテーマで構成され、会場全体が開館を祝う喜びに溢れていました。また、施設も見所の一つで、とくに目を引いたのは、15本のヒモが7色に染められ、それがゆったりと天井に弧を描きながら、それが中央で一本にまとまり、さらに編まれて、下にぶら下がるんです。その下に大きな鏡があり、それらを下から眺められるようになっています。
 おそらく、この説明では、なにがなんだかわからないと思いますが、これはまず、実際に見ていただくしかありません。次の企画展は「水と生きる」で、6月16日から8月19日まで開催されます。おそらく、このヒモの展示はそのままだと思いますので、時間があれば、ぜひご覧ください。



☆坂東三十三観音札所巡り Part.08

 佐竹寺を11時30分に出発し、途中のそば屋さんで昼食を食べ、第21番札所日輪寺に着いたのは午後2時5分でした。途中、少しばかり道に迷いましたが、こんなに時間がかかるとは思いもしませんでした。
 国道118号線を北上し、山方町や大子町を通り、下野宮から県道28号線(大子那須線)をすすみ、後藤商店のところから右折し、つづら折りの八溝山への山道を上ります。せっかく上ったのに、また一端下がった8合目あたりに目指す日輪寺はありました。
 駐車場に車をとめ、石段を登るとその途中に見事な赤松があり、樹幹を四方に広げています。石段を登り切ったところにアズマシャクナゲとおぼしき大株がありました。住職とおぼしき方に聞きますと、以前はこの本堂周りにもたくさんのシャクナゲがあったそうですが、今では本堂前に1本しか残っていないといいます。おそらく本堂前なので、採りにくかったのではないかということでした。
 この本堂は昭和48年に再建されたものですが、鰐口は相当古いような印象を受けました。寺伝によると、役行者が開き、大同2年に弘法大師が十一面観音を刻んだということですから、歴史のあるお寺です。この八溝山はむかし砂金が採れたそうで、近くには日本名水百選の1つ「金性水」があります。また、『常陸国誌』には採れた砂金を遣唐使派遣の費用にしたとも書き記されているそうです。
 駐車場脇のお休みどころで、お茶の接待を受け、午後2時40分にここを出発しました。今度はここから後藤商店のところまでどのぐらい時間がかかるかを調べてみたら、ちょうど20分でした。その県道28号線を右折し、舗装ではありますが険しい山道を進み那須黒磯のほうに抜けました。この道路も、途中なんども引き返そうと思うほどでしたが、県道というその名前を信じ、人の住む家を見つけ、やっとホッとしました。
 そして、東北自動車道の那須インターから入り、飯坂インターで下り、栗子峠を越えて帰宅しました。この2日間で回ったのは8ヶ寺でしたが、とても充実した時間でした。

 第21番札所 八溝山日輪寺 (天台宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 迷ふ身が 今は八溝へ 詣りきて 仏のひかり 山もかがやく



☆坂東三十三観音札所巡り Part.07

 22番札所佐竹寺には、午前11時10分に到着しました。昭和15年に再建されたという仁王門をくぐり、その正面に重厚な茅葺き屋根の本堂がありました。その前には大きなイチョウの木があり、もうすでに銀杏がこぼれ落ちていました。
 本堂は国指定の重要文化財ですが、本堂下陣にはおびただしい数の千社札が張られ、個人的には美観をそぐような気がしました。1546年に佐竹義昭によって再建された豪壮な桃山建築ですから、その辺は少し考えていただきたいと思いました。
 お詣りをすませ、もう一度仁王門に戻ると、中には素晴らしい仁王像がまつられていました。聞けば江戸時代の宝永年間のものだそうで、とても力強い作ゆきです。この仁王門の上にも上れそうですが、妙福山と書かれた扁額のさらにその上には日の丸絵紋の佐竹氏の軍扇が掲げられていました。これを見ても、この寺は佐竹氏と強いつながりがあったと見て取れます。
 この佐竹寺から車で10分程度のところに、テレビなどで有名な水戸黄門(光圀)が『大日本史』を編纂した西山荘があるということです。あのテレビの内容はあくまでもフィクションでしょうが、この『大日本史』を編纂したことは歴史的事実ですし、むしろ誰とでも気楽に話しをする学究肌の人だったのではないかと想像しています。

 第22番札所 妙福山佐竹寺 (真言宗豊山派) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 ひとふしに 千代をこめたる 佐竹寺 かすみがくれに 見ゆるむらまつ



☆5月9日、地元の小学生と野外観察会をしました!

 5月9日、地元の三沢東部小学校の3、4,5年生を連れて、野外観察会をしました。
 それに先立ち、7日には教室内でオリエンテーションを行い、私たちの自然をまもるために、まず自然に親しむこと、そして自然のしくみや人間とのかかわりあいを考えてみるための、さまざまなお話しをしてきました。そして、植物の働きとして、
1、光合成により酸素をつくりだします。 2、食料などのほかに、木材や燃料に使われたり、化学薬品などの原料にもなります。3、水をたくわえ、こう水や土砂くずれなどをふせぎます。4、高い木は風をふせぐなど、気候をやわらげるはたらきをします。5、さわやかな緑は人間の心をなごませ、私たちの生活をささえてくれます。
 などと話し、いかに植物が大切なのかをたとえ話を織り交ぜながらしてきました。そのときに思ったのですが、子どもたちに自然の大切さなどという抽象的なことをいくら話してもなかなか理解できないでしょうが、山野に連れ出し、自然の植物などを見ながら、こんなにもきれいな花たちを守ろうといえば、すこしは実感できるのではないでしょうか。自然を知ることによって、初めて自然のすばらしさや大切さが理解できると思います。
 この取り組みは、20年以上続けていますが、これからも春の恒例行事にしていきたいと思います。



☆ネパールの孤児院でボランティア!

 3月13日、ネパールの山々に行く計画を立て、シェルパにその準備をしてもらいながら、少しの時間を見つけ孤児たちの世話をしているところに出かけました。出会いとは不思議なもので、友人の娘さんがそこのボランティアをしているのが縁です。
 子どもたちは28人でしたが、みんな明るく、元気でした。とくに印象的なのは、その澄んだ目の輝きです。なかには本を読んで聞かせてくれる子どもや、飛びかかってくる子どもや、見知らぬ外国人に感心を持ちながらソッと知らぬふりをしながら見る子どもなどもいました。ここの管理者からは、ただ遊んでくれればいいと言われていましたが、後から考えると、逆に遊んでもらっていたような気がします。
 私の胸に刺繍されているシャクナゲを見て、自分たちの教科書にも同じような花がある、と教えてくれた子もいました。それもそのはず、ネパールの国花はシャクナゲなのです。近くの山にも、このシャクナゲの花は咲いていますし、ちょっと郊外に行くと、子どもたちが山で採ってきたシャクナゲの花を売って、教材費にあてたりしています。それほど、身近な花なのです。
 この翌日には、シブァプリというカトマンドゥ郊外の山に行き、自生のシャクナゲをたくさん見てきました。



☆ネパールとインドに行ってきました!

 3月10日、山形を出発し、11日に関空からネパールに飛び立ちました。
 3月末まで、日本ネパール友好50周年記念の特別措置で、日本人(日本国発行のパスポート所有者)に限り、カトマンズ空港でのビザ申請代金30USドルが無料だということでしたが、インドから再入国したスノウリ(Sunauli)でも無料でした。
 今年の日本は暖冬ということで雪も少なかったのですが、ネパールの首都カトマンドゥでは62年ぶりに雪が降り、多くの人が喜んだそうです。しかし、地方は大雪で大変だったようで、シャクナゲの大きな木が根っ子から倒れたり、枝折れも多く見かけました。実際、シヴァプリ(Shivapuri)山頂でテントに泊まっていたら、夜中に雪が降り、とても寒かったです。この山にはネパールの国花であるシャクナゲ(ネパールではラリグラス)が多く自生し、ちょうど見頃でした。ここは森林保護のために軍の兵士がときどき巡回していましたが、それでも村人たちが伐採しているのをなんどか目撃しました。ここでは、シャクナゲの木が、燃料や暖房などの薪として使われています。生活か自然保護か、どこの世界も同じような問題が起きています。
 右上の写真が、そのシヴァプリのシャクナゲです。



☆第53回 日本伝統工芸展を見てきました!

 2月20日、待ちに待った第53回日本伝統工芸展を東北で唯一開催された仙台三越に行って見てきました。開催日は、今日20日から25日の日曜日までです。
 この日本伝統工芸展は、特別なことでもないかぎりなるべく見るようにしていますが、若い作家が育ってきているように思います。もちろん、ここにはいわゆる人間国宝の作家から無名の作家まで、選ばれた作品が展示されています。ほとんど作品のスタイルが変わらない作家もいますし、毎年新たなチャレンジを試みる作家もいます。その1年の変化を見比べながら鑑賞するのも、楽しみの一つです。
 特に陶芸部門の作品は、展示をする目的もあり、多くの作品が大振りで実用にはほど遠い感じがします。どちらかというと、実用ものが好きということもあり、今回一番気になったのは三代山田常山作の「常滑自然釉茶注」でした。彼は平成10年に重要無形文化財保持者に認定され、平成17年10月19日に亡くなられていますから、これは遺作ということになります。
 この、ほんとうに小さな茶注ですが、これで一人分のお茶をいれ、ゆったりと楽しめるような、そのような雰囲気が感じられました。もう、20年ほど前になりますが、彼の常滑焼きの作品をもとめたことがあります。今でも、ときどき出しては楽しんでいますが、いい茶味をかもし出しています。



☆坂東三十三観音札所巡り Part.06

 今日は2日目、9月5日です。茨交大洗ホテルを午前8時35分に発ち、昨日の逆コースで友部インターで下り、国道355号線を通り笠間に向かいました。第23番札所観世音寺に着いたのは、午前9時20分です。これでは、昨日はいくら急いだとしても午後5時には間に合わなかったようです。
 参道を歩くと、両側にはドウダンやツツジが植え込まれ、さらに木の階段を上るとあちらこちらに西洋シャクナゲも植え込まれていました。ご住職にお聞きすると、「西洋シャクナゲではなく、洋シャクだよ」と答えてくれました。もちろん、それ以上は聞きませんでした。
 現在の本堂は昭和になってから建てられた仮本堂だそうで、入口のわきには、本堂再建の寄付受付と書かれた板が立てかけてありました。ご本尊さまは毎年4月17日のご開帳でしか仰げませんが、前立ちの観音さまも良く、本堂内で般若心経や諸真言を唱えさせていただきました。その後、お茶の接待を受け、私はご朱印をお願いし、参道をゆっくりと下りました。参道から見る限り、相当なツツジが植え込まれているようで、春の花時にはすばらしいながめだろうと想像しました。
 みんなが車に戻ったのは午前9時50分で、そこから笠間稲荷にまわりました。そこの笠間稲荷美術館では、ちょうど、「六古窯の美」を開催していたので、それも拝観することができました。
 ここ笠間稲荷を出たのは、午前10時30分です。

 第23番札所 佐白山観世音寺 (普門宗) 本尊さま 十一面千手観世音菩薩
 ご詠歌 夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風



☆映画「幸せのちから」を観てきました!

 2月1日、この日は映画を1,000円で観ることができるので、「幸せのちから」を観てきました。
 この映画は、実在のクリス・ガードナーの半生をもとに描いたもので、まさに、ホームレスから億万長者となったアメリカンドリームそのもののような作品でした。しかし、1時間57分の半分以上の時間が親子二人のホームレス生活の場面で、父と息子の情愛がとても感じられました。
 しかも、この親子は本当のウィル・スミス親子の共演で、これは後から知ったことなのですが、やはりと思わせるところが随所にありました。監督は、イタリア映画のガブリエレ・ムッチーノで、たんなるサクセスストーリーでないところが彼らしいと思いました。
 現在公開中ですので、機会があればぜひどうぞ。



☆笹野十七堂まつり!

 1月17日、この日は毎年荒れるといわれていますが、今年は暖冬の影響なのか、とても良い天気でした。
 そこで、午後2時から火渡りの神事があるというので、それにあわせて参詣しました。駐車場に車を止め、踏みならされた参道を歩くと、山門のまわりにコシアブラを削ってつくった笹野花やオタカポッポのお店がありました。観音堂前には、採灯護摩の壇が準備され、写真を撮る人たちがそのまわりに陣取っていました。そこが、火渡りのする人たちを正面から撮ることができるようです。
 定刻の2時に山伏行者が入堂し、峯中法流にしたがって進められました。そして最後に火渡りの神事がおこなわれ、火渡り料500円で一般の方々も渡ることができるそうです。
 この笹野観音は、とても風情のあるお堂ですので、ぜひ機会があればご参詣してみてください。



☆坂東三十三観音札所巡り Part.05

 清滝観音に着いたのは、午後3時50分でした。ここは「坂東霊場記」では行基が聖観音像を刻んで開山したと伝えられるほどの名刹です。ここはまた、新治村大字小野というところですから、小野小町との縁もありそうで、観光案内を見ると小野小町の墓と伝えられているのも近くにありました。この新治村は、『古事記』や『日本書紀』にも記載があり、連歌の始まりとなった歴史的にも古い地名です。
 第26番札所の清瀧寺は、このような歴史ある場所に建っています。駐車場に車をとめ、脇の道を上り仁王門を通ります。そこから二つの長い石段を上ったところに本堂があります。昭和44年の不審火で焼失し、現在の本堂は昭和52年に再建されました。ご本尊さまは、昭和54年に第23番札所観世音寺住職の天津忠興住職が寄進され開眼されたものだそうです。
 聞くところによると、このお寺は地元の信徒たちが守り、お年よりたちが交替で納経をしているといいます。三十三観音巡りは、一つでも欠けると困るので、なんとか維持して欲しいと思いました。時間は、午後4時15分です。もしかすると第23番札所の観世音寺に行けるかもしれないと、先を急ぎました。
 しかし、常磐自動車道友部ジャンクションから北関東道の友部インターを下りたところで午後4時50分になり、観世音寺はあきらめました。再び、友部インターから北関東道にあがり、東水戸道路を通り、水戸大洗インターで下り、茨交大洗ホテルに宿泊しました。ここに着いたのは午後5時30分でした。ホテルの印象は、可もなく不可もなくといったところで、今回は巡礼の旅ということで納得しました。

 第26番札所 南明山清瀧寺 (真言宗豊山派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 わが心 今より後は にごらじな 清瀧寺へ 詣る身なれば



☆正午の茶事を楽しみました!

 2006年12月23日、おりしも天皇誕生日に本格的な「正午の茶事」を楽しむことができました。
 席入りすると、まずは「初炭」、それから「懐石」へと進み、いったん退席して、席を清め直して濃茶と薄茶をいただきます。時間の都合で「続き薄茶」でしたが、それでも4時間はたっぷりとかかりました。
 この一連のお茶事を体験すると、日本文化に対する茶道の影響の強さがわかるような気がします。露地も、茶室も、懐石も、お点前も、それにともなう道具組まで、多方面にわたって影響を及ぼしています。
 茶道というと、ちょっと取っつきにくい印象がありますが、機会があれば一度は経験してみるのもいいかと思います。


まず炭をつぐ

懐石をいただく

濃茶のお点前



☆坂東三十三観音札所巡り Part.04

 雨引観音境内から遠くに筑波山を望むことができましたが、その麓の大御堂には午後2時45分に着きました。
 ここは筑波山温泉のあるところで、客引きがちょっとうるさいぐらいでしたが、一歩入り込んだ大御堂はとても静かで、大きな御影石の標柱でもなければ分からないぐらいひっそりと建っていました。大御堂は、もともと知足院中禅寺というお寺でしたが、明治初めの仏毀釈の嵐のなかでさまざまな被害を受け、それでも昭和5年に護国寺持仏堂として再興され、現在のお堂は昭和36年に完成したものだそうです。ご朱印は尼様が自ら書いてくれました。
 お堂のわきに、真新しい筆塚があり、御影石に「筆」の一字を刻み、さらに下の方にこれを建立するに至った由来が書いてありました。筆塚は書で使う筆のいわば供養塔で、古く なった筆に感謝し、さらなる書の上達を祈願するためのものであるようです。現在では、あまり筆そのものは使いませんが、ボールペンや鉛筆などは使いますので、同じように感謝する心が大切だと思います。その心が、字を上手に書くことができるようになる基かもしれません。
 大御堂をお詣りした後、歩いて近くの筑波山神社に参拝しました。こここそが大御堂だと思えるほど、立派な山門と本殿が建ち並んでいました。さらに近くには筑波山ケーブルがあり、筑波山の男体山まで上ることができるそうです。時間があればそうしたいところですが、巡礼目的の旅なので、ここから次の札所、清瀧寺に向かいました。筑波山神社を出発したのは午後3時20分でした。

 第25番札所 筑波山大御堂 (真言宗豊山派) 本尊さま 十一面千手観世音菩薩
 ご詠歌 大御堂 かねは筑波の 峯にたて かた夕暮れに くにぞこひしき



☆新田嘉一コレクション展を見てきました 

 11月22日、良い夫婦の日だそうで、いっしょに「新田嘉一コレクション展」を見に、山形美術館に行ってきました。
 会期は10月27日〜11月26日までですので、なんとか間に合ったようですが、それなりに楽しむことができました。ただ、収集に数寄者としての趣がなく、まとまりのないような感じを受けました。昨年夏に思文閣から売り出されたお茶の茶碗のいくつかがとても気に入り、連絡したのですが、それのどれもが売り切れでした。とても残念に思っていたのですが、数週間してから、ある新聞に新田嘉一さんの新しいコレクションとして載っていました。それが、おそらく今回出展されると思っていましたので、なんとか時間をつくって見に行くつもりでいました。
 案の定、その10数点がガラスケースの中に展示されていました。そのときの図録を思い出しながら、一点一点ゆっくりと拝見させていただきました。図録ではいいと思ったのがあまり良くなかったり、たいしたことがないと思ったのが裏側に見所があったりと、思わぬ楽しさを味わいました。
 とくに印象に残った茶碗は、加藤唐九郎の志野(銘 遊心)と荒川豊蔵の志野です。その二人の個性が茶碗に凝縮され、一目見ただけで作者がわかります。その対比がとてもおもしろく、同じ志野焼だからこそ際だつものを感じとることができました。
 また、このような機会があれば見てみたいと思いました。



☆鎌倉に合掌造りの民家がありました!

 10月27日、鎌倉で講演会があったのですが、その会場は瀧下さんのご自宅で、とても重厚な合掌造りの古民家でした。
 その講演の前に幾棟かある建物を案内していただいたのですが、その太い梁や木組みに圧倒されてしまいました。瀧下さんは、古民家を手がける著名な建築設計士ですが、その詳しい説明に目から鱗でした。たとえば、古い木材を再利用するのは奈良時代ころから盛んに行われたこと、雪国の根曲がりなどのクセの強い木材を上手に利用すること、また檜などの売れる木材はあまり民家では使わず、売れないような木材を工夫して使うことなどなどです。
 しかも、これらの古民家は、上からの力にも地震などの横揺れにも強いそうです。だからこそ、修繕を繰り返しながら何百年も使い続けられるのです。それを、彼は「日本の古い民家は循環可能な家です」と表現していました。
 その講演の後に、奥さまの手料理をごちそうになりましたが、ここにクリントン前アメリカ大統領が来日の折、ヒラリー夫人が鎌倉を訪れたときにまわられたと聞き、なるほどと思いました。ここには、和の文化が凝縮されていると感じました。



☆『仏像 一木にこめられた祈り』を見てきました!

 10月27日、鎌倉で講演会があったので、その折に、東京国立博物館 平成館で開催されている『仏像 一木にこめられた祈り』を見てきました。これは10月3日から12月3日まで開かれているもので、前期と後期にわけて展示するそうです。
 そこで感じたのですが、一木の場合はたった1本の木から彫ったもので、むしろ、彫るというよりは、その木に宿る仏さまの姿を彫らされたようでした。木なりといいますか、木を彫り進んでいくうちに、いつの間にか仏さまの姿になっていたような感じです。木目といい、鉈目といい、他の素材では考えられないような素朴さがあります。また金属製と違い、仏さまの温もりみたいなものも感じられます。
 パンフレットにも書かれていたのですが、「日本ほど木で仏像を造ることにこだわった国はありません」。木だからこそ、表現できることもあります。江戸時代の円空さんや木喰上人さんの仏像を、このようにたくさん拝むことはめったにできるものではありません。それだけでも、行く甲斐があるというものです。
 後期には滋賀県の向源寺の十一面観音菩薩立像が寺外初公開されます。これもまた、ぜひ見ていただきたいと思います。



☆ピアノを聴きながらお抹茶をいただく・・・・・

 10月18日、ピアノを聴きながらお茶をいただく会があり、行ってきました。
 演奏は、現在スロバキアで研鑽を積んでいる若きピアニストで、お茶会にあわせて着物姿で現れました。もちろんお茶の道具組もすばらしいもので、尋牛斎宗匠の書かれた短冊や使い込まれた西岡小十造の唐津茶碗など、数々の名品がそろい、主菓子も地元のお菓子屋さん特製で、ちょっと塩味の、とてもまろやかな味わいがしました。
 お茶のあと、ダリアの見える場所に移り、山形名物の芋煮なども準備されていて、さらに会場の「Jamm」特製の石焼きピザやコーヒーなどもあり、日頃のお茶会にはないミスマッチの風情を味わいました。立礼席ということも、そのお茶会にはとてもふさわしいしつらえでした。



☆坂東三十三観音札所巡り Part.03

 雨引観音に着いたのは、午後1時30分です。駐車場のわきの石段を上ると、長い石段の途中の仁王門から入ることができます。そこから一段をくの字の上りきると本堂です。平成10年秋に屋根瓦葺き替え及び塗り替えを行われたそうで、左の写真のように彩色されています。
 ここのご利益は、「ひとびとの病気を癒し、延命長寿を与えたまう息災延命の本願に住し玉いますので、安産子育・やくよけ延命の祈願の効験、ことにあらたかであるといわれております」と書かれてありました。また、「一に安産 二に子育よ、三に桜の楽法寺」と俚謡に詠われていることから、花の寺でもあるようです。参道には桜やツツジの木がありましたし、花は終わっていましたがアジサイもありました。ここは真言宗豊山派ということですから、他にもこの宗派のアジサイ寺があり、アジサイつながりでもあるのではないか、と思ってしまいました。
 本堂の中に入ってお詣りをしてもいいということで、なかで般若心経や諸真言を唱えました。終わって外に出ると、その真横に多宝塔がありました。もともとは三重塔だったそうですが、 嘉永6年(1853に多宝塔に改めたそうです。青空をバックにスーッと建ち、むしろ本堂よりも古格を感じさせます。
 ゆっくりと、参拝し、そして、また石段を下り車に乗り込みました。そして、近くの竹細工屋さんにまわり、午後2時15分、ここを出発しました。

 第24番札所 雨引山楽法寺 (真言宗豊山派) 本尊さま 延命観世音菩薩
 ご詠歌 へだてなき 誓をたれも 仰ぐべし 佛の道に 雨引の寺



☆坂東三十三観音札所巡り Part.02

 大谷の平和観音を出発したのは、10時5分でした。そこから益子にある西明寺には1時間30分ほどかかるということです。そこで益子町の益子焼窯元共販センター で昼食を食べてから向かうことにしました。この共販センターは、だいぶ前に何度か来たことがありますが、久しぶりなので、食事もそこそこに限られた時間内でさーっと見て回りました。
 そして、そこから10分ほどで第20番札所の西明寺に到着です。うっそうとした椎の木に囲まれた石段を上り、茅葺きの仁王門をくぐると、その向こうに銅板葺きの本堂がありました。その仁王門の左わき(写真では本堂から撮ったので右わきに写っています)には、益子家宗の寄進した三重塔があり、参道わきに建てられていた「西明寺における文化財について」という案内板には、この仁王門も三重塔も国指定の重要文化財だそうです。その仁王門右手には閻魔堂があり、笑っている閻魔さまをまつっているそうです。獨鈷山というのは、弘法大師が来山したとき、法相宗の僧たちによって岩屋に閉じこめられたが、持っていた独鈷で難を逃れたという逸話によるそうです。
 さて、本堂でお詣りをし、その右手に大きな高野槙を見つけました。根元の石版には、栃木県指定の天然記念物ということが書かれてあり、推定樹齢750年、樹高30メートルといいますから、まさに圧倒する大きさを感じます。参道の椎の木19本も県指定の天然記念物だそうですから、まさにここは古木に囲まれた聖域でもあります。
 これらの木々と、茅葺き屋根の草とがみごとな山寺の雰囲気をかもし出していました。まだ二つめですが、今回の坂東三十三観音札所巡りも楽しみになってきました。ここを出発したのは、午後12時50分でした。

 第20番札所 獨鈷山西明寺 (真言宗豊山派) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 西明寺 ちかひをここに 尋ぬれば ついのすみかは 西とこそきけ



☆生誕100年記念「ダリ回顧展」を見てきました! 

 9月26日、東京の「上野の森美術館」で、生誕100年記念「ダリ回顧展」を見てきました。
 ダリはなんどかその作品を見ているのですが、今回初めて見るものもあり、とても興味深く鑑賞することができました。とくに印象に残ったのは、ある画家が描いた帆船の絵を、ダリが模写しながらもダリらしさを味付けした絵です。これは絵も上手く、表現力もあるということを再認識させてくれました。
 ダリというと、融けだしたように曲がった時計の印象が強く、作者の表現が読み切れないことが多いのですが、その複雑に幾重にも折り重ねられた意味を少しだけ読み解くことができたように今回は思いました。
 開催期間は、9月23日から2007年1月4日までですから、ダリ好きの人はぜひ見ていただきたいと思います。



☆『国宝 風神雷神図屏風』を見てきました!

 9月26日、出張した折に、出光美術館で開催されている『国宝 風神雷神図屏風』を見てきました。
 これは9月9日から10月1日まで開かれているもので、俵屋宗達と尾形光琳と酒井抱一がそれぞれ描いたものをそろえて展示したものです。過去に3回ほどあるそうですが、今回は66年ぶりだそうです。
 とても混んでいて、入場制限されていましたが、見始めると混雑も気になりませんでした。それぞれがすばらしいできばえですが、風格では国宝指定の俵屋宗達筆『風神雷神図屏風』(建仁寺所蔵)がぬきんでていました。それぞれの違いの細かい点まで解説していましたが、解説なしでもその違いはわかります。もちろん、時代の差もありますが、独自の構想で作成したものと、それを模倣したものの違いかもしれません。
 その前に、上野の森美術館で『ダリ回顧展』を見ましたが、その空想性において、なにか通ずるものがあるように思いました。



☆坂東三十三観音札所巡り Part.01

 2006年9月4〜5日、修行仲間たちといっしょに、坂東三十三観音札所巡りをはじめました。みんなそれぞれに仕事をもっているので、おそらく3年ぐらいで全部廻りたいと思っていますが、さてどうなりますか。まずは今回がスタートです。
 そもそも坂東三十三観音札所といいますと、日本百観音としても有名ですが、西国三十三観音霊場が先にできました。そして、鎌倉時代になると、平家追討のために西国に赴いた東国武士たちは西国観音巡礼のあることを知り、なかなかそこまで出かけられないことから地元の坂東8カ国に観音霊場をつくったようです。今の県別に見ると、神奈川9カ所、東京1カ所、埼玉4カ所、千葉7カ所、群馬2カ所、栃木4カ所、茨城6カ所、の計33カ所です。回り方にもよりますが、全行程約1,300kmですから、相当な距離です。昔は歩いて約40日ほどかかったそうです。
 実際に、2005年2月20日から5月28日までの45日間で満願した方の話しでは、総歩行距は、1,148.23kmだったそうですが、当然昔とは道も違いますので単純に比較はできません。ちなみに2006年4月26日から5月29日まで、34日間かけて西国三十三観音霊場を歩いた方の記録では、遍路コースだけで総歩行距離は、1,009.35kmだったそうです。さらに四国88カ所の全行程の場合は、1,800kmにもなるということです。
 もちろん、今回は歩いてというわけにはいかず、ジャンボタクシーで行くことにしました。ここからは、参加者の都合もあるでしょうから、一人称で書き進めたいと思います。ご了承ください。

 4日の午前6時に万世の普門寺さんに集まり、ここからスタートです。栗子峠を越え、福島の飯坂インターから東北自動車道で宇都宮まで行き、そこから一般道を走り、第19番札所天開山大谷寺に9時30分に到着しました。ここは通称大谷観音と呼ばれ、大谷石にそのまま千手観世音菩薩を刻んでいます。そして、その岩屋にそのまま本堂を入り込ませたように建てられていました。
 案内によると、ここは地獄谷と呼ばれ毒蛇の多いところであったが、あるとき、出羽の湯殿山の行者3人がこの地を訪れ、毒蛇降伏の秘法を修し、岩壁に観音像を彫刻してからは毒蛇の被害がなくなったと伝えられているそうです。私たちもいわば真言の流れをくむ湯殿山の行者ですから、ここを最初にお参りすることになっていたような気がしないでもありません。
 本堂でゆっくりとお参りし、その脇堂の磨崖仏にも巡拝しました。ここには、釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像の9体がまつられ、国指定の特別史跡と重要文化財になっているそうです。
 その後、入口左奥にある資料館を見て、山門を出ました。せっかくですので、大谷寺近くの平和観音にまわりました。高さは約27メートルあり、昭和31年に開眼式があったと記されていました。その観音さまのわきの階段を上り、観音さまの肘近くまで行きました。その後手下には、さきほどお参りした大谷寺が道路の向こうに見えました。そこから見ると、まさに岩壁にめり込むように建てられた観音堂が、大きな岩山に護られているかのように感じられました。

 第19番札所 天開山大谷寺 (天台宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 名を聞くも めぐみ大谷の 観世音 みちびきたまへ 知るも知らぬも



☆七ケ宿ソバ畑に行きました!

 8月25日、七ケ宿のソバ畑に行ってきました。
 その前日にテレビでその情景が映り、まだソバの葉が青々としたままで真っ白なソバの花がとても印象的だったからです。その近くを何度か通りましたが、なかなかそのソバの花に出会うことはなく、やはりわざわざでも訪ねないとダメだ思いました。
 そこは予想通りの広々としたソバ畑で、心ゆくまでシャッターを押し続けました。この秋の新ソバのころには、このソバ畑の情景を思い浮かべながら食べたいと思います。



☆月山に上りました!

 8月9日、月山に上りました。今年の山開きは、大雪の影響で残雪も多く、途中で上るのをあきらめたと聞きましたが、まったくその通りでした。お盆前だというのに、まだ夏スキーをしていました。(写真右手が月山山頂です)
 高山植物たちは、健気にもその残雪がとけだす間際から青い新芽を出し、次々と花を咲かせていました。しかし、その花に実を付けるまでには秋が来て、すぐに初雪が降ってきてしまいます。今年ほど、山の春夏は短いと感じたことはありませんでした。
 ニッコウキスゲやチングルマの花に混じって、春のショウジョウバカマが咲いているのを見たのも数十年ぶりです。ちまたでは異常気象と簡単に割り切ってしまいますが、これら植物たちはそれをどのように感じているのか、ちょっと聞いてみたいような気がしました。



☆白水阿弥陀堂!

 この名前を知ったのは、五木寛之の『百寺巡礼』です。それを読んで、さらにその本に載っていた白黒の写真を見て、なんとかおまいりしたいと思いました。
 そして、7月29日、福島県いわき市の白水阿弥陀堂に行ってきました。そこは常磐自動車道の湯本I.Cから15分ほどにあり、駐車場に車を置き歩きました。真っ正面に大きな池があり、その赤い橋を二つ渡ったところにそれはありました。
 堂内の案内によると、この地を治めていた岩城則道の妻(奥州藤原氏の藤原秀衡の娘)が1160年に建立したものだそうで、国宝に指定されています。 とくに、きれいだと思ったのはその屋根の優美さで、これも解説によると宝形造りとち葺だそうです。また、池の蓮もちょうど見頃で、何枚も写真を撮ってきました。
 そういえば、6月に平泉中尊寺をおまいりしたのですが、ここでその平泉とクロスするとは考えてもいませんでした。この白水とは「平泉」の泉という字を上下に分解したものだそうです。



☆KOH-TAO live in 大黒さま !

 7月14日に甲子大黒天本山神殿内にて「KOH-TAO live in 大黒さま」がありました。KOH-TAO(コォ・タオ)とは無国籍音楽ユニットで、自作のカリンバやインドの横笛バンスリなどさまざまな民族楽器を使って演奏しました。ここでのライブは、一昨年に続いてのものです。
 今回は「水の響きの中で、遠い記憶との再会 〜心に響く音のメッセージ〜」が届くようにと演奏されました。前回と違うのは「peace flag」という活動が加わったようです。この「peace flag」とは、

新しい世紀を迎えて世界は他方向に流れて
東の国では悲しみが降りそそぎ
西の国でも同じことが繰りかえされている
この一連の流れの色は何色なんだろう
真紅の涙色
かなしい色
多くの人達がやりきれない思いの中で生きている

戦争反対の人も
今やむなく戦争している人も
みんなきっとその先に平和を願って祈っている

その平和の願いや祈りを形に
KOH−TAOからひとつの提案があります

自分自身が思い描いている平和な世界の旗
それが『peaceflag』です
絵でもいいし字でもいい
布でも紙にでも
どこかに『peacefIag』といれて
その旗を玄関にでも家のポストでも車でも
それを貼ってささやかな平和の意思表示をしていこうと

どんどん『peaceflag』がふえていけば
きっと平和な世界が訪れることを信じて
願いや思いはかならずかなうと信じて
その旗を作っている時の1人1人の平和への祈りと思い
純粋な意識の共時性が
少しづつでも世界を動かしていくと思います

意識がかわれば世界はかわると信じて



☆久しぶりに平泉を訪ねました!

 2006年6月17〜18日と東北ツツジ・シャクナゲ研修会があり、19日は五葉山に登り、ついでにもう一日延ばして、久しぶりに平泉を訪ねました。
 ちょうど毛越寺では、20日からあやめ祭りが開かれるということで、一山の僧侶とご詠歌衆とが開山堂で唱えるところでした。古い記憶では、ここで松尾芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」という句を詠んだところと教わったような気がしましたが、実は高館というところらしい。それで中尊寺と毛越寺をお参りした後、その高館義経堂(たかだちぎけいどう)に行ってみました。ここが義経終焉の地でした。右の写真がそれです。
 ここ高館には、平成元年「奥の細道300年 平泉芭蕉祭」を記念して建立された「おくのほそ道」記念碑があります。ここに書かれた「平泉」の章段を読みながら、時の権力者の哀れより、その権力者に翻弄された人たちの悲しさを強く感じました。まさに義経の生き様はそうです。そこに日本人は共感を覚えるのかもしれません。ここ高館に立ち、蕩々と流れる北上川の向こうの束稲山を見ながらいろいろと考えさせられました。
 以下に、この平泉で撮った写真を掲載いたします。


中尊寺本堂

毛越寺のアヤメと大泉が池

達谷窟毘沙門堂



☆神殿で結婚式!

 2006年6月11日、甲子大黒天本山の神殿で結婚式が執り行われました。
 若々しい2人を見て、映画『エンジェル・アイズ』を思い出しました。「彼の前では不思議と自分が素直になれる・・・・・」、それが一生のお付き合いのなかでは大切なような気がします。
 さらに、「人間は一人では生きられない、誰かに支えられ、支えて生きるのだ!」というフレーズもありました。
 まずは、この日を忘れずに、あまり頑張らずに、何事もほどほどに・・・・・。



☆植物にも生命があります!

 2006年5月13〜14日と三沢コミュニティセンターで「第30回春の山野草展」が開催され、多くの方々でにぎわいました。とくに今年は大雪の影響もあり、出品数が少ないのではないかと心配されましたが、例年には見られない山野草などもあり、多くの方々に喜んでいただいたようです。
 甲子大黒天本山の境内地も第2会場で、今年はちょうどアズマシャクナゲが真っ盛りということもあり、多くの方々が訪れました。そこで気づいたのですが、大黒さまの前をお参りもせず通り過ぎ、ただ植物だけを見る人のなかには、小さな山野草をそっと引き抜いていく人がいました。とくにマイズルソウなどは、1本抜いても根まで引き抜けないので、何本も抜き、とうとう失敗した20数本をそのまま捨てていったのを見て、あきれかえりました。もちろん、マイズルソウにも生命があります。おそらく、彼らにはマイズルソウの引き抜かれる悲鳴が聞こえなかったのではないでしょうか。
 最近、子供をねらった犯罪が多発していますが、本来、人間も植物もすべて同じ生き物です。いや、もしかすると、植物がなければ人間の生命もないわけですから、植物のほうが上かもしれないのです。
 もっともっと、植物たちを私たちは大切に扱わなければならないと感じました。



☆子どもたちと山に入りました!

 2006年5月11日、地元の小学生4年生と5年生といっしょに近くの山に行き、自然観察をしました。
 それに先立ち、5月8日に教室で「植物観察について」のオリエンテーションをおこないました。その中で、むかしは道ばたにいくらでもあった植物の4分の1が、失われつつあること(環境省のレッドデータブックより)や、自然のしくみや人間とのかかわりあいなどに触れ、自然を守ることの大切さをお話ししました。
 そして、その体験学習として実際に山に入り、植物とふれ合ったのです。子どもたちはエンレイソウやフクジュソウを見つけたり、食べられるニリンソウと毒草であるトリカブトの違いを観察したり、楽しい2時間でした。つねに見ているチューリップやパンジーなどと違い、小さくかわいらしい山野草に素直に感動していました。
 自然を守るという意識は、子どもの時にいかに自然に親しむかが大切だと思いました。



☆呉汝俊(ウー・ルーチン)さんのコンサートを聴きました!

 2006年4月11日、港区芝公園の「東京メルパルクホール」で開かれたウー・ルーチンさんのコンサートに行きました。
 今まで断片的には何度か聴いていますが、コンサートは初めてです。今回はある方のご厚意で、しかも最良の席でゆっくりと聴くことができました。この場を借りて、深く感謝いたします。
 ルーチンさんは、京胡の名手で、エイベックスからCDなども出されています。京胡はもともとはモンゴル族の楽器だったということですが、蒙古琴などとは形も音色もまったく違います。蒙古琴を聴いたことがありますが、弦を内側から持ち上げるように押さえて弾いていました。京胡は、右のパンフレットを見てもわかるように、竹筒に皮を張っただけの見るからに素朴な楽器のようですが、音色は千変万化とも幽玄ともなんとも表現のしにくい妙なるものです。今回のコンサートでは、美空ひばりの「川の流れのように」などの歌も初めて聴きました。アンコールでは、特に好きな曲の一つである喜多郎作曲の「恋慕」を聴き、大満足でした。
 機会があれば、ぜひ聴いて欲しいアーチストのお一人です。



☆ムユウジュ(無憂樹)の花の写真を撮りました!

 いわゆる「仏教三大聖樹」と呼ばれている樹は、このムユウジュ、そしてインドボダイジュとサラノキです。
 このムユウジュはマーヤ夫人が出産のために実家に帰る途中のルンビニで、あまりにもきれいなのでその花をとろうと右手を上げたときにその右脇からお釈迦さまがお生まれになったと伝えられている樹です。インドではアショーカ・ツリーといい、インドの仏教寺院にはたくさん植えられているようです。アショーカとはサンスクリット語で「憂いがない」という意味ですから、それがそのまま「無憂樹」となったようです。この花のように見えるのは、じつはガクです。仏教では、この花に注目して、無憂華ということもあります。
 インドボダイジュは、お釈迦さまが悟りを啓かれたときに座っていた根元の樹、そしてサラノキは入滅されようとするときの二本の樹です。やはりインドは暑いので、人々はいつも木陰で仕事をしたり、おしゃべりをしたりしています。だから町中にはこのような大きな木が人の集まるシンボルツリーになっているのです



☆映画「博士の愛した数式」を観てきました!

 映画館で「博士の愛した数式」を観てきました。
 監督は小泉堯史で、出演は寺尾聰や深津絵里、齋藤隆成などです。流れは、交通事故の後遺症で記憶がたった80分しかもたない天才数学者と、彼の家に家政婦として派遣された杏子とその息子 √(ルート) との交流を描いたもので、静かに深く数式を交えながら進んでいきます。
 この映画を観て、ある数学者を思い出しました。一人は爆弾犯ユナボマーことテッド・カジンスキー、そしてもう一人はハンガリー出身のポール・エアディッシュです。カジンスキーは2年も飛び級し20歳でハーバード大学数学科を卒業し、ミシガン大学大学院を卒業後カリフォルニア大学バークレー校の数学科助教授になった超秀才でした。しかしたった2年でバークレーを辞任し、山の中に入り、1996年に逮捕されるまでユナボマーとして爆発物や声明文を送り続けました。
 一方、エアディッシュは21歳で博士号をとり、1996年に83歳で亡くなるまで1,500本以上の数学論文を書きましたが、結婚もせず、ほとんど何も所有せず、すべての時間を数学に捧げたような人生でした。しかも他の数学者たちとの共同研究も多く、孤独というよりは、数学の研究を楽しんでいたようです。しかし、数学以外のことはほとんどなにもできず、食事や洗濯などの基本的な家事もダメでした。そして、お金が入ると、そのほとんどを奨学金や必要とする人たちに寄付し、手元に残さないようにしていたそうです。
 この決定的違いは、おそらく、子供時代に両親から愛情をたくさん受けていたかどうかのような気がします。そして、子供は、自分の存在を全面的に肯定されることがもっとも大切だと思います。そうすれば、多くの人を愛する優しい心がきっと芽生えます。
 映画の最後に、ウィリアム・ブレイクの詩が映し出されます。

 一粒の砂の中に宇宙を
 一輪の花の中に天国をみいだす

 この手の中に無限を
 この今の中に永遠をとらえる

 もし、機会があれば、ぜひ観ていただきい作品です。



☆サワフタギの写真を送っていただきました!

 2006年2月9日、岩手の齊藤勉さんからサワフタギの写真をお送りいただきました。その時の文面を紹介させていただきますと、
 『今日は私の庭の「サワフタギの実」の写真を別添で披露してみたいと思います。インターネットで「サワフタギ」を検索して見ましたが、この写真のように実が鈴なりになった写真は見られませんでしたので、きっと読者の方々の目の保養になるのではと思いました。』
 とあります。まことに見事なサワフタギの実で、おそらくお初めてお目にかかる方もおられるかと思います。このサワフタギは、ハイノキ科ハイノキ属の落葉木で、漢字で書くと「沢蓋木」です。私も、このように多くの実をつけたのを見たことがありません。
 ぜひ、これからも珍しい写真が撮れましたら、お送りいただければここに掲載させていただきます。



サワフタギ

サワフタギ

サワフタギ



☆東京国立博物館に行ってきました!

 2005年11月4日(金曜日)、東京国立博物館に行き、「華麗なる伊万里・雅の京焼」と「北斎展」を見てきました。
 「華麗なる伊万里・雅の京焼」は表慶館で開かれ、古九谷といわれていた伊万里焼や仁清の茶壺など、以前から見たいと思っていたものをゆっくりと鑑賞してきました。
 とくに「北斎展」はすごい混みようで、ほとんど押されるようにして見てきました。現所有を見ると、海外の美術館も多く、おそらく明治期に海外に流出されたもののようでした。しかし、それらを、このようにして一堂に会して見ることができるとは、とても幸せな時代だと思います。また、いつ見ることができるかわからないこれらの逸品を、人混みの中でも静かに味わいました。
 なお、「華麗なる伊万里・雅の京焼」も「北斎展」も、12月4日までですので、興味のある方はぜひ見てみてください。




☆月見の茶会に行ってきました!

 2005年10月16日(日曜日)、月見の茶会に行ってきました。
 今年は翌日がちょうど満月という絶好の日にあたり、さらに時間が進むにつれてお月さまが山の端から上がり、最高の雰囲気でした。
 各席で出るお菓子も、新栗を使ったものや、季節の里芋を形取ったものまであり、ついつい各席すべてで食べてしまいました。お席も、お月さまにちなんだものや、夕方の席ということで格式張らない軽やかさがあって、気楽に楽しめました。
 今年は30回の記念ということで「親子体験席」もあり、大きな茶碗から一生懸命にお茶を飲んでいる姿がとても印象的でした。となりの小学校5年生に美味しいですかと聞きましたら、「お茶もおいしいけれど、お菓子がおいしい」という返事が返ってきました。



☆菊見還暦茶事に招かれました!

 2005年10月10日、ある方の菊見還暦茶事に招かれ、行ってきました。
 当山でも、個人や同級会などの団体の還暦ご祈願をいたしますが、いわば人生の大きな節目であり、新たなステージへの再出発でもあります。そのためには、今まで生かされてきた人生を振り返り、反省すべきは反省し、できなかったことはこれからは何とかできますようにと願うのです。
 今回の茶事も、その意味では、いろいろな思いが込められたお茶事であったように思います。いつも思うのですが、お茶は一期一会で、同じ人たちが同じ季節に同じ道具で出会うなどということは、なかなかないようです。しかも、今日という日は、今日限りですから、まったく一期一会と言い切ってもいいのかもしれません。



☆Dinka Dunk (ディンカドゥンク)の「名月ライブ」がありました!

 2005年9月11日(日曜日)午後5時からDinka Dunk (ディンカドゥンク)の「名月ライブ」がありました。
 彼らは、沖縄で出会った三人組のバンドで、アフリカやアジアの民族楽器を中心に演奏活動をしているそうです。実際に聴いてみると、その民族楽器の枠を取り外したような自由な演奏で、自然に耳に飛び込んでくるような感じでした。
 メンバーのお一人、近藤ヒロミさんも、今年の音楽のほうがこの神殿にぴったりすると話していましたが、まったくその通りでした。オーストラリアの民族楽器ディジュリデュの音色も素敵でした。この楽器を調べましたら、「ディジュリドゥはオーストラリア北部のブッシュ地帯に生えるユーカリの木から作られます。まずシロアリによって中が喰い荒され空洞化した木を探し出し、1mから2mぐらいの長さに切ります。その後、表皮を削り口当ての部分に蜜蝋(ビーズ・ワックス)などを塗り、表面には岩を砕いた顔料で独得なアボリジナル・ペインティングを施します。その口当てに口を付け、息を吹き込みながら唇を震わせ、口や筒の中に共鳴させることで豊かな倍音に彩られた独得な音を発生させるのです。」と書いてありました。
 機会があれば、ぜひ聞いていただきたい音色です。



☆葛田一雄さんの出版祝賀会に参加しました!

 2005年 8月26日、東京千代田区の「如水会館」で開催された「葛田一雄作[夢のあとに]の出版を祝う会」に行ってきました。
 この小説は、彼が還暦を迎えて初めて出版したもので、今までの彼の経歴とはちょっと違う感じがします。でも、その根底に流れている逗子ボーイの粋が随所にかいま見られ、スーッと物語りの世界に入り込んでいきました。
 全国発売は、9月7日だそうですから、ぜひお読みいただきたいと思います。
 写真は、葛田氏と表紙絵を描かれた細谷正之氏、そして司会の荒木敏成氏です。



☆平等寺の薬師堂をお参りしました!

 2005年 7月24日、「将軍杉」に会いに行ったとき、初めて平等寺薬師堂の存在を知りました。
 現在のお堂は1517(永正14)年建立されたといい、旧越後では最古の木造建築だそうです。しかも、釘を一本も使わずに建てられたもので、その屋根の風格はすごいものです。そこには、いろいろな植物が根付き、ネジバナさえも花をつけていました。
 でも、この建物を冬の豪雪から守るのはたいへんなことだと感じました。たしかに、「将軍杉」もみごとでしたが、それ以上に風格を感じたのがこの薬師堂です。



☆岩谷山平等寺の「将軍杉」に出会いました!

 2005年 7月24日、猪苗代ハーブガーデンに行ったついでに岩谷山平等寺の「将軍杉」に会いに行ってきました。
 というのは、6月に屋久島の縄文杉に出会い感銘を受け、帰宅してから日本の杉の巨木を調べてみました。すると、縄文杉こそ日本最大の杉と勝手に思っていたのですが、それより大きな杉が新潟の東蒲原郡にあることを知りました。それは、ぜひ、お会いしなければと思っていましたが、割合早くその機会が訪れました。
 この「将軍杉」は、1927年4月8日に国の天然記念物に指定されましたが、1961年秋の第二室戸台風により中央の1本が折れてしまいました。それでも、2001年の環境省再調査で19.31mとされ、晴れて日本一の杉の巨木になりました。「将軍」とは、10世紀頃の余五将軍平維茂(たいらのこれもち)のことだそうで、案内板にはいろいろなことが書かれていました。
 しかし、真ん中の1本がないというのは、なんとも残念です。



☆「植物画世界の至宝展」を見てきました!

 2005年 7月15日、東京藝術大学大学美術館で開かれている「植物画世界の至宝展」を見てきました。
 会期は6月11日から7月18日までですから、なんとか間に合ったという感じです。これは、英国王立園芸協会(RHS)創立200周年記念と銘打たれたもので、500年の流れがわかるように展示されていました。
 この後、神戸市市立小磯記念美術館と全国都市緑化ふくおかフェアで展示される予定になっていますので、機会があればみてください。植物の好きな方にはたまらないものだと思います。



☆雄国沼のニッコウキスゲを見てきました!

 2005年6月30日、ニッコウキスゲを見に北塩原村の雄国沼に行きました。この沼は、猫魔ヶ岳の噴火によって生まれたカルデラ湖で、昭和32年にミズバショウやニッコウキスゲなどの咲く湿原として国の天然記念物に指定されています。湖面の標高は、1,089mで、周囲は、4.62Km、水深は約7mといわれています。
 今年から、マイカー規制とシャトルバス運行が開始されたので、雄国沼萩平駐車場に車をとめ、そこから45人乗りのバスで金沢峠駐車場まで25分かかりました。往復大人一人1,000円です。そこからは雄国沼に下るだけで、満開のニッコウキスゲをみることができました。ちなみに、昨年は開花目前にしてほとんどが霜にやられてしまいました。だから、今年は何年かぶりの大開花です。

 そのときの写真を下に紹介します。


雄国沼のニッコウキスゲ大群落

オオカメノキとニッコウキスゲ

金沢峠から見た雄国沼



☆「しゃくなげ茶会」を開きました!

 2005年5月27日、小町山で「しゃくなげ茶会」を開きました。
 当日はあいにくの天気でしたので、神殿回廊部分に席を移し、懐石からはじまり、濃茶、薄茶とすすみ、野点風正午の茶事を楽しみました。
 参加者はしゃくなげ会の面々で、当日は地元テレビ局の取材もあり、和気藹々と予定の時間を忘れてしまうほどでした。
 そのときの写真を下に紹介します。


亭主濃茶お点前

薄茶お点前

当日の道具組



☆第29回「春の山野草展」が開かれました。

 2005年5月14〜15日と、三沢コミュニティセンターで第29回「春の山野草展」が開催されました。
 また、同じ日程で、万世山野草展も開催され、20回記念展としてさまざまな催しが開かれました。そして、お互いに訪問し合い、交流を重ねました。
 そのときの様子を下記に掲載いたします。


三沢山野草展会場

展示されたオキナグサ

万世山野草展会場



☆白石川堤の桜を見てきました!

 2005年4月19日、「さくらの名所百選」にも選ばれている白石川堤のさくらを見に行ってきました。ここは延々8qほどにたくさんの桜が植えられていて、「一目千本桜」とも呼ばれています。
 一番心配していたのは駐車場でしたが、河川敷におおきな駐車スペースが確保されており、ゆっくり両岸を歩くことができます。多くのひとたちが、桜の木の下でお弁当を広げたり、花見団子を食べたりしていました。近くの小学校の児童たちも来ていて、ゴミ拾いをしたあと、土手の芝生で転がったりして遊んでいました。
 ほとんどがソメイヨシノでしたが、一部シロヤマザクラも混じっているとのことでした、遠くには蔵王連峰が望め、川には屋形船も運航されていました。まさに、春爛漫、これぞ日本の風景といった雰囲気でした。


白石川堤の桜

白石川堤の桜と屋形船

桜並木と蔵王遠望



☆「恐竜博2005」を見ました!

 2005年 3月23日、「中宮寺 国宝菩薩半跏像」を見学する前に、国立博物館で開催されている「恐竜博2005」を見ました。
 一番の目玉は、全身の90パーセントの化石が見つかった「スー」で、この発見でティラノサウルスの全体像がわかったようなものです。展示された「スー」は、全長12.8mあり、歯は最大約30pもあり、のこぎりのようなギザギザもありました。
 展示の流れは、恐竜がだんだんと鳥へと進化していく過程をとらえ、その順に並べられていました。あの巨大な恐竜が小さな鳥になるという進化の過程がとても信じられませんでしたが、その過程を眺めると理解できないこともないなあなどと考えてしまいます。
 この恐竜博は、3月19日〜7月3日まで開催されていますので、ぜひ興味のあるかたはご覧ください。



☆「中宮寺 国宝菩薩半跏像」を見てきました!

 2005年 3月23日、東京国立博物館の本館特別5室で開催されている「中宮寺 国宝菩薩半跏像」を拝んできました。
 この神秘のほほえみともいわれているやさしい笑顔に、感激しました。会期は3月8日〜4月17日までですので、機会のある方はぜひ見学されることをおすすめいたします。
 初めて、四方から見学いたしましたが、後の光背がクスノキの一枚板だそうですが、それが丸い竹のように彫られたもので支えられていることを初めて知りました。何度も何度も時間をかけて見つめておりましたが、そのほほえみはやはり魅力的でした。



☆小石川植物園に行ってきました!

 2005年3月21日、東京の小石川植物園に行ってきました。というのは、ここで植物関係者の集まりがあり、久しぶりに園内を歩いてきました。
 ちょうど、シナミズキやトサミズキの大株が満開の花を付け、ウメなどは少し盛りをすぎたような感じでした。また、早咲きの桜が咲いていて、早めの花見を楽しんできました。サクラの安行寒緋という種類に、メジロが花の蜜を吸いに集まり、バードウォッチングも楽しむことができました。
 また、温室の中には、小笠原諸島固有種のムニンツツジやムニンノボタンが咲き、一度絶滅しかかったこれらの種がここから再生していったことなどを感慨深げに写真を撮らせてもらいました。
 翌々日には、上野の国立博物館で開催されている「恐竜展2005」を見たり、国立博物館の中宮寺の菩薩半跏像を拝んできました。せっかく上京したので、興味のあるところをいろいろと見学してきました。


カンヒザクラ

カンザキオオシマ

安行寒緋とメジロ



☆「世界らん展日本大賞2005」を見てきました!

 2005年2月23日、冬の京都を巡った後に、東京へ出て、さらに世界らん展日本大賞2005を見ました。
 一昨年も見ましたが、今年は15周年記念ということもあり、とても華やかでした。私は、東洋欄のようなものが好みなんですが、ときにはこのあでやかさも人を圧倒する美しさを持っていると思います。花をいくら言葉で表現しようとしても難しいと思うので、先ずは下の写真を見ていただきましょう。


洋ランの花々

黄花フウラン

パフィオペディラム



☆「京の冬の旅」に行ってきました!

 2005年2月19〜22日、滋賀県に用があり、そのついでに冬の京都を巡ってきました。今年で「京の冬の旅」の企画も第39回だそうです。普段は非公開の文化財も、このときだけ公開されるので、とても楽しみです。
 数ある公開されたもののなかで、特に印象に残ったものは、東寺の五重塔の初層内部や龍安寺の仏殿や西の庭、そして金閣寺方丈などです。当然、写真撮影できないものも多かったのですが、少し下に掲載します。3月18日までですので、機会があればぜひ行ってみてください。
 22日の夕方に東京に出て、翌日は世界らん展を見ました。


嵯峨野の竹林

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

龍安寺仏殿と西の庭



☆「雪見の茶会」に行きました!

 2005年2月12日、第28回上杉雪灯篭まつりの協賛掛け釜の「雪見の茶会」に行ってきました。
 場所は米沢市座の文化伝承館で、主催は米沢茶道連合会で、午後4時から8時まででした。席は3席あり、それぞれの流派の違いなどの楽しみもあり、さらには観光客の方々の参加も多く、いつものお茶会の雰囲気とは違うものを感じました。
 茶席の外には、雪ぼんぼりに灯りが点され、手桶にはほどよい温かさの手水が準備され、その中でいただく一杯のお茶にたとえようもない美味しさを見つけました。この寒いときの熱いお抹茶は、身の底から温めてくれます。たった一杯のお茶ですが、それを楽しもうとする方には、無限の楽しみがあるはずです。
 ぜひ、機会がありましたら、一杯のお抹茶を楽しんでみてください。


伝承館の門構え

清山庵の床

清山庵の道具組



☆「「福王寺法林展」を見てきました!

 2005年 1月20日、山形市の山形美術館で開催されている「福王寺法林展」を見てきました。
 この展示会は、昨年11月文化勲章を受章されたことを記念して開かれたものですが、米沢市出身ということもあり、ぜひ見たかったものの一つです。
 簡単に略歴を記しますと、1920年に米沢市で生まれ、画家を志し上京したのが1936年です。再興第34回院展に「山村風景」で入選して以来、数々の受賞歴があります。
 長年の夢であったネパールに取材に行ったのが1974年で、このポスターに載っている「ヒマラヤの花」(山形新聞社蔵)を描いたのは1983年です。そして日本芸術院会員になったのが1994年で、1998年に文化功労賞、そして2004年11月には文化勲章を受賞され、今日に至っています。また今年に米沢市名誉市民になる予定です。
 今回の展示会では、日本画30点のうち、ヒマラヤの絵が13点あり、そのいずれも大作で、シャクナゲの花が一面に描かれた「ヒマラヤの花」(福島県立美術館蔵)もあり、時間を忘れて魅入ってしまいました。図録も買ってきましたので、当分は毎日見続けるのではないかと思います。



☆「大根茶事」今年もやりました!

 2004年12月23日、米沢市座の文化伝承館で、今年も大根茶事をやりました。
 先ずは、寒いなかをいらっしゃったということで、一服のお茶を差し上げ、それからゆっくりと懐石を楽しみました。そしてメーンの「ふろふき大根」が出て、今年はさらに芋がゆまで最後に出されました。それをつくってくれた方は、戦前戦中を生き抜いてこられ、自らも毎日このような芋がゆを食べてこられたそうです。これはこれでとてもおいしかったのですが、毎日食べるとなれば、いまの人たちはきっとイヤになると思います。
 でも、年の終わりに、このような簡素なお茶を楽しめたことに、それなりの意義があろうかと思われます。きらびやかな大寄のお茶会と違って、気心の知れた方々とのゆったりとしたお茶事は、見てくれよりお茶の道に沿うような気がします。
 今年で3回目ですが、ぜひ来年もこのようなお茶事を楽しみたいと思います。


この掛け物を書いた方も参加

先ずは簡素の道具でお茶一服

右上がふろふき大根です



☆「吉野・熊野・高野の名宝」展を見てきました!

 2004年12月8日、東京世田谷美術館で開催されている「吉野・熊野・高野の名宝」展を見てきました。
 これは世界遺産登録記念と銘打って開かれた特別展で、「祈りの道」という副題も付いています。私は縁あって、昨年の4月と今年の2月にこの祈りの道を訪ねることができました。ですから、再びあの仏たちに出会う喜びがあり、さらにはその時に、拝むことのできなかった仏たちとの新鮮な出会いもあり、身の清められるような時間でした。
 さらに、この東京世田谷美術館のあとに、国立国会図書館を参観することができました。
 だいぶ前のことですが、国立国会図書館の新館がオープンし、それを紹介する記事を見て、その設備のすばらしさや地下にある収蔵庫の活用法にびっくりしたことがあります。それを実際に自分の目で見ることのできるチャンスに、小躍りして喜びました。しかも、案内してくれた方はすごい役職の方で、私たちの質問にも分かりやすく納得できるようにお答えいただきました。
 ただ、残念なことに、あの地下8階から眺めた情景の写真を撮ることができなかったことが心残りです。
 それにしても、いろいろな体験のできた一日でした。



☆上杉鷹山-改革への道-開催されました!

 2004年10月9日〜11月23日まで、伝国の杜「米沢市上杉博物館」で、上杉鷹山-改革への道-の特別展が開催されました。
 これは、「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成さぬは人の 成さぬ成りけり」と詠んだ上杉鷹山公の改革への道を資料を通して紹介する企画展でした。今回は、国宝上杉本洛中洛外図屏風の原本も展示され、多くの参観者でにぎわいました。
 不景気になると取り上げられる鷹山公ではありますが、その優しい生き方に共鳴される方も多いと思います。私もその一人ですが、ぜひ鷹山公の人となりに触れ、自分の生き方をもう一度考えるいい機会にして欲しいと思います。



☆月釜に行ってきました!

 2004年11月7日、米沢市座の文化伝承館で開かれた月釜に行き、おいしいお茶をいただいてきました。
 ここでは、冬期間をのぞいて、毎月初めの日曜日に釜がかけられていて、誰でも参加できます。この日は、とても天気が良く、露地の風情も秋めいて、名残のお茶のような雰囲気が感じられました。下にそのときの写真を少し載せますので、雰囲気だけでも感じ取っていただければと思います。
 お茶は作法を知らないとどうしても敬遠してしまいがちですが、このような一般を対象としたお茶会で試しに飲んでみることも良い経験になります。


青山庵

青山庵から露地を眺める

青山庵でのお手前



☆演劇『心中天の網島』を観ました!

 2004年10月21日、川西町のフレンドリープラザで公演された『心中天の網島』を観てきました。
 これは流山児★事務所の創立20周年を記念する公演第一弾で、あの有名な近松門左衛門作『心中天の網島』を現代風に篠井英介が演出したものです。とても動きがあり、特に七瀬なつみさんの二役も見応えがありました。
 公演パンフにも書いてありましたが、「恋って何でしょう?」という永遠の問いが江戸時代と現代をつないでいるように思いました。
 もし機会があれば、ぜひ観てみてください。



☆当山神殿にアフリカの風が吹きました!

 甲子大黒天本山神殿で、2004年10月17日(日)午後6時から、アフリカの伝統と現代を織り交ぜたスライド&トークとカリンバ・ムビラ&太鼓のライブが開催されました。
 第1部では、ケニア在住の早川千晶さんがスライドを上映しながらのトークショーで、第2部はブルケンゲ(俵貴美・大西匡哉)の太鼓と近藤ヒロミさんのカリンバ・ムビラの演奏でした。
 いずれも印象に残るライブでしたが、あのカリンバ・ムビラの優しい音色は、今でも耳に心地よい音色となって残っています。私が今もときどき聞いている近藤ヒロミさんのCDは、「TAPIWA-おくりもの-」です。みなさんもぜひこのやさしい音色を体験してみてください。


太鼓の演奏

近藤ヒロミさんの演奏

ライブ終了後の一こま



☆映画『トゥー・ブラザーズ』を観ました!

 2004年10月6日、『トゥー・ブラザーズ』を観てきました。これは、カンボジアのジャングルにある古い寺院に暮らしていたふたごのトラの物語です。監督は『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のジャン=ジャック・アノーで、いつも思うのですが、野生動物を力強く描くのはとても大変なことです。私も西ベンガルであの大地を揺るがすようなトラの鳴き声を聞いたのですが、まさに映画館に響き渡るようなすさまじいものでした。
 ぜひ、このトラの数奇な運命と冒険家エイダン・マクロリーや少年との交流など、人と動物とのふれあいを観ていただきたいと思います。アメリカ映画もダイナミックでいいですが、このようなヨーロッパ映画も心を揺さぶるものがあります。



☆『中国 国宝展』を見てきました!

 2004年10月1日、東京国立博物館 平成館で開催されている『中国 国宝展』を見てきました。
 これは中国の考古学の新発見と仏教美術が中心でしたが、とくに興味を引いたのが仏教美術です。あの重い仏像をここまで運ぶのに大変だったろうなあという思いと、ここにいながら御尊像を拝める幸せを感じました。中には私が訪れたことのあるお寺のものもあり、懐かしくなりました。
 会期は9月28日〜11月28日までですので、ぜひご覧ください。



☆当山神殿でKOH-TAO(コォ タオ)コンサート開催!

 甲子大黒天本山神殿で、2004年7月23日(金)午後7時30分から、KOH-TAO(コォ タオ)のコンサートがありました。
 彼らは東京を拠点にヨーロッパやアジアなどで音楽活動をしていますが、今回はある縁で当山での開催となりました。
 特に印象深かったのは、オルゴールの起源とされている親指ピアノ(カリンバ)の音色です。コンサートが終わってから演奏者のBUNさんに聞いたのですが、これらはみな自分で作られたそうで、指の爪でひくので爪もすり減っていました。そんな大変な苦労も感じさせない軽やかな演奏会でした。
 機会があれば、ぜひまた聴きたいと思います。


右がHARISHさん、左がBUNさん

主催者のせいのさんの挨拶

演奏に使われたカリンバ



☆西国三十三観音札所巡り Part.24

 さあ、これで最後の第16番札所音羽山清水寺です。
 五条坂からちゃわん坂の方に向かい、いかにもかって知ったかのように歩きました。考えてみれば、この清水寺には少なくても5〜6度は来ているはずです。この前訪ねたときも京都陶磁器会館や朝日堂を見て歩きましたが、今日は一心参りです。寄り道をせず、そのままちゃわん坂を上り、清水寺の山門前に立ちました。
 この山門は、色鮮やかな朱塗りになっていて、ちょっと浮いたようにも見えますが、そのまま三重の塔のわきを抜け、拝観券を求め、本堂に向かいました。この舞台造りは、西国三十三観音札所のなかにもいくつかの寺院で見かけましたが、やはり一番大がかりで、見事なものです。ちょっと人が多いのが難点ですが、先ず本堂西側に祀られている大黒天に参拝し、それから本尊さまの十一面千手千眼観世音菩薩にお参りしました。しかし厨子の中に祀られていると思ったのですが、現在は保存のため宝蔵殿に移されていると聞き、ちょっとガッカリしました。確かに文化財といえばそうかもしれませんが、信仰者の立場からいえばお参りをする対象であり、保存云々の問題ではありません。そこにいらっしゃると思ってお参りをしたのに、別なところに保存されていると聞けば、いささか肩すかしを食らったようなものです。もちろん、本堂などの建物もそうですが、お参りをする場所であって、鑑賞するものではないはずです。この舞台の端でしばらく眺めていると、お参りをするというよりは、ただ見回している方々のほうが断然多いことに気づきました。それも本尊さまがいらっしゃらないのだから当然というば当然なのかとも思いました。
 それから釈迦堂や阿弥陀堂、奥の院などをお参りし、そのまま三重の塔のほうに向かって歩きました。そして、ふと、本堂の方を眺めてみると、その檜皮葺きの屋根の少しふくらみを持たせた優美な姿に目が釘付けになりました。今まで、何度も来て気づかなかった美しさです。この本堂は1633年に徳川家光の寄進で再建されたそうですが、屋根だけはその後も何度か補修されているはずです。それでもこのふくらみを残してきたことに、感動すら覚えました。山門や経堂、開山堂などにはない日本独特の丸みです。これを見つけただけで、ここを西国三十三観音札所の最後にして良かったと思いました。
 日本の宗教建築物の良さは、反り返った鋭さや、人を威圧するような大きさではないように思います。いわば優しいなで肩のようなもので、いつでも人を受け入れてくれるような寛容さです。宗教というのは、本来は、今生きて悩み苦しんでいる人たちを救うものでなければなりません。人を拒絶したり、寄せ付けないようなものでは困ります。誰でも気軽に訪ね、好きなだけ時間を過ごせるところが必要だと思います。

 この西国三十三観音札所をすべて巡り終え考えてみると、観音さまのご慈悲、優しさに触れた旅だったように思います。そして、その観音さまのご慈悲をそのまま他の人に差し向けなさいということだと感じました。観音さまの放つ慈悲の光りを、自分だけでなく、多くの人たちと共に、全身で受け入れることこそ有り難いものです。共に生き、共に楽しめる、その共にという姿に、人としての優しさ、柔らかさがあると思いました。最後に、今、私の床の間に掲げている元清水寺住職大西良慶師が書かれた『清風座中起』を紹介してこの連載を終わりにしたいと思います。
 よくお茶席で見かけるのは、『歩々起清風』ですが、これは一歩一歩あゆむごとに涼しい風が吹いてくるという非常に爽やかな情景を表しています。そして、さらに日々努力し続けた人の一挙手一投足がとても美しく感じられるという意味でもあります。では、『清風座中起』の清風も同じかというと少し違いまして、この清風は爽やかさだけではなく、なごやかな雰囲気にいつも包まれ、円満なさまをも表しているのだそうです。そういえば、大西良慶師が92歳のとき、ノーベル賞作家であるパールバックさんが清水寺を訪ねられたことがあります。そのとき、パール・バックさんが、大西良慶師に、自分の一生を振り返っていつの頃が一番よかったでしょうかと質問されたそうです。すると師は、即座に「そやなあ、今が一番ええなあ」とお答えになりました。  「今が一番ええなあ」・・・・・。この何気ない言葉ではありますが、92歳になって言えるということは素晴らしいと思います。その歳になれば、身体は思うように動かない、耳もよく聞こえないし、目もよく見えなくなる、いくらでも愚痴はでてきますが、「今が一番ええなあ」と思って暮らせれば、それぐらい幸せなことはありません。
 ぜひ、この連載をお読みいただいた皆さまがたも、この共に生き、共に楽しみ、さらには「今が一番ええなあ」と思いながら生きていただきたいものです。
 長い間の連載におつきあいいただき、本当に有り難うございました。心から感謝いたします。



☆西国三十三観音札所巡り Part.23

  第18番と第19番は歩いて回ったのですが、第15番札所新那智山観音寺(今熊野観音寺)は東山区の泉涌寺の近くにあるので、車を利用しました。市バス泉涌寺道から入り、10分ほど歩き朱塗りの鳥居橋を渡ると観音寺に着きます。ここは泉涌寺の塔頭寺院でもあり、四国八十八カ所お砂踏みでも有名なところです。
 石段の途中に子まもり大師像がまつられ、本堂わきの石段の上には大師堂もあり、ここは真言宗のお寺だということが分かります。本尊さまは十一面観音で、寺伝によると、空海がこの地を訪れたとき、熊野権現と名乗る老人が1寸8分の十一面観音を託し祀るように言い残したといいます。そこでその話しを聞いた嵯峨天皇の命により空海がお堂を建て、新たに1尺8寸の十一面観音像を造り、その胎内にその老人から託された観音像を納めたということです。現在は、その前立本尊がありお参りできるようになっています。
 本堂の右奥の小高いところに見える多宝塔は日本唯一の医聖堂で、日本の医学の発展に寄与した人たちを祀るのだそうです。これは昭和59年に完成しましたが、現在も本堂の一部を手直しをしていました。
 次に向かったのは、第17番札所補陀洛山六波羅蜜寺です。バス停の泉涌寺道まで戻り、市バスで清水道まで行き、そこから京阪五条駅のほうに進みました。何度か道行く人に尋ねながら細い路地を歩き、たどり着きました。ここは真言宗智山派ですが、市の聖として有名な空也上人の開基されたお寺です。ですから、ここにはあの教科書にも掲載されている口から化仏を吹き出している空也上人像があります。私には、意外なところで懐かしい像に出会ったような感じでした。それに、ここはあの六波羅探題があったところだというし、お寺の北側には六原小学校があるということで、寺名にも納得してしまいました。
 本堂は真新しく感じましたが、昭和44年に解体修理されたのだそうで、重要文化財です。そのとき発掘調査なども行われ、泥塔なども出土したそうです。本尊さまは十一面観音で、空也上人が市中を引き回したときの像だとありました。その本堂南角には、新しそうなブロンズの縁結び観音像が立っていて、修学旅行の女生徒たち、しかも今時珍しいセーラー服を着て真剣に手を合わせていました。
 ここで時計を見ると、もう午前11時45分。そういえば、これまで昼食は、ほとんどが車の中でパンやおにぎりを食べる程度でしたので、今日ぐらいは食堂で食べようと思いました。東大路通に出て、その通りに面した「甚六」というお蕎麦屋さんに入り、ノートをまとめながらお蕎麦をいただきました。やはり、ゆっくりといただくと、食べたような気がします。車の中で食べると、いかにも腹が減ったから食べるというだけです。ここで少しゆとりを持って最後の札所に向かいました。



☆『伊東忠太の世界展』見学ツアーに参加しました!

 伝国の杜「米沢市上杉博物館」で、2004年5月22日〜6月27日まで『伊東忠太の世界展』が開催されています。そのワークショップの一環として、見学ツアーが企画され、鶴見の総持寺にある伊東忠太のお墓をお参りし、その後、忠太が設計された築地本願寺や大倉集古館を見学するものでした。
 6月12日、山形新幹線で東京駅まで行き、そこから貸し切りバスでの移動でした。鶴見の総持寺では、ちょうど実峰良秀禅師600回忌法要が行われ