このコーナーは、私が皆さんからメールをいただいて考えたことや感じることなどを自由にお話をさせていただくものです。
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平成20年2月6日、上山市の春雨庵に行ってきました。
平成19年度の今回最後の巡礼地は、第4番札所の海光山長谷寺です。
たしかに由緒あるご本尊さまですが、長谷寺の創建年代は不明で、『吾妻鏡』にも記載はないそうです。しかし、僧忍性が極楽寺坂を切り開いた文永・弘安年間(1264〜88)の頃には、人々の信仰を集めていたようですから、それなりの格式は持っていたようです。そして、なにより、この大きな観音さまには、とくに奈良の長谷観音さまに行けない人々にとっては、ありがたい存在だったのではないかと思われます。
第3番札所の安養院を出て、次は第1番札所の大蔵山杉本寺を目指しました。
中に入り、座ってご法楽をささげ、さらに奥まったご本尊さまにお詣りし、外に出ると、杉木立から太陽の光がもれ、なんともすがすがしいものを感じました。やはり、お詣りはいいものです。気持ちがさっぱりし、心まで洗い流したような気になります。![]() 青山庵 | ![]() 懐石で大根を食べる | ![]() 青山庵でのお手前 |

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次は、第3番札所の安養院です。逗子の岩殿寺からは距離的にはほんの少しですが、なにせ地理不案内のものばかりですので、頼りは車のナビだけです。車に乗り込むと、まずは行き先のお寺を入力し、案内開始で出発します。
ここの観音堂は、昭和3年に建立されたもので、内陣には阿弥陀如来、そのうしろに千手観音が安置されているそうです。ここが、やはり浄土宗なのかもしれません。まずは、最初にご法楽をささげ、観音堂から出ると、左手に睡蓮の鉢植えが残り花を咲かせていました。それが少し薄暗い境内地にあって、スポットライトを浴びたように照り映え、つい写真を何枚も撮ってしまいました。花色は、ピンクと白でした。
9月6日、朝6寺30分に起床し、7寺20分に朝食、8時にはここを出発しました。民宿の前のお土産やさんで、城ヶ島公園に行くことを勧められ、そこにまわることにしました。
縁起には、「ここより、近くは相模湾に面した逗子の海を、また遠くは三浦半島はもとより伊豆、房総の半島を一望できる絶景の地であることから、山号を「海前山(現在は海雲山)」また、岩窟が自然の殿堂のようであったので寺号を「岩殿寺」としたといわれる。」とありましたが、現在では住宅が建ち並び、視界も遮られているようです。この観音堂は、江戸期に再建されたもので、逗子市の重文に指定されているそうです。周りには、立派な木々が生え、いかにも古木蒼然とした雰囲気でした。
13時55分に第8番札所の星谷寺を出発したのですが、まだ、昼食を食べていませんでした。なかなか食べるところが見つからないのと、早く札所を回りたいのとの板挟みです。次の予定は、横浜市南区にある第14番札所の弘明寺ですから、だいぶかかりそうです。そこで、ファミレスでもいいということになり、車のナビで探したら、すぐに見つかり、簡単な昼食をすませました。それでも、50分ほどかかりました。
ここの、弘明寺駐車場に着いたのが、16時35分でした。すぐに観音堂にお詣りし、ご朱印をいただき、まずはホッとしました。ここの観音さまは、鉈彫りだそうで、平安末期のものといわれています。なお、左の写真は、本堂の左側にある絵馬堂です。
みんなで車中から昼食場所を探したにもかかわらず、とうとう第8番札所の妙法山星谷寺に着いてしまいました。時間は、13時30分です。ということは、第6番札所からここまで、約25分程度しかかからなかったということになります。小田急線座間駅からだと、徒歩で10分ほどで星谷寺に着くとありましたから、町中の寺です。
本堂右手前にある手洗いで手と口をすすぎ、それから本堂に入りお詣りをしました。そのお詣りをしている間は、雨が降っていたようですが、終わって出てくる頃には雨も上がり、傘も差さずに車に戻りました。今回は台風9号が来ていたので、雨の覚悟はしてきたのですが、不思議なことに車で移動している間は雨が降ったものの、ほとんど傘の必要はありませんでした。やはり、観音さまはありがたいと思います。
お昼を過ぎましたが、なかなか昼食をとるところが見つからず、そのまま厚木の第6番札所飯上山長谷寺に行きました。厚木市内から約6Kmほど離れているそうですが、車だとあっという間です。ちょっと小高い山に上り始めたと思ったら、すぐに飯山白山森林公園の看板があり、その駐車場のすぐ手前に仁王門が見えました。時計を見ると、12時45分でした。
さらに石段を登ると、両側に並んだ数多くの石灯籠の奥に、本堂が見えました。寺伝には、行基や弘法大師にまつわる縁起が書かれてありましたが、このりっぱな本堂ですから、それなりの故事来歴があって当然です。
2007年9月5日、次にまわった観音霊場は、第7番札所の金目山光明寺です。ここは、平塚から秦野へ向かう途中の金目というところにあり、すぐ傍を金目川が流れています。ご本尊さまは、行基が彫ったと伝えられる観音像のその胎内に、小磯の浜に打ち上げられた木片を納めたといわれているそうです。そこから、「お腹ごもりの観音」として信仰され、今に伝わっています。
それでも、明治の神仏分離以降は無住に等しいほど荒廃したそうですが、現在ではきれいに寺域も整えられていました。ご朱印をいただくために朱印所に行くと、その庫裡の庭には大株の洋石楠花も植えこまれ、季節の花々も咲いていました。寒いところではなかなか栽培できないジンジャーなどもあり、この庭を拝見しただけで、相当な花好きとお見受けいたしました。やはり、壮麗な寺院建築もいいですが、その境内地の環境も大切なものです。
2007年9月5〜6日、第二回目の坂東三十三観音札所巡りをしました。今回は参加者5名で、ジャンボタクシーと運転手さんは同じです。早朝4時30分に普門寺さんのところに集まり、10分遅れ程度で出発しました。ここに来たときは、まだ、真っ暗でしたが、だんだんと薄明かりになって、それでも車はライトを点けて走っていました。
仁王門まえには駐車場があり、少し雨が降っていたので、傘を差しながら写真を撮っていると、ほどなく雨が上がったので、もう一度ゆっくりと写真を撮り直しました。仁王門をくぐり、お堂を見渡すと、その手前に形の良いサルスベリが花を付けていました。花色もありふれたもので、しっとりとした風情が感じられました。また、先ほどまでの雨の水滴がつぼみに付着し、花のつぼみと水滴がともに光って見えました。
2006年10月27日に荻巣樹徳の会「千樹会」に出席するため鎌倉に行きました。そのついでに、上野の東京国立博物館で開催されている『仏像 一木にこめられた祈り』を見てきました。
本堂へは、入山料を払ったときにもらった本堂参拝券を箱に入れ、靴を脱いで入ることができます。ここは巡礼発願の寺ということもあり、本尊さまである十一面観世音菩薩のみ前にぬかづき、お経を1巻唱えました。それからご朱印をいただき、そこに発願の丸印も押して貰い、これでやっと坂東33観音札所巡りが始まったように思いました。
2006年9月26日、東京出張の折に浅草の観音さまに参詣しました。ここは東京都唯一の札所ですが、おそらく現在の東京は坂東霊場選定時はまだ広々としたアシの原だったようです。唯一その当時から隆盛を極めていたのがここ浅草寺でした。寺伝では、推古天皇の時代に漁師の檜前(ひのくまの)浜成と竹成の兄弟が隅田川で漁をしていたとき、その網に高さ1寸8分の金色の観音さまがかかったので、豪族の土師中知(はじのなかとも)と相談し祀ったのだといいます。あの有名な三社祭の氏神がこの3人だということです。
ここは修学旅行生と思われる生徒さんたちや、言葉を聞いて初めてわかる外国の方も多く、おそらくは昔懐かしい東京下町の風情を味わいたいとやって来たのではないかと思いました。とくに雷門付近では、多くの人たちが記念写真を撮っていました。その雷門をくぐり、仲見世をのぞきながら進むと、修理中の宝蔵門があり、それを抜けると正面に本堂があります。




佐竹寺を11時30分に出発し、途中のそば屋さんで昼食を食べ、第21番札所日輪寺に着いたのは午後2時5分でした。途中、少しばかり道に迷いましたが、こんなに時間がかかるとは思いもしませんでした。
この本堂は昭和48年に再建されたものですが、鰐口は相当古いような印象を受けました。寺伝によると、役行者が開き、大同2年に弘法大師が十一面観音を刻んだということですから、歴史のあるお寺です。この八溝山はむかし砂金が採れたそうで、近くには日本名水百選の1つ「金性水」があります。また、『常陸国誌』には採れた砂金を遣唐使派遣の費用にしたとも書き記されているそうです。
22番札所佐竹寺には、午前11時10分に到着しました。昭和15年に再建されたという仁王門をくぐり、その正面に重厚な茅葺き屋根の本堂がありました。その前には大きなイチョウの木があり、もうすでに銀杏がこぼれ落ちていました。
お詣りをすませ、もう一度仁王門に戻ると、中には素晴らしい仁王像がまつられていました。聞けば江戸時代の宝永年間のものだそうで、とても力強い作ゆきです。この仁王門の上にも上れそうですが、妙福山と書かれた扁額のさらにその上には日の丸絵紋の佐竹氏の軍扇が掲げられていました。これを見ても、この寺は佐竹氏と強いつながりがあったと見て取れます。
今日は2日目、9月5日です。茨交大洗ホテルを午前8時35分に発ち、昨日の逆コースで友部インターで下り、国道355号線を通り笠間に向かいました。第23番札所観世音寺に着いたのは、午前9時20分です。これでは、昨日はいくら急いだとしても午後5時には間に合わなかったようです。
現在の本堂は昭和になってから建てられた仮本堂だそうで、入口のわきには、本堂再建の寄付受付と書かれた板が立てかけてありました。ご本尊さまは毎年4月17日のご開帳でしか仰げませんが、前立ちの観音さまも良く、本堂内で般若心経や諸真言を唱えさせていただきました。その後、お茶の接待を受け、私はご朱印をお願いし、参道をゆっくりと下りました。参道から見る限り、相当なツツジが植え込まれているようで、春の花時にはすばらしいながめだろうと想像しました。

清滝観音に着いたのは、午後3時50分でした。ここは「坂東霊場記」では行基が聖観音像を刻んで開山したと伝えられるほどの名刹です。ここはまた、新治村大字小野というところですから、小野小町との縁もありそうで、観光案内を見ると小野小町の墓と伝えられているのも近くにありました。この新治村は、『古事記』や『日本書紀』にも記載があり、連歌の始まりとなった歴史的にも古い地名です。
聞くところによると、このお寺は地元の信徒たちが守り、お年よりたちが交替で納経をしているといいます。三十三観音巡りは、一つでも欠けると困るので、なんとか維持して欲しいと思いました。時間は、午後4時15分です。もしかすると第23番札所の観世音寺に行けるかもしれないと、先を急ぎました。![]() まず炭をつぐ | ![]() 懐石をいただく | ![]() 濃茶のお点前 |
雨引観音境内から遠くに筑波山を望むことができましたが、その麓の大御堂には午後2時45分に着きました。
お堂のわきに、真新しい筆塚があり、御影石に「筆」の一字を刻み、さらに下の方にこれを建立するに至った由来が書いてありました。筆塚は書で使う筆のいわば供養塔で、古く なった筆に感謝し、さらなる書の上達を祈願するためのものであるようです。現在では、あまり筆そのものは使いませんが、ボールペンや鉛筆などは使いますので、同じように感謝する心が大切だと思います。その心が、字を上手に書くことができるようになる基かもしれません。
11月22日、良い夫婦の日だそうで、いっしょに「新田嘉一コレクション展」を見に、山形美術館に行ってきました。


雨引観音に着いたのは、午後1時30分です。駐車場のわきの石段を上ると、長い石段の途中の仁王門から入ることができます。そこから一段をくの字の上りきると本堂です。平成10年秋に屋根瓦葺き替え及び塗り替えを行われたそうで、左の写真のように彩色されています。
詠われていることから、花の寺でもあるようです。参道には桜やツツジの木がありましたし、花は終わっていましたがアジサイもありました。ここは真言宗豊山派ということですから、他にもこの宗派のアジサイ寺があり、アジサイつながりでもあるのではないか、と思ってしまいました。
大谷の平和観音を出発したのは、10時5分でした。そこから益子にある西明寺には1時間30分ほどかかるということです。そこで益子町の益子焼窯元共販センター で昼食を食べてから向かうことにしました。この共販センターは、だいぶ前に何度か来たことがありますが、久しぶりなので、食事もそこそこに限られた時間内でさーっと見て回りました。
さて、本堂でお詣りをし、その右手に大きな高野槙を見つけました。根元の石版には、栃木県指定の天然記念物ということが書かれてあり、推定樹齢750年、樹高30メートルといいますから、まさに圧倒する大きさを感じます。参道の椎の木19本も県指定の天然記念物だそうですから、まさにここは古木に囲まれた聖域でもあります。
9月26日、東京の「上野の森美術館」で、生誕100年記念「ダリ回顧展」を見てきました。
4日の午前6時に万世の普門寺さんに集まり、ここからスタートです。栗子峠を越え、福島の飯坂インターから東北自動車道で宇都宮まで行き、そこから一般道を走り、第19番札所天開山大谷寺に9時30分に到着しました。ここは通称大谷観音と呼ばれ、大谷石にそのまま千手観世音菩薩を刻んでいます。そして、その岩屋にそのまま本堂を入り込ませたように建てられていました。
案内によると、ここは地獄谷と呼ばれ毒蛇の多いところであったが、あるとき、出羽の湯殿山の行者3人がこの地を訪れ、毒蛇降伏の秘法を修し、岩壁に観音像を彫刻してからは毒蛇の被害がなくなったと伝えられているそうです。私たちもいわば真言の流れをくむ湯殿山の行者ですから、ここを最初にお参りすることになっていたような気がしないでもありません。


新しい世紀を迎えて世界は他方向に流れて
![]() 中尊寺本堂 | ![]() 毛越寺のアヤメと大泉が池 | ![]() 達谷窟毘沙門堂 |





![]() サワフタギ | ![]() サワフタギ | ![]() サワフタギ |






☆岩谷山平等寺の「将軍杉」に出会いました!
☆「植物画世界の至宝展」を見てきました!![]() 雄国沼のニッコウキスゲ大群落 | ![]() オオカメノキとニッコウキスゲ | ![]() 金沢峠から見た雄国沼 |
![]() 亭主濃茶お点前 | ![]() 薄茶お点前 | ![]() 当日の道具組 |
![]() 三沢山野草展会場 | ![]() 展示されたオキナグサ | ![]() 万世山野草展会場 |
![]() 白石川堤の桜 | ![]() 白石川堤の桜と屋形船 | ![]() 桜並木と蔵王遠望 |
![]() カンヒザクラ | ![]() カンザキオオシマ | ![]() 安行寒緋とメジロ |
![]() 洋ランの花々 | ![]() 黄花フウラン | ![]() パフィオペディラム |
![]() 嵯峨野の竹林 | ![]() 清涼寺(嵯峨釈迦堂) | ![]() 龍安寺仏殿と西の庭 |
![]() 伝承館の門構え | ![]() 清山庵の床 | ![]() 清山庵の道具組 |
![]() この掛け物を書いた方も参加 | ![]() 先ずは簡素の道具でお茶一服 | ![]() 右上がふろふき大根です |
![]() 青山庵 | ![]() 青山庵から露地を眺める | ![]() 青山庵でのお手前 |
![]() 太鼓の演奏 | ![]() 近藤ヒロミさんの演奏 | ![]() ライブ終了後の一こま |

![]() 右がHARISHさん、左がBUNさん | ![]() 主催者のせいのさんの挨拶 | ![]() 演奏に使われたカリンバ |
五条坂からちゃわん坂の方に向かい、いかにもかって知ったかのように歩きました。考えてみれば、この清水寺には少なくても5〜6度は来ているはずです。この前訪ねたときも京都陶磁器会館や朝日堂を見て歩きましたが、今日は一心参りです。寄り道をせず、そのままちゃわん坂を上り、清水寺の山門前に立ちました。
日本の宗教建築物の良さは、反り返った鋭さや、人を威圧するような大きさではないように思います。いわば優しいなで肩のようなもので、いつでも人を受け入れてくれるような寛容さです。宗教というのは、本来は、今生きて悩み苦しんでいる人たちを救うものでなければなりません。人を拒絶したり、寄せ付けないようなものでは困ります。誰でも気軽に訪ね、好きなだけ時間を過ごせるところが必要だと思います。
石段の途中に子まもり大師像がまつられ、本堂わきの石段の上には大師堂もあり、ここは真言宗のお寺だということが分かります。本尊さまは十一面観音で、寺伝によると、空海がこの地を訪れたとき、熊野権現と名乗る老人が1寸8分の十一面観音を託し祀るように言い残したといいます。そこでその話しを聞いた嵯峨天皇の命により空海がお堂を建て、新たに1尺8寸の十一面観音像を造り、その胎内にその老人から託された観音像を納めたということです。現在は、その前立本尊がありお参りできるようになっています。
次に向かったのは、第17番札所補陀洛山六波羅蜜寺です。バス停の泉涌寺道まで戻り、市バスで清水道まで行き、そこから京阪五条駅のほうに進みました。何度か道行く人に尋ねながら細い路地を歩き、たどり着きました。ここは真言宗智山派ですが、市の聖として有名な空也上人の開基されたお寺です。ですから、ここにはあの教科書にも掲載されている口から化仏を吹き出している空也上人像があります。私には、意外なところで懐かしい像に出会ったような感じでした。それに、ここはあの六波羅探題があったところだというし、お寺の北側には六原小学校があるということで、寺名にも納得してしまいました。
6月12日、山形新幹線で東京駅まで行き、そこから貸し切りバスでの移動でした。鶴見の総持寺では、ちょうど実峰良秀禅師600回忌法要が行われ